十、世界樹とサル
サルは帯を締めると、照れくさそうに言った。
「着付けはこれで間違っていないかな」
わたしは微笑む。
「大丈夫、よく似合っているよ」
そして背後をふり返った。
「だよね、ウヅメ」
「ん」
ウヅメはこくりとうなずく。
「……完璧」
ウヅメはふすまを開けた。
社殿に集まった人々が「おお」と歓声を上げる。
儀式用の衣装に身を包んだサルは、胸を張って人々の前に歩み出た。
社殿の真ん中に座るアメノ様も、今日はちょっとだけ柔らかな表情を浮かべていた。
「さあ、そこにお座りなさいな」
「はい」
格子戸から射し込む光で、社殿の中は心地よい暖かさだった。
サルはアメノ様の前に腰を降ろすと、深々と頭を下げた。
「本日はお呼びくださり、ありがとうございます。身に余る光栄でございます」
「やめておくれよ」
アメノ様は手をひらひらさせた。
「堅苦しい挨拶は無しだ。こうして顔を合わせて話すのは初めてだね。あんたには悪かったと思っている。こんなに近くに暮らしていながら、声の一つもかけなかったなんて」
サルは頭を下げたまま「滅相もございません」と答える。
「本当なら、私はとっくに下界に落ちて死んでおりました。それを助けてくださったのは村の方々と、アメノ様のご厚意でございます。感謝こそすれ、不満など一欠片もございません」
アメノ様はフッと笑った。
こらえきれず、といった雰囲気で、嫌味な感じはしなかった。
「なんとまあ……、ばか丁寧な挨拶を覚えてきたものだね。いったい誰から教わったのか」
ちらりとわたしに目配せする。
「型にハマりすぎた言葉は、人の本心を隠してしまう。サル、あんたの本音を知りたい相手に対しては逆効果かもしれないよ」
サルは「おっしゃる通りです」と答えた。
「しかしアメノ様ほどのお方なら、どんな相手の本心も見抜かれてしまうことと存じます」
「買いかぶるのはよしておくれ。あたしは神通力など持っちゃいないよ、人の本心など分かるものか」
「はい。買いかぶってはおりません。もしもアメノ様が神通力をお持ちなら、私をこの場に呼び出す必要もないでしょう」
アメノ様は声を上げて笑った。
「面白い男だ、サル。あたしはあんたを見誤っていたのかもしれないね。この村の言葉を使いこなすほど物覚えがよく、トビウオに飛びかかるほど剛胆だ。頭も切れるらしい。……もっと早く声をかけておくべきだったよ。本当に悪いことをした」
サルは顔を上げて、語り女の顔をしげしげと眺めた。
ふたたび頭を下げると、「ありがとうございます」と言った。
「さあ、サル。顔をあげておくれ。儀式を終わらせてしまおう。あたしは堅苦しいのも古くさいのも苦手なんだ。だけど、これはけじめだからね」
アメノ様の手招きに応えて、ウヅメが立ち上がった。
酒壷を抱えて社殿の中央に歩み出る。
浅い杯に酒を満たして、アメノ様の前に差し出す。
サルが顔をあげた。
「本当は赤ん坊にする儀式なんだ。あんたみたいな大人を相手にする時がくるなんて思わなかったよ」
アメノ様は左の薬指を酒に浸すと、その指でサルのおでこに触れた。
生まれた子を村の一員として迎えるときの儀式。
「トビウオ漁でのあんたの活躍は聞いている。あんたのおかげで甲板の建設現場は崩れずにすんだ。あんたのおかげで助かった命もあっただろう」
集まった村人たちが「そうだ、そうだ」とうなずく。
「私はただ無我夢中で……」
「だからこそ、すばらしいのさ。普通の人間は、無我夢中になるほど自分のことしか考えなくなる。他人をおもんぱかる余裕など無くなってしまう。……けれど、サル。あんたは違った。無我夢中で村を助けてくれた」
アメノ様は静かに微笑んだ。
「あんたには感謝しているよ、サル。ありがとう」
彼女は床に指をつくと、深く頭を下げた。
「これからもよろしく頼むよ」
負けじとサルも頭を下げる。
床におでこをこすり付けるようにして、「何卒よろしくお願い申し上げます」と応えた。
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