十一、豊かな日


 その晩、サルを歓迎する宴が開かれた。


 新鮮な魚肉を使った料理がふるまわれ、酒が湯水のように注がれた。

 男衆は歌を唄い、娘たちが舞い踊った。


 サルのための御膳が甲板の中央に設けられた。

 村人たちは入れかわり立ちかわりサルの前に腰を下ろし、彼と挨拶を交わした。

 そのたびにサルの杯には酒がなみなみと注がれ、彼は一息に飲み下した。

 その飲みっぷりが、また村人たちに気に入られた。


「あれだけ飲んで顔色一つ変えやしない。けろりとしてやがる」

「あいつはとんだだよ」

 そう答える棟梁様は、まるで自分が褒められたみたいに得意げだった。


 月が西の地平線に沈むころ、宴はお開きになった。

 村人たちは三々五々に散らばって、それぞれの箱家に帰っていった。


「カガミ、私たちもそろそろ失礼しましょう」

 お母さんのほっぺたも今夜はほんのりと赤かった。

 滅多に飲まない酒で、ほろ酔いになっている。


「ごめんね、お母さん。わたしはウヅメのお手伝いをしなくちゃいけないの。宴の後片付けがあるから」

「あら、そうなの」

「だから、お母さんは先に帰っていて? わたしもすぐに家に戻るよ……」


 うそだった。


 ウヅメを手伝う約束なんてしていなかったし、すぐに家に帰るつもりもなかった。

 しかし、酒のせいだろう。

 お母さんはとくに詮索することもなく家路についた。


   ◇


 わたしはサルの箱家に向かった。どうしても訊いておきたいことがあった。

「ごめんください……」


 扉を開けたサルは、驚きをあらわにした。

「カガミ? どうして君がこんな時間に──」


「サル、わたしはあなたを信じているよ。だから、正直に答えてほしいの。……あなたは泥棒じゃないよね」

「突然、何の話だ?」

「サルは人のものを盗むような人じゃないよね。アメノ様を騙したり、社殿のものを横取りしたりしないよね」


 言いながら、鼻の奥がつんとなった。


 サルの秘密に気づいているのは、たぶんわたしだけだ。

 もしもサルが泥棒だったら。

 罪人つみびとだったら。

 そんな想像をするだけで恐ろしくて、切なくて、わたしは泣き出したくなる。


「とにかく部屋に入りなさい。今晩は夜風が冷える」

 サルに招かれて、わたしは彼の箱家に入った。


 部屋は、初めて訪ねたときとは一変していた。

 以前はがらんとした何もない部屋だったのに、今は木桶や漏斗ろうとが所狭しと転がっている。

 いつの間に買い集めたのか、陶器の皿や壷が積み重ねられていた。


「これは……どういうこと?」


 陶器は、樹液の沈殿物に特別な処理をして焼いて作る。

 とても高価な品物だ。

 切り詰めた生活をしなければ、これほどの数を揃えることはできないだろう。

「私は今、ちょっとした研究をしているんだよ。ここにあるのは、その研究に必要な道具だ」


 サルは腰を降ろすと、わたしに座布団を勧めた。

「それで何の話かな。私が泥棒だというのは」

「お願い、サル。正直に話すと誓って」

「もちろん誓うとも」


 わたしは彼の正面に座り、背筋を伸ばした。


「あのね、サル。わたしは見たの、あなたがトビウオに飛びかかったとき、銛の先がと光ったのを。最初は、魚の鱗と見間違えたのだと思ったけど……。でも、思い返すたびに記憶がハッキリしていった。あれは見間違いなんかじゃないよ、サル」


 サルは表情を変えなかった。わたしは続ける。


「あのとき、あなたの手にしていた銛の先端はたしかに光った。太陽を反射して、ぎらりと光った。まるで魚の鱗みたいに。まるで、社殿に保管してあるカナモノみたいに」


 のこぎり、とんかち、のみ、きり──。

 カナモノという鈍く光る素材で作られた道具たち。


 社殿に保管されている大工道具は村の宝だ。

 カナモノがなければ村を移設できない。

 わたしたちは滅びるしかない。


「最近、サルはずっと工事を手伝っていたでしょう。棟梁様と一緒に大工道具を使っていたでしょう。だから、カナモノを盗むこともできたはず。そして盗んだ道具を加工して、あの銛を作ったんじゃないかな」


 言葉を紡ぎながら、わたしは徐々にうつむいていった。

 彼の眼を見るのが怖かった。

 違うと言って欲しかった。

 わたしの思い過ごしだと答えて欲しかった。なのに……。


「……違うよ、カガミ」

「違わない!」

 わたしは叫んでいた。

「うそはやめて! あなたは社殿の道具を盗んだんでしょう。わたし、サルのことを信じているよ。きっとサルにはサルの目的があるんだよね。ただイタズラに泥棒なんてしないよね。だから、お願い。正直に答えて」


 せっかく村の一員と認められたのに。

 せっかく、アメノ様から褒められたのに。


 もしもサルが泥棒だと知ったら、村人たちはどう思うだろう。

 それでも彼を仲間と見なしてくれるだろうか。

 彼の気持ちや目的を理解しようとしてくれるだろうか。


 サルがどんな狙いで盗みを働いたのかは分からない。だけど──。


 悔しくて視界がぼやけた。

 がまんしようとしたのに涙があふれて、握りしめたげんこつにぽたぽたと落ちる。


 サルは長いため息をついた。

「本当は、もう少し秘密にしておくつもりだったけれど……。こうなってはしかたがないな」


 彼の立ち上がる気配が分かった。

 引き戸を開ける音。

 何かを取り出して、わたしの前に戻ってくる。


「カガミ。君が見たのはこれだね」

 わたしは鼻をすすって目を拭った。


 顔を上げると、サルが銛を差し出していた。

 切っ先には、鋭い刃が取り付けられ、魚の鱗のように冷たい光を反射している。


 間違えようがない、カナモノだ。

 のこぎりのようなギザギザした刃が、あの巨大なトビウオに致命傷を負わせて、一撃で絶命させたのだ。


「じゃあ、やっぱりあなたは……」

「違う。私は泥棒などしていない。工事現場では私はまだ下っ端だ。棟梁様は大工道具を貸してくださらないよ。社殿の道具には触ったこともない」

「それなら、これは?」


 サルは声を低くした。

「私が作ったんだ」


 目をぱちぱちさせるわたしの前に、サルは布の包みを置いた。

 落ち着いた手つきで包みをほどくと、鈍く光るカナモノの塊が、ごろりと出てきた。


「これは『鉄』だよ」


 よどみない口調だった。

「樹液の液かすは赤茶けた色をしているだろう。あれは酸化鉄の色だ。鉄分が空気と反応したときの色なんだ。だから、もしやと思った。液かすを集めて、酸化鉄の結晶を析出させて、それから還元して……。この鉄塊を作ることに成功した」


「……あなたは泥棒じゃないのね?」

「もちろんだ。余計な心配をさせてしまったね、すまない」

 わたしは体中から力が抜けるのを感じた。

 思わず片手を床についてしまう。

 よかった、サルが泥棒じゃなくて本当によかった。


 わたしにはお構いなしで彼は続けた。

「この村では採取した樹液の一割ほどしか利用していない。残りの九割は液かすとして下界に捨ててしまう。もったいないと思わないか? 樹液をもっと効率よく利用できるようになれば、村はもっと発展するはずだ。……いいかい、カガミ。私たちはもっと豊かになれるんだよ」


「もっと、豊かに?」

 わたしには、よく分からなかった。


 トビウオが大漁だったら、その日は豊かな日だ。

 モチが上手に焼けたら、その日は豊かな日だ。

 わたしにとって「豊か」とはそういう意味だ。


 サルの言う「豊か」とは、何かが決定的に違うと思った。

 けれど、その違いをわたしは上手く説明できなかった。


「この村には悲しいことが多すぎる。生きるための犠牲が多すぎる。カガミ、君なら分かるだろう」

 わたしは、いつかのサルの表情を思い出した。

 お父さんの死をよくあることだと言ったら、彼は怒ったような顔を浮かべた。

 赤ん坊の葬式を痛ましい顔で眺めていた。


 サルの望みは村の一員になることだと思っていた。

 だけど本当は、彼はもっと先に目を向けていたのだ。


「私は、この村を救いたいんだ」

 サルの緑色の瞳は、静かな闘志に燃えていた。

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