夏の記憶
「――知らねえっつったのは嘘か」
吐き捨てるようなミヤビのその言い方は、真実そういう気持ちだから出たものなんだと思う。
あたしを見る目は完全に蔑んでいて、弁解の余地なんかないと悟った。
あたしは肯定の言葉も否定の言葉も言わなかったけど、黙ってる事が肯定を意味してるとミヤビも気付いてる。
だからこそ、ミヤビはあたしの手を振り払うように腕を動かしたあと、目を細めて睨み付けてくるんだろう。
「お前は俺を騙したんだな?」
分かりきってる事を、どうして聞いてくるのか分からなかった。
「答えろ」
わざわざあたしに言葉にさせようとする意味も意図も分からなかった。
何より。
「俺を騙したのかって聞いてんだろうが」
どうしてそこまで非難めいた言い方をするのか分からない。
端っから、あたしの言葉を百パーセント信じてた訳でもないくせに。
「どこ?」
ミヤビの質問には答えないでそう聞いたあたしに、ミヤビは眉間に皺を寄せて「あ?」と言った。
でも決して、聞こえなかった訳じゃないのは分かってた。
「ハクトは——どこ」
「下の奴らが車に乗せた」
「生きてる?」
「今はな」
「連れて行かないで」
「断る」
「連れて行っても意味な——」
「そんなに大事か」
「――え?」
「そんなに大事か、あの男が」
「うん」
「なら一生俺を恨め」
「え?」
「あの男から話を聞き出すのは俺だ」
口許に嘲るような笑みを浮かべて、背筋が凍り付くほど冷たい声でそう言ったミヤビは、すぐにあたしに背中を向けて歩き始めた。
その腕を、今度は両手で力いっぱい掴んだのは、ミヤビが話を聞き出す為に兄貴をどうするか分かってたから。
絶対にこのままミヤビを行かせちゃいけないと、本能レベルで分かってた。
「お願い! 兄貴を連れて行かないで!」
ミヤビに対してこれまでで一番感情を露わにしたからか、それとも「ハクト」が兄貴だと白状したからか、ミヤビはあたしの言葉に反応するように、自分の腕からあたしの両手を引き離そうとする動きを止めた。
そして。
「――兄貴?」
もう一度あたしに振り返ったミヤビは、酷く険しい表情をしてた。
「お前があの男を連れて行くなっつーのは、家族を思っての事か」
「それもある。――けど、それが一番の理由じゃない」
「一番の理由は何だ」
「……困る」
「何が」
「……あたしが」
「どう困る」
「どうって……」
「言わねえなら話はここで終わりだ」
言わない——訳にはいかないんだろうとは思う。
無理を承知で頼んでるんだから理由を言わないなんて道理は罷り通らないと分かってるし、別に言う事に然程抵抗がある訳じゃない。
けど。
「……言ったら兄貴を解放してくれる?」
言う事に意味がないなら言いたくはない。
「約束はしねえ。お前の話す内容が、上の人間の指示を反故するくらいのもんなら、考えてやらねえ事もねえ。――但し」
「但し……?」
「二度と俺に嘘を吐くんじゃねえぞ。お前の話した内容が本当かどうか確かめる。そこにほんの少しでも嘘があったら」
お前の残りの人生から兄貴を消すぞ——と、ミヤビは低く唸るような声で言った。
最初から、話すとなれば嘘を吐くつもりはないけど、どこまで話すのかは悩む。
それに何より、あたしがする話をミヤビが理解出来る気がしない。
だからどうした——と、言われる可能性は大いにある。
だとしても、今の状況じゃ話さない訳にはいかないんだけど。
「ちょっとだけ場所移動していい? 人がいない所に」
言うだけ言って、ミヤビの返事は聞かずに路地に向かって歩き始めた。
ミヤビがあとをついて来てるのは気配で分かった。
路地に入る手前で、後ろから「ちょっと待ってろ」ってミヤビの声が聞こえて振り返ったら、ミヤビは誰かに電話してた。
雰囲気的に、多分兄貴と一緒に車に乗ってる「下の奴ら」とかってのに電話をかけたんだと思う。
待ってろって言うくらいだから、今のところは本当に、話の内容次第では兄貴を解放してくれるつもりはあるらしい。
今のあたしはその可能性に賭けるしかない。
色々と思考を巡らせながらひと気のない路地に入って、ゆっくりと足を止めた。
「話せ」
後ろから聞こえてきたミヤビの声に、振り返るかどうか悩んだ。
出来るなら背中を向けたまま話したい気持ちだったけど、嘘じゃない事を分かってもらう為には、ミヤビを見て話すのがいいと思った。
振り返ると、ミヤビはコンクリートの塀に背中を預けた姿勢で、胸の前で両腕を組んで立っていた。
「さっさと話せ」
あたしに向けられるその冷たい目と冷たい声は、話し終わったあとに変わるんだろうか。
くだらねえ——と言われた場合、兄貴を助ける為の次の手段はひとつしかない。
それが通用しなかったら、もう何も残ってない。
でも他の手段を思案してる時間もない。
まず今一番の問題は、どこまで話すか。
ミヤビがすると言った確認は、多分兄貴にするはず。
だから、兄貴がどこまで話すかを考えればいい。
兄貴もきっと全ては話さない。
「……どこから話せばいいのか分からないから、結論から話すけど」
あたしが話し始めると、ミヤビは「ああ」と相槌をした。
路地が緊張感に包まれてる気がするのは、あたしが緊張してるからなだけだろうか。
「あたし、兄貴に養ってもらってて」
「養ってもらってる?」
「うん。っていうほど何かをしてもらってる訳じゃないっていうか、住む場所を与えてもらってるって感じなんだけど」
「ふたりで住んでんのか」
「うん」
「親は」
「……うん」
「いねえのか」
「いる——けど」
「けど、何だ」
「母親しかいないんだけど、母親は働けなくて」
「働けねえ?」
「働ける体じゃない。だから母親の弟家族の家に住まわせてもらってて。前はあたしもそこにいたんだけど」
「それで?」
「それで、その家には親戚の人の息子がいて。あたしの
「ああ」
「あたし、そいつに高一の夏休みにヤられちゃって」
「……あ?」
「ヤられたの。――セックス」
「無理矢理ヤられたって意味か」
「うん。それが——」
—―気持ち悪かった。
抵抗するあたしを組み伏せる手とか。
汗ばんだ体とか。
執拗に舐めてくる舌の感触とか。
動き方も、息遣いも、ニオイも、あたしを見る虚ろな目も。
その何もかもが——。
「――キモくて。あたしも処女って訳じゃなかったんだけど、何かマジでキモくて。そのままその家にいたらまたヤられんじゃないかって思って、ひとりで住んでた兄貴の所にすぐに転がり込んだ」
話しながら視線が足許に落ちていってた。
話す事に然程抵抗はなくても、気持ちのいいものでもない。
しかも話す事であの夏の記憶が鮮明に蘇るから、気持ち悪くて仕方ない。
「あたしの兄貴、マジでバカなんだけど。どうしようもない奴なんだけど。そんな奴だけど、あたしが事情話したら、一緒に住んでいいって言ってくれて。金にだらしないクソみたいな奴なんだけど、家賃と光熱費だけはちゃんと払ってくれてて」
気が付けばミヤビが相槌を打たなくなってた。
だからあたしの話をちゃんと聞いてるのかは分からない。
「あたしの地元、法律とか常識とかどうなってんだってくらいマジでクソみたいな所だけど、高校生に部屋貸してくれる大家とかはいないし。いたとしても学校行きながら家賃払って生活するって出来ないし。兄貴がいなくなったら住む場所なくなって親戚の所に戻るしかないし。だから兄貴がいなくなると困る。それが一番の——」
理由についての話はここで終わりだと、足許に落としてた視線を上げた先。
「—―ミヤビ?」
いつからそうしてたのか分からないけど、ミヤビは深く俯いてた。
その所為で、ミヤビの顔に影が落ちて、どんな表情をしてるのか分からない。
だからまだ話したい事があるけど、話していいのか分からなくて、とりあえずミヤビの言葉を待つしかないかと思った。
暫くの沈黙のあと。
「そいつどうした」
俯いたままミヤビが発した声は、低く小さかった。
「そいつ?」
「お前の従兄」
「従兄が何?」
「まだ生きてんのか」
「そりゃまあ生きてる。だから兄貴と住んでんだし」
「……そうか」
「ミヤビ」
「何だ」
「まだ話したい事がある。兄貴が関わってる斡旋の件について」
ミヤビがつと顔を上げた。
その目はあたしを射抜くように鋭かった。
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