嘘吐き


「――お前さ」


 少しの沈黙のあと、真っ直ぐにあたしを見て、妙に落ち着いた声を出したミヤビには、もう喧嘩を買ってやろう感じも、因縁付けてくるような感じもなかった。



 ただそこで言葉を止めて黙り込んだから、ロクでもない事を言われるんだろうとは思った。



 けど。



「何?」


 あたしはミヤビを促すように聞き返した。



 理由は自分でも分からないけど、聞き返しても大丈夫な気がした。



 仮令ミヤビがあたしの答えたくない事を聞いてきたとしても、ミヤビはあたしが「答えない」っていう選択をする事を許してくれる気がした。



 そんな気がしてるくらいだから、そういう内容の話をされるんだと気付いてたんだと思う。



 雰囲気的に悟ってたんだろうと思う。



 そして当然その予想は、間違っていなかった。



「最後にもう一回確認するだけだからブチギレんじゃねえぞ?」


 さっきまで散々ブチギレてたのは自分のくせに、そんな前置きをしたミヤビは。



「ハクトって男、お前はマジで知らねえんだな?」


 その言葉をゆっくりと吐き出した。



 言葉を選んでるって感じのその言い方は、躊躇ってるようにも感じられた。



 その所為か、前回の中国料理のお店でのような、追い詰められそうな気分にはならなかった。



 ただ。



「――知らない」


 ミヤビの言い方がどんなものであっても、あたしの答えは変わらない。



 この件に関して本当の事を言うつもりなんて一切ない。



 そもそもあたしはミヤビがさっき言った事だって全部を信じてる訳じゃない。



 あたしとの距離を詰めたのは情報を聞き出す為じゃないとミヤビは言ったけど、どこまで信用出来るか分かったもんじゃない。



 あたしに思惑がバレたからあんな風に言った可能性も大いにある。

 


 どこまでが嘘でどこまでが本当か分からない話を、鵜呑みにするほどあたしはバカじゃないし、他人ひとってものを信用してない。



 でも仮令、全てが本当だったとしても、兄貴の事に関して口を割るつもりは更々ないんだけど。



 ミヤビは黙って数秒あたしを見つめてた。



 真意を探るように——と感じるのは、あたしが嘘を吐いてる所為かもしれない。



 そうしてミヤビは一度目を伏せたあと。



「分かった」


 視線を戻して小さな声でそう言った。



「俺には何がどうなってんのか分かんねえし、何があったのかも分かんねえけど」


 言葉を続けながら、ミヤビがまた後列シートに手を伸ばす。



「この間も言ったが、お前が売春ってねえって言ったのを疑っちゃいねえ」


 話しながら視線を後列シートに向けて、一度動きを止めた。



 そして。



「何か——理由があんだろうな」


 独り言のようにそう言ったミヤビは、あたしに視線を戻すのと同時に後列シートに伸ばしてた手も戻してきた。



 その手には、あたしの学校の制服のブレザーがあった。



「お前のだろ」


 言葉と共に差し出された制服を受け取って見てみたら、内側にあたしがやった「アリス」って刺繍が入ってたから、あたしの制服に間違いない。



 けどこれは——。



「お前に似ても似つかねえ女がそれ着てたんだが、その女に心当たりあるか?」

 

 聞いてくるミヤビの声は静かだった。



 問い詰めようとか責めて立てようって感じはなかった。



 着てた女に心当たりはないけど、何で着てたかは知ってる。



 兄貴に話を聞いたから知ってる。



 けど。



「――ない」


 やっぱりあたしが言えるのは、嘘しかない。



 ミヤビが聞いてくる事は、全部兄貴に繋がってるから何があろうとも本当の事は絶対に言えない。



 仮令。



「そうか」


 本当は納得してないだろうミヤビが、そんな風に言ってきて、後ろめたさが芽生えたとしても。



「お前がそう言うならそれでいい」


 続けてそう言ったミヤビは、「移動するからどけ」と、あたしの頭に片手を置いた。



 撫でる訳じゃなかったけど、その手の置き方が妙に優しくて、後ろめたさが増してしまった。



 だからミヤビを直視出来なくて、目を逸らして体を避けた。



 ミヤビは黙って腰を上げてシートから離れると、あたしの頭に置いてた手を離して後部座席のスライドドアを開いた。



 ミヤビがミニバンから降りていく。



 そしてミニバンの前から回って運転席のドアを開ける。



 エンジンが掛かったままのミニバンの運転席に乗り込んだミヤビは、何も言わずに車を発進させた。



 後部座席の前列シートに今度はちゃんと座ったあたしは、制服とモッズコートを抱えてた。



 モッズコートが戻ってきた事も、制服のブレザーが戻ってきた事も、想定外だけど有り難い。



 特に制服のブレザーはもう戻ってこないだろうと思ってたから——と。



 そこまで思って、違和感を覚えた。



 ミヤビがこの制服を、どうしてあたしの学校の物だと分かったのか不思議に思った。



 いくら「アリス」って刺繍があったとしても、他の学校の別のアリスって可能性もある訳で。



 あたしのだって思ったって事は、この制服があたしの学校の物だと分かったからって事で——。



「――ねえ」


 不可解さから運転席に向かって声をかけると、「あん?」って言葉が返ってきた。



「この制服が何であたしのだって分かったの?」


「名前書いてあったからに決まってんだろ」


「そうじゃなくて、この制服が何であたしの学校のだって分かったの」


「校章ついてっからだよ」


「あたしの学校の校章、覚えてたって事?」


「いや、覚えてねえ」


「だったら何で——」


「写真」


「写真?」


「あん時撮った写真に校章写ってたからな」


「あん時って——」


「お前と初めて会った時」


「でもあの写真消したじゃん。あたしの目の前で。なのにどうして——」


「確かに消したなあ。バックアップ取ったあとに」


「は?」


「お前の目の前で消去する前に、データ飛ばしてバックアップ取ってあったんだよ」


「はあ!?」


「マジで消去したと思ってたのか、大バカ女子高生め」


 ぎゃははは——と声を出して笑ったミヤビは。



「ネットに流したりしねえから安心しろ」


 なんて、全く安心出来ない事を言う。



 騙したくせに「安心しろ」なんてよくもまあそんな台詞をぬけぬけと言えたもんだと思う。



「その言葉信じろっての!?」


「おう、信じとけ」


「消して! 今、消して! バックアップとか全部!」


「運転中」


「止まったら消して!」


「無理」


「何で!?」


「さあな」


「はあ!? 何なのあんた! マジ意味分かんない!」


「気が向いたら消してやる」


「はああ!?」


「精々頑張って俺の気を向かせろよ、アリス」


 こっちは何にも楽しくないのに、ミヤビは楽しげに笑って、バックミラー越しにあたしを見た。



 そして。



「お前は危機管理ってもんを覚えろ」


 なんて、あたしが兄貴に思うような事を、嘲るように笑って言ってくるからムカつく。



 やっぱりミヤビは信用出来ない。



 こんな奴相手に後ろめたさなんか感じる必要なかった。



 それでも何を言っても無駄だと分かってるから、ムカつく事しか出来ない。



 それがまたムカつく。



「おい。そんな事より俺はお前の地元まで送ってっていいのか?」


 全く「そんな事より」なんて軽く思える事ではないけど、そう言ったミヤビの質問の意味は珍しく理解出来た。



 ミヤビが、フルスモークのミニバンの後部座席にいるならまだしも、運転席にいるんじゃ目立って仕方ない。



 地元の人間にミヤビと一緒にいるところを見られたら困る。



 だからあたしの地元以外の駅で降ろしてって事を、どうしたって消化しきれないムカつきを隠さない口調で言ったけど、ミヤビは笑ってた。



 そうしてミヤビが送ってくれたのは、あたしの地元の繁華街がある駅の、ふたつ向こうの駅前だった。



 車が停まってすぐに後部座席のドアを開いて外に出た。



 マジでムカつくからミヤビの顔も見ずにさっさと帰ってやろうと思った。



 なのに。



「おい、待て」


 運転席から出てきたミヤビは、笑った声で呼び止めながら追いかけてきて、駅に行こうとするあたしの腕を掴んで止めると、あたしを自分の方に向かせた。



「写真はあとで消しとくから、そう不貞腐れんな」


「信じられない」


「まあ、そうだろうな。けど、今お前の目の前で消しても意味ねえだろ。バックアップまで消したかどうかは結局俺を信じるしかねえんだから。だから写真の事は俺を信じろ。ちゃんと消しといてやるから。――それより」


 そう言いながらミヤビが自分の着てるボアジャケットを脱ぎ始めたから、何をするつもりか分かってしまった。 



「お前は真冬の寒さナメすぎなんだよ」


 案の定、ミヤビが脱いだアウターをあたしに着せたから、途端にミヤビの温もりと匂いに包まれて、息苦しさを感じた。



「いらない」


「心配すんな。返せとは言わねえから」


「は?」


「お前にくれてやる」


「はあ?」


「お前は知らねえのかもしれねえけど」


 バカでも風邪引くんだぞ——と、ムカつく事を言ったミヤビは、そのまま車に戻っていく。



 そんなミヤビの後ろ姿を、着せられたアウターを断固拒否する事も出来ずに見つめるあたしは、ミヤビの温もりと匂いを感じる所為で、何だかミヤビに抱き締められてるような気分になって落ち着かなかった。

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