十二、鉄
一ヶ月後、サルは『鉄』の製法を村人に教えた。
より高純度の鉄を確実に得るために、一ヶ月を研究に費やした。
それから村の老若男女を集めて、液かすから鉄塊を取り出す方法を講義した。
一部の人には、つきっきりで実技を指導した。
こうして鉄の製法が村に根付いた。
アメノ様はとくに文句を言わなかった。
後からウヅメに聞いた話では、「物出しの儀をしなくて済むんだ。仕事が楽になる」とうそぶいていたという。
かつて社殿の威信の象徴だったカナモノは、ありふれた日用品になっていった。
鉄は、村の暮らしに絶大な影響を与えた。
たとえば採液場の筒を鉄製に変えたら、樹液の生産量が倍になった。
鉄製の筒は今までよりもずっと深い場所まで刺さり、大量の樹液が噴き出した。
鉄で作った重しは、樹液の沈殿物を今までにないほど固く圧搾できた。
押しつぶした沈殿物を焼いたところ、信じられないほど硬い陶器になった。
新しい陶器は高熱になっても割れず、この陶器の板で作った炉は、さらに丈夫な鉄──〈鋼鉄〉を生み出した。
鋼鉄の柱はあらゆる足場、あらゆる建物を支えた。
ごく一部でも鋼鉄が使われると、設備の耐久性がぐんと高くなった。
新しく建造された建物は、トビウオの大群が衝突してもびくともしなかった。
手先の器用な若者たちは次々に新しい道具を発明した。
鋼鉄の筒に空気を圧縮して、その空気圧で銛を飛ばす装置。
しなりの強い鋼鉄の製法と、その鋼鉄を使った鉄製の縄。
歯車と縄を組み合わせて、高い場所まで荷物を運ぶ機械。
それらの発明品を使って、安全に村を移築する方法。
そして一年が経つころには、村の生活は様変わりしていた。
もはや空腹に悩まされることもなければ、不慮の事故に見舞われることもなくなった。
依然として世界樹の樹液がなければ生きていけないし、樹液が枯渇したら村を移動させるしかない。
それでも、以前とは比べものにならないほどたくさんの樹液を備蓄できるようになった。
村の移設工事は安全でかんたんになった。
すべてはサルのおかげた。
サルは、その名の通り、村を照らす太陽だった。
◇
二年が経つころには、村人たちは鉄を使って物を売り買いするようになった。
鉄が広まる以前にも、村には何百年も前から『貨幣』があった。
歴代の村長様の署名が入ったお札で、物の売り買いに利用されていた。
が、以前はすべての村人が樹液の採取に関わっていて、すべての村人がトビウオ漁に力を尽くしていた。
そもそも、お金を使って売り買いする物がこの村には無かったのだ。
村長様がお札を発行するのは、もっぱら病気や怪我で動けない人のためだった。
ところが鉄が広まると、村人の分業が進んだ。
以前から、ゆるやかな分業はあった。
木桶を作るのが得意な人、陶器を作るのが得意な人、銛や網を作るのが得意な人……。
それぞれの得意なものを作って、物々交換をしていた。
けれど鉄製の道具の製造には、今までの道具よりもずっと技術と時間が必要だった。
樹液の生産量が上がり、村の工事がかんたんになったことで、村人たちは技術を磨く時間を手に入れた。
こうして村の人々は自分の専門職に従事するようになり、分業が進んだ。
手分けして物を作るのだから、自分では作れないものを他人から買わなければならない。
そして村人たちは、寸鉄を貨幣として使うようになったのだ。
◇
わたしは、こういう話をすべてサルから聞いた。
村のみんなは新しい生活に夢中だったけれど、サルはあくまでも冷静に、この村で起きている現象を分析していた。
寸鉄は不便だと村人が気づくのに、時間はかからなかった。
身も蓋もないが、商売に使うのに鉄は重すぎたのだ。
かんたんには持ち運べないし、取引の規模が大きくなるほど不便になる。
サルが新しい仕事を始めたのは、その頃だ。
村人たちの鉄を預かって保管する仕事だ。
どれぐらいの量の鉄を預かったのか、サルは証書を発行した。
村人たちは本物の鉄を交換する代わりに、その証書を使って物の売り買いをするようになっていった。
三年が過ぎるころには、サルは鉄を貸すようになった。
もちろん本物の鉄を貸し出すわけではない。
そんなことをするには鉄は重すぎる。
代わりにサルは、証書を発行した。
一定の量の鉄と交換できる証書だ。
鉄を借りた人は、期日までに利子をつけて鉄を返す決まりになっている。
サルが鉄を貸すようになったことで、鉄を作る技術のない人でも、大きな取引ができるようになった。
巨大な設備を建設して、今まで見たこともないような製品を作れるようになった。
みすぼらしい木の渡し板は、鋼鉄の足場に変わった。
古びた縄ばしごは、鉄くぎの打たれた階段に変わった。
村のいたるところに風車が設けられ、昼夜を問わず歯車の噛み合う音が響くようになった。
村人の人数は増え、建物の数はそれ以上に膨れ上がった。
村は急速に大きくなっていった。
そして、サルが来てから五年が過ぎた。
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