別人


 この世に生を成した事を喜ばしいと思った事はない。



 でもそれは記憶にある範囲での話だから、もしかすると記憶にない幼い頃は違ってたのかもしれない。



 記憶にある年齢には、生まれ育ってるこの地域がどういう所か分かっていた。



 そしてこの地域に住む人間の未来がどんな風であるのかも理解していた。



 だから記憶にある限りでは、この世に生を成した事を喜ばしいと思った事はないし、それが故に誕生日を嬉しいものだと感じた事もない。



 その所為で、誕生日というものに何ら特別な思いはないし執着もない。



 あたしの誕生日を祝おうと思ってくれる人の気持ちに対しては有り難いと思うけど、それはそう思ってくれる気持ちに対してのものだけで、誕生日自体に対しては祝うようなものではないと思ってしまう。



 元々そんな考えなのに加えて、今年は兄貴の問題をどうするかって事で気持ちが滅入ってて、例年以上に誕生日だからどうこうって気分じゃなかった。



 だから。



「アリス、今日はバイトない日でしょ? だからジュンヤの家でアリスの誕生日会をする計画、ジュンヤとこっそり立ててたの!」


 誕生日当日の放課後、ルナが嬉しそうにしてきたそんな誘いを、体調が悪いと嘘を吐いて断った。



 あたしの嘘を、ジュンヤとルナが信じたかは分からないけど、しつこく誘ってくる事はなかった。



 ふたりから誕生日プレゼントをそれぞれ貰って、お礼を言って、早々に家に帰った。



 別に家に帰ったからって何をする訳でもないし、兄貴の問題をどうするかについての答えが出せる訳でもないけど、誰かといるのが本当に煩わしくて仕方なかった。



 自分がいっぱいいっぱいになってるのは自覚してる。



 でもだからってどうしようもない。



 ミヤビとメッセージのやり取りをしてるからって、斡旋の件が「獣神」の中でどこまで進んでるのかは聞けなくて、現状を把握しきれてないのも悩みの要因ではある。



 現状が分かってたら打つ手を考える方向性くらいは思い付くかもしれないのに、分からないからどうしようもない。



 後手に回るのだけは回避しなきゃいけないと分かってるのに、最初からあたしは後手後手だ。



 あたしの知らないうちに、あたしの知らないところで、あたしの知らない物事が起こりすぎてて先手を打てない。



 でも本当に現状を知ったからってどうにか出来るんだろうか。



 所詮ただの高校生にすぎないあたしに出来る事なんて高が知れてる。



 なんて、考えてた時だった。



 悶々と考えてたから、外が暗くなってて部屋全体が暗がりに包まれてる事にも気付かなかったあたしのスマホから通話着信音が鳴ったのは。



 暗い部屋で液晶画面が光ってるスマホを手に取って画面を見てみると、そこにはかけてきた相手の電話番号だけが表示されていた。



 表示が電話番号だけって事は登録してない相手って事だから、無視しようかと思った。



 なのに通話のアイコンをタップしたのは、相手が誰なのかどこか分かっていたからかもしれない。



 だからこそ。



『アリス』


 通話中になった直後に聞こえてきた、あたしのスマホの番号を教えた事がないリオンさんの声に、然程驚きはしなかったのかもしれない。



 驚きはしなかったけど、相手が相手なだけに、「はい」と返事をした声が小さくなった。



 でもリオンさんは、あたしの返事が大きかろうと小さかろうとどうでもいいらしかった。



『ピンク色がいる』


 リオンさんはただあたしに、まるで暗号のような言葉を伝えたいだけだった。



「ピ、ンク……?」


地元うちに』


「それって——」


『獲物を見つけて数人引き連れて狩りに来たぞ』


 リオンさんの言う「獲物」が兄貴の事だとすぐに分かった。



 全身から血の気が引いて頭が真っ白になってるにも拘わらず、気付けば玄関に向かって走り出してた。



「ど、どこにいるか分かりますか!?」


 問いにリオンさんは、『繁華街』とだけ言って通話を切った。



 地元の繁華街に向かって走りながら、兄貴に電話をかけたけど出なかった。



 情報が少なすぎて分からない。



 リオンさんが言った「ピンク」がミヤビの事だとは分かるけど、どうして繁華街にいるのか分からない。



 兄貴を探そうと思って繁華街にいるだけなのか、それとも兄貴が繁華街にいてそれを捕まえようとしてるのか。



—―まさか。



 既に兄貴が捕まったなんて事はないだろうか。



 今じゃなくてもあたしが繁華街に着くより先に捕まったら——。



—―どうすればいい?



 兄貴が「獣神」に捕まったらどうすればいいんだろう。



 あたしに出来る事って何なんだろう。



—―多分もう。



 その場凌ぎの誤魔化しじゃどうにも出来ない。



 兄貴を捕まえに来てるのがミヤビなら、本当の事を言って——。



—―どうなる?



 ハクトがあたしの兄貴だとミヤビに言ったとして、だからどうなるんだろう。



 兄貴だから捕まえないで欲しいと乞うたところで、簡単に了承してもらえるはずがない。



 だったらどうしたら——。



 答えが出せないまま、繁華街に向かって走り続けた。



 何度も兄貴に電話をしたけど出なかった。



 不安な気持ちがどんどん増して、吐き気がした。



 そんな状態で走ってたから、繁華街に着いた時には眩暈がしてた。



 繁華街はいつも通り人で溢れ返ってた。



 その人込みの中をミヤビを探して走り回った。



 どれだけ人がいたって、ミヤビなら見つけられる。



 あのドピンク色した髪色なら——。



「ミ、ヤビ」


 人込みの中、そのドピンク色を見つけたのは、繁華街を探し回って十五分以上が経ってからだった。



 繁華街の端っこの、大通りに続く通りに向かって歩いていくミヤビの後ろ姿が見えた。



 待って。



 待って。



 待って。



 ミヤビに追い付こうと必死に走ってるのに、足がもつれてまともに走れなかった。



 むしろ人とぶつかって体が右へ左へとブレる所為で、距離が離れていってるように感じた。



 焦燥感と焦りに支配されて——。



「――ミヤビ!」


 その言葉と同時に、後ろからミヤビの腕を掴んだ時、自分がどんな表情をしてたのか分からない。



 だけど、足を止めて振り返ったミヤビの表情はしっかりと分かった。



 あたしを見ても尚、変わらないミヤビの表情は、酷く冷たく怖かった。



—―嗚呼、これが。



 今まで見た事のないミヤビの表情を見て、まるで別人だと思った。



 そこにあたしの知ってるミヤビはいなかった。



—―「獣神」のミヤビ。



 感情というものを持ち合わせていないようなミヤビの目を見て寒気がした。



 こんな人間オトコ相手に、あたしに何が出来るというんだろう。



 あたしが対峙しようとしてるのはミヤビじゃない。



 今からあたしが対峙するのは、「獣神」の「騎士」だ。



「アリス」


 ミヤビの口から吐き出される声は低い。



「悪いが今はお前と話してる暇がねえ」


 今まで聞いた事がないくらい低くて冷たい。



 その声が。



「ハクトって男を捕まえたから今すぐ連れて帰らなきゃなんねえんだよ」


 最も聞きたくなかった言葉を告げる。



—―嗚呼、どうして。



 あたしの人生はこんなにも最悪な事ばかり起こるんだろう。



 いつだってそうだ。



 いつまで経ってもそうだ。



 今日で十七年目となったあたしの人生は、いつもあたし以外の人間に無茶苦茶にされる。



 好き勝手に生きる人間ばかりが周りにいる所為で、割を食うのはいつだってあたしだ。


 

「また連絡する」


 低い声を継続したままのミヤビは、ミヤビの腕を掴んでるあたしの手を離させようと動いた。



 その動きに抗うように、腕を掴む手に力を入れたあたしは腹を括ってた。



「おい、アリ——」


「ハクトを連れて行かないで」


 言葉を遮ってそう言ったあたしを見るミヤビの目が、更に冷たいものになった事に、ミヤビを真っ直ぐ見据えるあたしは当然気付いた。

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