十三、発展


 サルは少しだけ歳を取り、わたしは大人になった。


 その日、サルはひさしぶりに社殿を訪れた。

 祭事のために甲板に来ることはあっても、社殿に足を踏み入れる機会は滅多になかった。

 アメノ様がサルを呼び出したことはウワサになっていて、真新しい甲板には野次馬が押し掛けていた。


 好奇の視線を意に介す様子もなく、サルはまっすぐに社殿に入った。


「よく来たね」

 アメノ様はサルに言った。

「なるほど、カガミはすっかりあんたの付き人ってわけかい」

 彼の背後のわたしを一瞥して、アメノ様はふんっと鼻を鳴らした。


 彼女の後ろには、ウヅメがちんまりと座っている。

 同い年のはずなのに、ウヅメはこの五年でほとんど変わっていない。

 黒目がちの瞳と、白い肌。くちびるの紅さが目を引く。


 サルは床に手をつくと、静かに頭を下げた。

「お久しぶりでございます。先日の竣工式では大変お世話になりました。おかげさまで今のところ──」

「よしてくれよ。あたしは堅苦しいのが苦手なんだ」

 アメノ様は首を振る。


 サルは顔を上げた。

「本日はどういったご用件でお声がけくださったのでしょうか」

「聞いたよ、北側の採液場が枯れたらしいね」

「はい、残念ながら」

 悪びれずにサルは答えた。

「さっそく棟梁様が新しい採液場の建設計画に取りかかっています。今までにない建材の運搬方式を試してみたいとおっしゃっていました」


「何度目だい?」

「は?」


「この一年で、採液場が枯れるのは何度目だい?」

「四度目と記憶しておりますが」

 ハァ……とアメノ様はため息をついた。

「あんたが来る前はね、採液場は最低でも一年は枯れなかった。運のいい時には三、四年も同じ採液場を使えたものさ。しかし、今はどうだい。まるでちり紙みたいに、採液場を使い捨てにしてないかい?」


 サルは微笑んだ。

「村の発展のためでございます」


 アメノ様はあざけるような口調で答える。

「発展ねえ……」


 サルは身を乗り出した。

「ええ、発展です。世界樹の樹液はたんなる食糧ではなく、村の産業の基盤です。燃料であり、建築資材であり、工業製品の原料でございます。樹液の消費量が増えたのは、つまり村が発展している証拠ではありませんか」


 アメノ様はうなずく。

「すると、あんたは村のためを思って行動しているのだね。村を発展させるために、村の将来のために、あんたは商売をしているのだね」

「もちろんです。すべては村のため。私を受け入れてくれた村のみなさまに報いるためでございます。他にどんな目的がございましょう」


 語り女は鼻白んだ。

「そうか。……でもね、サル。あたしにはそうは思えないんだ。あんたは村のためではなく、あんた自身のために仕事をしているようにしか思えない」

「ご冗談を」

「今では、村の連中はみんな、あんたの証書を持ち歩いている。社殿には月に一度も来ないやからが、あんたの顔は毎日のように拝んでいる。これはいったいどういうことかね」

 アメノ様は咳払いを一つした。

「単刀直入に言おう。あんたには、鉄の貸し借りをやめてもらいたい。あんたから借りた鉄を返すために、村の連中は必死になって働いている。おかげで社殿にも来られない有様じゃないか。神罰よりも借りた鉄を恐れるのは、やはり健全とは言えないよ」


 サルはかぶりを振った。

「お言葉ですがアメノ様、そのお申し出はとても受け入れられません。村をより豊かにするために、私の仕事はどうしても必要なのです。どうかご理解いただきたく存じます」


「村を豊かに、か……」

 アメノ様は皮肉っぽく笑った。

「豊かになるのは、あんたの自尊心じゃないのかい。……なあ、サル。あんたは、何のためにこの村に来た。どうして生まれた場所を去った」


 表情を変えずに、サルは答えた。

「ご理解いただけないことを残念に思います。私が鉄の製法を見つけるまで、この村では採取した樹液の一割ほどしか利用していませんでした。残りの九割は液かすとして捨てていました」


 ──もったいないと思わないかな。

 以前、サルはそう言った。


「しかし今はどうでしょう。村人のみなさまの発明により、樹液の七割以上を資源として利用できるようになりました。液かすとして捨てるのは今では三割ほどにまで減りました。たしかに樹液の消費量は増えていますが、利用率も非常に高まったことを、まずご理解いただきたく存じます」


 甲板に集まった人々は社殿の入口や格子戸に貼り付き、二人のやり取りに耳を傾けている。

「しかしな、サル──」


「死者も減りました」

 アメノ様を遮って、サルは続けた。


「とくに赤ん坊の死ぬ確率は、極めて低くなりました。以前は六、七人の子供のうち、二、三人しか無事に大人になれませんでした」

 この村では病気や事故がありふれていた。

「しかしこの五年で命を落とす赤ん坊はほとんどいなくなりました。食糧を充分に確保できるようになったことと、分業が進んで母親が赤ん坊から目を離さなくて済むようになったからです」


 村人の誰かが「そうだ!」と叫んだ。


 サルは続ける。

「村の移設工事は、安全で迅速になりました。この社殿だって、鋼鉄を使った新しい技術で建設したものではありませんか。トビウオの群れに建物が崩落することもなくなりました」


 また別の誰かが、「そうだ、そうだ!」と叫ぶ。

 アメノ様はわずかに眉をひそめた。


 サルは表情を変えなかった。

「赤ん坊が死ななくなったことも、工事や漁が安全になったことも、すべては鉄のおかげです。あなたがた語り女には、できなかったことです」


 アメノ様はじっとりとした視線で相手を見据えていた。

「つまり、聞く耳は持たないということだね。鉄の貸し借りをやめるつもりはない、と?」

「納得のいく理由をご説明いただかないかぎりは」

 サルはふたたび微笑んだ。


 アメノ様はゆるゆると首を振った。

「残念だよ、サル。あんたは頭の切れる男だ。あたしはこれでもあんたを見込んでいた。けれど、理解してもらえないとは」

「こちらこそ残念です」

 サルは肩をすくめる。

「あなたは古くさいのも堅苦しいのも嫌いだとおっしゃっていた。私の考え方にも柔軟に対応してくださると信じておりました」


 しかし、アメノ様は考えを変えなかった。

 人々の信心は社殿から離れて、サルの貸し出す鉄に移りつつある。

 時代の変化に対応できず、アメノ様は古い考え方に固執した。

 新しい考え方を受け入れられなかった。


 彼女はパンッと手を打った。

「わかった、サル。もう下がってよろしい」

「ご希望に添えず、申し訳ありません」


 アメノ様はニタァと笑った。

「いいんだよ、サル。謝る必要はない。あんたにも今に分かるさ。あんたとあたしのどちらが正しいのか」


 囁くようにアメノ様は言った。

 ──覚えておけ。

 社殿の外には聞こえない、わたしたちだけに届く声だった。

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