第30話 相殺の条件
「──見損なったぞアデルミラ! 婚約者でありながら未来の夫であるこの私に楯突くだけでなく、嫉妬にかられてあろうことかキャサリンに脅迫までするとは! その罪、万死に値する!」
エンポリオ殿下にそう怒鳴られ、わたくしは呆然としました。
婚約者でありながら未来の夫に楯突く?
いいえ、逆です。
婚約者であるからこそ、未来の配偶者であるからこそ、夫が間違いを犯したならば苦言を呈する義務があるのです。婚姻を結ぶということは、生涯その責任を分かち合うということなのですから。
エンポリオ殿下とわたくしは、次期国王として、次期王妃として、幼い頃から専門の教育を受けていました。
わたくしの学習は順調でした。
実証されているわけではありませんが、人にはそれぞれ個別の才能があり、その才能に合った訓練や教育を行った者は大成する、と古来より言われておりました。
王妃教育とわたくしの才能は、きっと相性が良かったのでしょう。
ところがエンポリオ殿下には、国王としての教育が中々身につきませんでした。
彼は統治の勉強ではなく、剣や魔法の訓練の方が性に合っている様子でした。
剣や魔法を使い外敵と戦うのは騎士や宮廷魔道士の仕事であり、統治者である王の仕事ではありません。
よって次期国王たるエンポリオ殿下がそれらの訓練をする必要はありません。
もちろん、仕事や勉強の合間に息抜きとして行う分には何の問題もありませんが、本来の勉強をおろそかにしてまでしていいことではありません。
そのことについて、わたくしはよく殿下に苦言を呈しておりました。
殿下がそれを疎ましく思っていることも存じておりました。
けれど、事は連合王国の未来を左右しかねない案件です。王妃としての教育を受け、相応しい成果を上げているわたくしには、それがよくわかっていました。
だから、たとえ殿下に疎まれようとも、わたくしは殿下をお諌めする姿勢を変えようとは思いませんでした。
心を鬼にして、この国の未来のために、殿下に苦言を呈し続けたのです。
──けれど、それが良くなかったようです。
わたくしが憂いていたのはあくまでアル=イクスイル連合王国の未来であり、エンポリオ殿下の未来ではありませんでした。
常識的に考えれば、いずれ王国を背負って立つ殿下の未来は、王国の未来と同義と言えます。少なくともわたくしはそういう認識でした。
しかし殿下にとっては違ったようでした。
アル=イクスイル連合王国がいかに繁栄しようとも、そこにご自身の幸せが無いのであれば何の意味もない、と考えておいでのようでした。
わたくしがそれに気づいたのは、遅まきながら、殿下のそばにキャサリン=バレッタ男爵令嬢がまとわりつくようになってからでした。
キャサリン嬢はわたくしとは全く逆で、王国の未来など露ほども考えておらず、ただ殿下と御自分が楽しく生活することだけを重視しているようでした。
この時、わたくしの中には嫉妬心のようなものはありませんでした。
殿下とわたくしの婚約はあくまで国の未来を考えてのことであり、殿下に対する好悪の感情は一切関係ないものだったからです。
けれどもし、殿下とキャサリン嬢との火遊びの結果、彼女が子を孕むような事態になってしまうと、大変面倒なことになります。
具体的に申し上げますと、キャサリン嬢とそのご実家に幾ばくかの金銭を渡したうえで、生まれた子の生命を奪い、遺体を消し去らなければなりません。場合によってはキャサリン嬢ご本人とバレッタ家にも消えていただくかもしれません。
そしてその指示を出さなければならないのは、未来の後宮を取り仕切るべき、次期王妃であるわたくしです。
よく知らない下級貴族の令嬢と言えども、同じ学び舎の仲間の生命を奪う指示を出さなければならないかもしれない状況は、わたくしにとって大変なストレスでした。
ですから、わたくし自身の心の安寧のため、そしてほんの少しのキャサリン嬢への心配も込めて、わたくしは殿下をお諌めしました。
あまり身分の低い令嬢をお構いになっても、きっと良い結果は生みませんよ、と。
そしてキャサリン嬢にも警告をいたしました。
殿下の事は良い思い出として、ここらで身を引いた方が貴女のためですよ、と。
わたくしにとっては、ごく当たり前の話をしただけのつもりでした。
問題なのは、そんなごく当たり前のことさえ、言われなければ理解できない愚かな人たちの方だと思っていました。
けれど結果として、殿下に一方的に婚約破棄され学園を追われたのはわたくしの方でした。
わたくしの忠言、わたくしの警告が、殿下やキャサリン嬢への脅迫だと受け取られてしまったのです。
申し上げた内容は正論ですし、わたくしがそれを申し上げたのも事実でしたから、それについての弁明はいたしませんでした。
するとその一点のみに関して弾劾裁判は進められ、わたくしは学園から追放されました。
大変心外なことでした。
殿下を利用しわたくしを追い落としたキャサリン嬢も、そのキャサリン嬢の安っぽい色気に惑わされて大局を見失っているエンポリオ殿下も、どちらも信じがたい愚か者だと思いました。
とくに殿下です。いずれはアル=イクスイル王国を背負って立つ身であるというのに、そしてそのための教育はわたくし同様受けているはずなのに、なんという体たらくでしょうか。キャサリン嬢と付き合うようになって、性欲に脳が溶かされてしまったとしか思えませんでした。
思えば、わたくしが「男なんて」と初めて思ったのはこの時だったかもしれません。
どうしても納得がいかなかったわたくしは、この件について王家へ異議申し立てをしてもらおうと、田舎の父を頼ることにいたしました。
王都で質の良い馬車をチャーターして、侍女のスージーと2人で辺境へと帰りました。
護衛には、王都の学園に進学する事になった際に父につけてもらった騎士を連れていきました。
旅程は順調に消化され、もうあと数刻で領都に到着する、というところで、規模の大きな盗賊団に襲われてしまいました。
騎士たちはこの盗賊団に皆殺しにされ、わたくしもあわや盗賊たちの魔の手に落ちようかというところで、助けてくださったのがイオラ様でした。
初めて見た時、なんと
まるでこの世の罪と悪の全てを詰め込んだかのような、そんな名状しがたき嫌悪感のようなものが、彼女の周囲に漂っているようでした。
この女とは絶対に仲良くなれない、と直感しましたが、不幸なわたくしには選択肢などありません。これまでの人生でもいつもそうでした。
わたくしは苦肉の策としてイオラ様に助けを求め、領都まで同行してもらえるよう頼みました。
王家への掣肘も、イオラ様への報酬も、領都へさえ着けばお父様が全て解決してくださる。
そう考えておりました。
ところがお父様は、命からがら領都まで帰ったわたくしを門前払いになさいました。
しかもあろうことか、そのまま勘当するとまで言い放ちました。
王妃教育の大変さも、学園でのわたくしの苦労も何も知らず、お味方しかいない領都に引き込もっていただけのお父様に、一体何がわかるのでしょうか。
そんな人にわたくしの人生を否定されたのは大変なショックでした。
わたくしは再び「男なんて」と思いました。わたくしの中で、男性の価値が決定的に下がった瞬間でもありました。
行く当ての無くなったわたくしは、ショックを受けたわたくしに向かって髪を切って報酬を払えとか言う血も涙もないイオラ様についていくしかありません。
ところが、イオラ様は血も涙もないながらもかろうじて人の情のようなものはあったらしく、わたくしを冒険者にしてくださいました。
聞けばイオラ様も、わたくし同様ご実感から勘当され、婚約も破棄させられてしまったようです。
つまりイオラ様もまた、男にいいように振り回された被害者だということです。
嫌な人だと思いながらも、わたくしはイオラ様に不思議な親近感を感じるようになりました。
ナンシーちゃんという可愛らしい使い魔がいたことも、イオラ様に対する嫌悪感を薄れさせる要因のひとつだったかもしれません。
イオラ様との冒険者生活はとても辛いものでした。
見たことも聞いたことも無いような、過酷で汚く、臭く不潔な作業を延々と続けさせられるのです。
どうしてこんな辛いことばかりをわたくしにやらせるのか。わたくしはイオラ様を呪いました。
けれども、イオラ様はわたくしに教えるため、いつもわたくしと同じ作業をしていました。時には音を上げたわたくしの分までイオラ様がこなすこともありました。
生きるすべを得るため、イオラ様に縋ったのはわたくしです。
そのわたくしがイオラ様に仕事を押し付けるのは、わたくしに王妃教育を押し付けたエンポリオ殿下と同じだと思いました。
これは許されることではありません。イオラ様風に言うならば「徳が低い行い」というものです。
わたくしは涙をこらえ、キツい仕事をやり続けました。
そんな中、度々トラブルが起きることがありました。
元貴族ということもあり、わたくしとイオラ様の容姿は大変に素晴らしいものでした。
ですので、身の程を弁えない下民の冒険者の方々から言い寄られることもしばしばありました。
下卑た視線をわたくしとイオラ様の肢体に這わせる、不潔で不快な
これだから男なんて。
わたくしは今度こそ、男という生き物に愛想が尽きてしまいました。
この世に男なんて必要ありません。
女は女同士仲良くやるので、男は男同士で勝手に
そうなると次代が生まれずヒューマンは絶滅することになるでしょうけれど、もはや子を生むつもりがまったくないわたくしにとっては次代などどうでもいいことです。
けれどこの時のわたくしには、身の程を弁えることを知らない愚かな破落戸たちにさえ、対抗するだけの力がありませんでした。
その事実を情けなく、また忌々しく感じていると、わたくしと破落戸たちの間に立ち塞がる影がありました。
イオラ様でした。
彼女はあっという間に破落戸たちをグニャグニャにしたりしなかったりしてしまいました。
グニャグニャにされなかった運が良い人は、グニャグニャにされてしまった運が普通の人を担いで這々の体で逃げていきました。運が悪い人はグニャグニャにされた上にその場に置き去りにされていました。さらに際立って運が悪い人は息をしていませんでした。
何事も無かったかのように振り返り、わたくしに手を差し伸べたイオラ様は、まさにこの世のものとは思えないほどの神々しさと美しさでした。
あれほど悍ましく見えていた嫌悪感のようなものは、もう微塵も感じられませんでした。
どうしてわたくしはこの美しい方に対してそんな風に感じていたのだろう、と不思議でなりませんでした。
目の前に立ち込めていた霧が晴れたかのような清々しさでした。
これまではまるで人の心に作用する特殊な魔法か何かでもかけられていたかのような、そんな不自然ささえ感じました。
なぜか、ふいに仲睦まじく手を取り合うエンポリオ殿下とキャサリン嬢の姿を思い出しました。
そして、愚かな2人の思いがほんの少しだけ理解できました。
きっとわたくしも、この時、ひとりの愚か者になってしまったからだと思います。
★ ★ ★
直接的な表現はせず、「愚か者」という真逆のワードで愛情を表すオクユカシさ。
異世界よ、これが侘び寂びの心だ(違
『色欲』の対象はポリティカル・コレクトネスに配慮して「異性(または自身に対し性的魅力を感じうる同性)」と表現した、と言ったな。
あれはこの時のための伏線だったのだ!(知ってた
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