江戸の関所
お昼ご飯を食べている淡河本陣は江戸時代の本物の本陣なんだ。なかなか立派で由緒ある建物なんだけど、なんとなく江戸時代の旅行の話になったんだ。江戸時代の旅行は、
「大雑把に言うたら家康は庶民が勝手に動き回るのは好きやなかったみたいや」
まだまだ戦国時代の空気も残っていたからスパイ対策もあったのかも。そう言えば西国から江戸に簡単に攻め込まれないように、川にあんまり橋を架けなかった話ぐらいは知ってるよ。
「軍船も根こそぎみたいに処分させてるわ」
海路で江戸に攻めこませないようにしたんだろうな。とはいえ庶民も旅行する。物を運んだり、行商人だっているもの。他にも江戸とか京都に勉強に行ったりもあったはず。
「まずやけど江戸時代の旅行はすべて許可制で、遊びの旅行は禁止や」
そうだったんだ。でもさぁ、お伊勢参りとかあったじゃない。
「神社仏閣の参詣は許可されとってん」
でも、でも、神社仏閣の参詣のついでの物見遊山も出来るじゃない。
「そうやってなし崩しになったぐらいや」
なるほどね。建前は守りながら実態に合わせていったぐらいか。江戸期は天下泰平だったから庶民は時代が下るほど豊かになり、豊かになれば物見遊山の旅行をしたくなったぐらいの流れで良さそうだ。
そのために講ってのまで出来てたんだって。講ってなんだだけど、仲間が集まって旅行のための積み立てをやる組織みたいなもので良さそうだ。
「昭和の農協ツアーの先祖みたいなもんやろ」
農協ツアーってなんだと聞いたら、昭和の頃の金利は高かったんだって。農協に定期預金したら、その金利の代わりに農協主催の団体旅行があったのか。この農協ツアーの威力はすさまじかったらしくて、
「月旅行までする勢いやったらしい」
そんなSF小説まであったとか。月はむちゃくちゃだけど海外旅行にも行ってたのは驚きだ。今じゃ想像すら出来ないもの。江戸時代の講のシステムは積立金が旅費に足りた時点で順番に旅行に行くシステムで、最終的に参加者全員が行けたとか。
その講も目的地別にいくつもあって、複数の講に入っているのもいたとか、なんとか。それでもさ、女の旅行は無いよね。入り鉄砲に出女ぐらい知ってるぞ。
「それがかなりあったそうや。水戸黄門でもおったやろ」
由美かおるが毎週のように入浴シーンやってたよね。他にも女の旅人が出て来るシーンはあったよな。えっと、えっと、女の旅人が持病の癪に苦しんでいるところに男の旅人が通りがかり、
「薬を与えて仲が良くなるパターンやろ」
ところで癪ってどんな病気だったんだ。
「腹痛でもキリキリ痛むやつの総称らしいねん。今やったら胃炎とか、生理痛とか、盲腸とかになるんやろうけど、持病って言うてるから逆流性の食道炎かもしれへん」
そんな持病を持ちながら旅行はムチャだろうが。それは、ともかく女でも旅行が出来るぐらい江戸時代の治安は良くなっていたで良さそうだ。
「山賊とかはおらんようになったはずや」
江戸時代の旅行で通るのが大変なところと言えば関所になるけど、
「あれも室町時代と江戸時代ではちゃうねん」
室町時代の関所は通行料金の取りたてのためにあったのか。今なら有料道路みたいなものだろうけど、
「とにかく乱造されたで良いみたいや。場所によっては一日歩くだけで所持金がなくなった話も残ってるぐらいや」
現在の高速道路とか、有料道路は作るのに建設費用もかかるけど、室町時代は関所を作るだけで通行料金が手に入るものね。これをぶち壊したのが信長や秀吉だったよね。
「信長や秀吉は人が自由に動くことによる経済効果がわかっとってんやろ」
家康も英雄だけど、信長や秀吉に較べると経済音痴だったとされてる。それでも関所の運用は信長や秀吉の方針を受け継いだみたいで、
「あくまでも不審者のチェックのためで、原則として通行料は取らへんかってん」
だけどコータローもその先の関所の運用実態はよくわからないとしてた。幕府が作った関所は五十か所ぐらいだったらしいけど、関所ごと、時代ごとに運用実態はバリエーションが多すぎるとか、なんとか。
「入り鉄砲の話は教科書に出るぐらい有名やけど、赤穂浪士は討ち入りの装束とか武器を江戸に持ち込んでるやんか」
あっ、そう見るのか。あれは大石内蔵助が九条家の用人に化けて、
「それは歌舞伎の話やろ。それぐらい入り鉄砲のチェックは甘かったと見るべきやと思うで」
関所は原則として通る人が不審者かどうかを調べるだけだけど、そういう時に一番効果があるのが身分証明書って話になったみたいなんだ。いわゆる通行手形ってやつで、今でもお土産さんで売ってる木製のやつだろ。
「あれは木製やのうて紙の書類やってん。往来手形いうて今ならパスポートみたいなもんらしいで」
関所のチェックも幅がとにかくあり過ぎるみたいで、往来手形があれば見せるだけで手続きが簡略化されるようになり、それならばみたいに旅人は往来手形を所持するようになったとか。
「それもあくまでも、らしいや。実際は往来手形無しでも通れた記録はいくらでもあるらしい」
関所を通る人は旅人だけじゃなく、近所の住民も通るから、そういう人は顔パスもあったみたいだし、見ただけで問題なしにされて通れることもあったらしい。
「女の場合は出女の取り締まりは厳しかったとはなっとるけど・・・」
男は往来手形があれば十分だったらしいけど、女の場合はこれに加えて関所手形も必要だったとか。関所手形ってなにかになるけど、
「写真が無い時代やったから、その代わりに容姿とかを細かく書いてあったそうや。関所はその関所手形の女かを調べ上げるために改め婆がいたそうや。そやけどな・・・」
賄賂を渡せばチェックは簡略で、それをケチったら、それこそ素っ裸にして調べたとかなんとか。それって、
「賄賂を出さへんやつへの見せしめやろ」
なんか改め婆って牢名主みたいだな。そこから話がさらにディープになっていったのだけど、往来手形は地元の庄屋とか、名主とか、檀那寺が発行したんだそう。これは、地元でその人を良く知っているのと。発行元が信用できる人からだろうな。
「そんな感じやと思う。そやけどこれとは別に途中手形ってのも数多くあったんや」
なんだよそれ。これも実態が良くわからないところがあるみたいだけど、
「ここなんやけど、関所の審査は役人の裁量権が広かったと見て良いはずや」
手形無しでも通させるぐらいラフなところもあるけど、逆に厳しくするのもありってことか。だから、
「男でも往来手形に加えて関所手形みたいなものを要求したぐらいの感じや」
とはいえ情報伝達が今と比べてプア過ぎる時代だから、そんな手形が関所を通るために必要かどうかは、それこそ関所に来てみて初めてわかることも多かったみたいだ。でもさぁ、そんなもの突然要求されても困るじゃない。
「途中手形は関所の近くで発行されてたんよ」
はぁ、はぁ、はぁ。手形って身分証明書みたいなものじゃないの。証明書として価値があるのは、その人が誰であるかを良く知っていて、なおかつ遠くの人でも証明した人なり、機関が信用できるからこそ意味があるはずだ。なのに旅先でヒョイと出された途中手形の価値なんて、
「幕府も問題視して禁止の通達を出した記録も残ってるねん。そやけど、まったく言うぐらい改善せんかったらしい」
幕命に逆らったの?
「そやから実態はようわからん言うてるやろ。あの手の禁止通達は今でもそうやけど、絶対に守らせるものと、通達だけ出してるもんがあるやんか。途中手形の存在は原則に反するものやからのポーズやったんちゃうか」
なんかわかったような、わからないような話だけど、幕府だって絶対に禁止したいのなら監視の役人を送り込まないといけないはずだけど、
「そんな人手も費用もなかってんやろ」
そ、そうなるか。でも、そもそもなんのために途中手形が必要だったのよ。そんなものじゃ、不審者のチェックに役に立たないじゃない。
「これも実態がわからんねんけど、やっぱりゼニのためやろ」
わかりにくすぎる。
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