第32話 本部長の憂鬱

「マジで行くのか……行くんですか。いえ、止めはしませんがね。

 ただ、考え直した方がいいっていうアドバイスと、あと万が一の場合のために『ハンターズギルドは無関係です』って念書を残しておいてほしいってお願いはありやすが」


 帝都ハンターズギルドの本部長は、深淵の森を攻略すると宣言した若者にそう告げた。

 普段であれば、そんな命知らずにいちいち声をかけたりなどしない。

 きりがないし、無駄だからだ。

 深淵の森は、ハンターズギルドの設立以来、攻略した者が誰もいない魔の森である。

 挑戦しようという命知らずは後を絶たない──とまでは言わないが、まあそれなりにいる。そんなやつにいちいち考え直した方が良いなどと言っていられない。その忠告を聞き入れる賢さと冷静さを持っているものはそもそもそんなことを言い出したりはしないし、忠告を無視して挑戦してしまうアホはどうせ死んでいなくなるからだ。


 にもかかわらず、本部長が忠告をしたのは、相手が侯爵家の跡取りだからである。


「行くに決まっているだろう! 貴様、この僕を馬鹿にしているのか!」


 ええまあ。

 と言えれば本部長も楽なのだが、言ったあとは決して楽しいことにはならないだろう。


 貴族の機嫌を損ねるのはこの魔帝国では決してやってはいけないことのひとつだ。

 帝国の支配階級であり、その地位に相応しい力を持っている貴族にとっては、たとえハンターズギルドの本部長であってもそこらの平民と大差はない。

 多少は帝国内で立場を持ってはいるものの、ただモンスターや盗賊などの始末をするのに便利だから生かされているに過ぎない。

 貴族やその傍系は強大な力を持っているが、その数は決して多くはないのだ。


 特にこの目の前の少年の実家の『侯爵級マーカス』ともなれば、魔帝国でもたったの五家しか存在しない。

 三つの公爵家から出された候補者から皇帝を選出する役割を持つ、いわゆる選帝侯としての側面もある。

 実力主義を標榜する魔帝国ゆえ、選帝の儀もその実力を競い合う形で行われる。

 その儀の審判をするのが五つの選帝侯というわけだ。

 この三公五候によって魔帝国は長年運営されていた。

 中でも当代の選帝侯の一人、グロリアス侯ラウレンスは、魔帝国始まって以来の実力者であるとの噂も名高く、次期皇帝を見極める中心人物はラウレンスになるだろうと言われている。

 ただラウレンスは直情的な性格で、一度頭に血が上ると理不尽で突拍子もないことを言い出す悪癖があることも知られているため、次の選帝の儀は荒れるだろうと予想されていた。


 目の前の少年はそのラウレンスの一人息子である。

 いや正確にはもうひとり、彼の上に姉がいたはずだが、半年ほど前に不幸があって亡くなってしまったのだとか。

 鑑定の儀のかなり前から優秀な人物だと囁かれていたため、実際にラウレンスがどう考えていたかはともかくとして、周りからは次期グロリアス侯はその長女で確実だとまで言われていた。

 それが急の不幸で全て流れてしまった。

 目の前の少年は、いわばそのおこぼれで次期当主に内定しただけの存在だ。


 長年優秀な姉の影に隠れていたため、その実力は未知数。

 父親のように癇癪で平民を殴り殺してしまうようなことはなさそうな──性格はともかく、どうもそこまでの実力があるようには感じられない──ため、ただちに本部長に被害が出ることもないだろうが、もし跡継ぎに何かあったとしたら、父親はハンターズギルド全体を潰しかねない癇癪を起こすかもしれない。


 それを恐れ、本部長は形だけでも丁寧に接さざるをえないのだ。

 ついでに、この後この少年が自己責任で深淵の森に挑んだとしても、ギルドには何の責任もないですよ、といった内容の念書も要求しておく。ダメ元だが、もし貰えれば万々歳だ。

 貴族の持つ力の前では念書の一枚などなんの力も持っていないが、グロリアス侯爵とは別の貴族家に助けを求める際には一応のエビデンスにはなる。


「ですから、止めやしませんって。どうも、坊ちゃんの意思は固いようですしね」


「坊ちゃんなどと呼ぶな! 僕はもう成人しているんだぞ!」


 キンキンと響く甲高い声に、本部長はこっそりと耳を押さえた。

 成人していると言っても、まだ声変わりさえしていない。


 魔族には時々、身体の成長が少し遅い子が生まれることがある。魔力が高い良い家柄に生まれやすいそうで、その多くは成長とともに強大な力を持つようになり、寿命も長くなるそうだ。

 もう残り少ないが、前大戦の生き残りはだいたいそういう長生きの実力者で、かつほどほどに低めの家格の貴族である。高位貴族の当主の代替りには多くの場合実力行使を伴うので、大戦を生き延びた者でも代替りで死んでしまうことが多いからだ。


 このマティアスも侯爵家の生まれであるし、その身に秘めた才能のせいで成長が遅れている可能性もある。声変わりをしていないのはそれでなのかもしれない。

 まあ、今のところその「秘めた才能」とやらが花開く様子はないが。


 そういえば、似た声質で同じように自分のことを「僕」と呼ぶ変わり者の若いハンターがいたな、と本部長は少し懐かしく思った。

 ハンター試験で、あろうことか本部長であるこの自分を直接矢で狙ってきた剛の者である。

 彼女が消えてからまだ数ヶ月しか経っていないというのに、その後はこのマティアスに毎日のように迷惑をかけられているためすでに遠い昔の話のようだ。

 あのハンター試験のときには、彼女もどこかの貴族の娘ではないかという話も出ていた気がする。

 まあ、すでにここを旅立った人物のことを今さら考えても大して意味はないが。



 ◇



 何とかマティアスに念書を書かせた数日後。

 事前情報の数倍にのぼる数のアンデッドに襲われたと、深淵の森からマティアス一行が逃げ帰ってきた。


 正確な情報を渡さなかったと主張するグロリアス侯爵家と、大戦以来誰がどれだけ挑んでも状況が変わらなかった深淵の森にそんな数のアンデッドが急に増えるはずがないと主張するハンターズギルドの間で諍いが起きた。


 これを受け、五選帝侯のひとつアレアトル侯爵はハンターズギルドの主張を支持した。アレアトル家は代々ハンターズギルドの支援をしているためだと思われる。


 また同じく選帝侯であるファブリカ家は、当代当主同士のつながりのためか、グロリアス家を支持する立場を表明した。

 現ファブリカ侯はグロリアス侯ラウレンスとは幼い頃から知己であり、これまでも度々行動を共にしている。それゆえ今回もラウレンスの意向に逆らえなかったものと思われる。


 残る2侯爵は中立を謡い、それならばということで、この2侯爵の主導で改めて深淵の森の調査が行われることになった。



 ◇ ◇ ◇



 マティアスらはそのアンデッドの数に恐れをなして入口ですぐ逃げ帰ったため、誰も現在の深淵の森の情報は持っていなかった。

 ゆえに、調査を命じられた2侯爵家の手の者は知らなかった。


 今の深淵の森には、敵対者に触れると呪素を撒き散らして爆発するという恐るべき性質を持つアンデッドがいることを。 





 ★ ★ ★


 昔、刑事ドラマの「警視庁・捜査一課長」に、「科捜研の女」の府警本部長役の俳優さんが「本渕 陽(ほんぶち よう)」って名前の巡査部長役で出ててめちゃ笑った思い出。


 イオラがかけたアンデッドバーストの条件は「敵対者と接触すること」と「体が一定以上損壊すること」でした。

 アンデッドは生者を襲う本能がありますが、同じアンデッドには別に敵対はしません。

 なのでイオラが深淵の森から離れれば、イオラの放ったアンデッドと森のアンデッドが敵対する理由はなくなります。敵対状態ではなくなるので、森のアンデッドに触られても爆発はしません。

 イオラのアンデッドが与えられた命令は「南へ向かえ」や「一晩中突っ立っていろ」とかなので、爆発しなかったアンデッドたちは今もその命令を忠実に守っています。

 まあ森の中を散歩したりぼーっとしたりしてるだけですが。


 外見からでは全く区別がつかない、爆発するアンデッドと爆発しない普通のアンデッドがランダムで現れる森があるってマ?

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