第31話 辺境の光と闇

「……君、僕のこと嫌ってたんじゃないの? 事あるごとに悪口言ったりナイフ振り回したりしてたじゃないか」


 まさに感情の爆発とも呼べるミラの号泣につられてか、僕も論理的でなく感情的なことを聞いてしまった。


 本来ここで僕が言うべきだったのは、僕とミラの関係の始まりはあくまで似た境遇の令嬢に対する同情心が始まりであり、僕から見てその同情心が消える程度に成長したミラには、もう僕の助けは必要ないってことだった。これを論理的に説明するべきだった。


 相手の感情に対して感情的に反論するだなんて、これじゃあまるで──痴話喧嘩みたいじゃないか。


 事実、食堂にいる他の客たちは僕らの様子を見ながら「別れ話かしら」「女の子同士で? 非生産的だな」「何言ってるの、生産性だけが人の生きる目的じゃないでしょう」とか好き勝手なことを言っている。

 いやまあ、パーティ解散の話なのだから別れ話は合ってはいるか。言うほど合ってるかな。ただ生産性については間違っていると断言していい。だってips細胞とやらがあれば女の子同士でも生産的なアレコレが出来るらしいからね。知らんけど。


「違っ! ちがくてェ! それはぁ!」


 えぐえぐ泣きながら話すものだから、要領を得なくて難儀した。

 時間をかけてミラからその思いを聞き出す。

 もらい泣きというわけではないけど、僕の目もいつの間にか潤んできていた。埃かな。


 そのミラからの話を要約すると、初めて出会ってからしばらくの間、僕のことが嫌いで嫌いで仕方がなかったのは事実らしい。

 けれど実家から着の身着のまま放り出され、頼る者もなく嫌いな僕に縋るしかない現実の中で、少しずつその心が変化していったのだという。僕から貰うオヤツやお小遣い、些細なプレゼント、そういう優しさが、僕に対する頑なな感情を溶かしていったらしい。

 もちろん僕からは厳しい訓練や課題が課され、さらに恨みや嫌悪を募らせることもあったけれど、それも全てミラ自身を成長させるためだと今ならわかる。だからこそ、始めに持っていた嫌悪感は徐々に薄れていき、今では尊敬と憧れ、その他諸々のポジティブな感情しか抱いていないのだとか。


 これまでミラと過ごした時間をミラの視点から語られたことで、僕の涙腺はさらなる埃に見舞われることになったけれど、僕の頭の隅の冷静な部分が囁いた。


 これ、もしかしてストックホルム症候群ってやつなのでは。

 いやでもストックホルムは確か人質をとった銀行強盗事件が起きた地名のことだったと思う。この世界にはストックホルムなんて場所はないだろうし、あってもそこで銀行強盗事件が起きたりはしていないはずだ。

 てことは症例に登場するようなストックホルムは存在せず、つまりこの世界にストックホルム症候群は存在しないことになる。

 よかった。ミラのこの感情は合法だな。ヨシ。

 僕の頭の隅の冷静な部分はミラの感情を受け入れた。


 晴れて鈍鉄級に昇進したことだし、かつては忌み嫌っていたけれど今では尊敬すらしている師匠である僕と、これから2人でいろいろな場所を冒険するんだ、と思っていた矢先、唐突に剣と指輪を贈られて、からの別れ話である。

 それは泣いちゃうのも仕方がないな。どこの悪女だそんなことをするやつは。

 僕か。

 何も悪いことしてないのに徳が下がる気がしてくるな。


 徳が下がるのは良くないな。とても良くない。

 だから、そう、まあ、これはしょうがないことなんだ。


「なるほどね。よしよし。わかったよ。つまりあれだ、僕が悪かった。

 もうお別れだの餞別だのは言わないから、また明日から一緒にやっていこう。さっき渡したのは、そうだな、2人で鈍鉄級に昇級したお祝いってことにしておこうか。

 よしよし。じゃあ追加でもう少しドルチェを頼んで、明日から宿を変えようか。これだけ目立ってしまうとね……。さすがの僕もね……」


 宿というか、街を変えてもいいかもしれない。

 この街はミラが育った故郷だろうから、ミラが独り立ちするまではこの街で育てようと考えていた。

 けれど、本人に独りで立つ気がないのならそんなことを気にしても意味はない。何よりミラも、尊敬する僕といろいろな場所を冒険してみたいらしいし。


 こうして、僕とミラは改めてパーティを組み、冒険者パーティとしてこれからも一緒にやっていくことになった。




 ずっとソロで生きていくつもりだった。

 徳を積むには一人のほうが都合がいいからだ。少なくとも僕はそう思っていた。2人で同じように徳を積むべき行動をとったとして、それで積まれる徳が一人のときと変わらないのであれば、僕の取り分は半分になってしまう。


 けれどそうだとしても、それなら徳を積む行動をこれまでの2倍にすればいいだけのこと。

 その分の徳は僕だけでなくミラも積むことになる。ミラの来世にも希望が生まれるということだ。


 もしミラが今世で順風満帆な人生を送っていたとしたら、ゆくゆくはこのアル=イクスイル王国の王妃となっていただろう。もし彼女の旦那が暴君や暗君であったなら、もしかしたらマリー・アントワネットのように、稀代の悪女としてやがては処刑される未来もあったかもしれない。


 そんなミラが逆に巨悪を叩き潰して徳を積む行動をするというのは、この国全体にとってもいいことなのではないだろうか。

 これはもう徳案件だな。やれやれ。またしても徳を積んでしまったか。


 ニコニコした顔で追加のドルチェをオーダーするミラを見ながら、僕は照れ隠──現実逃避気味にそんなことを考えていた。

 肩の上ではナンシーが呆れたように溜め息をついていた。



 ◇ ◇ ◇



「──何? アデルが冒険者に? バカな。何かの間違いだろう。そんなものは放っておけ」


 カントール辺境伯サイラスは、部下の報告を鼻で笑った。

 そう育てた自分が言うのも変な話だが、アデルミラは箱入り娘だ。その上男爵令嬢程度のつたな奸計かんけいにすら気が付かず、まんまと婚約者を寝取られた間抜けでもある。

 下民の中でもさらに底辺の仕事である過酷な冒険者など、あの娘に出来るはずがない。

 仮にそれしか選択肢がなかったのだとしても、もうとっくに死んでいるだろう。

 何しろ、このカントール辺境伯家から追放して早や三ヶ月だ。何の後ろ盾もなく、何の力も持たず、何も出来ない小娘ひとりが生き抜くには厳しい時間だ。


「それが……何やら妙に手慣れた旅人と組んで冒険者になったらしく。下町では新進気鋭の美人冒険者コンビだと噂になっているようです」


「くだらん。よく似た別人だろう」


「は。おっしゃる通りかと。しかし、清廉潔白な旦那様と違い、先代や先々代がやや奔放であらせられたのも事実です。ことによると……。

 それに、今はカントール辺境伯家は非常にデリケートな立場に立たされております。あまり、放置するのも……」


 カントール家は代々この辺境ケントゥリアを守ってきた高貴な家柄である。

 高貴な者にはいくつか義務があるが、そのひとつは次代に高貴なる役割を継承することだ。

 つまり子を成すことも高貴なる者の義務なのだ。

 カントール伯の先代や先々代は、この考えがいささか以上に奔放に過ぎた。子を生む相手を高貴な者に限定せず、下民をも良しとしたのである。

 有り体に言えば、領内で女遊びを繰り返していた。


 家令が言う通り、サイラス自身には心当たりはないため、先代か、先々代あたりのタネが代を重ねてたまたま娘に似た個体が生まれただけだろう。そしてそいつがたまたま冒険者をしている。それだけのことだ。

 娘でないのなら、おそらくそういうことになる。


「……たしかにな。我が一族──ケントゥリア面差おもざしが似ている者が下賤な冒険者というのも外聞が悪いか。何がの妨げになるかわからんしな。その計画も愚かなアデルミラのせいで前倒しせねばならなくなったし、不確定要素は可能な限り潰しておくか。

 おい、その冒険者、駆け出しということだったな。ならば大した実力は持ってないはずだ。適当にゴロツキでも雇って、頃合いを見計らって始末しておけ。下手人との繋がりを残すようなヘマはするなよ」





 ★ ★ ★


まるで山から人里に下りてきたモンスターが少しずつ人の心を理解していくみたいな話ですね。

(理解しているとは言ってない)




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