思考の謎
真横に止まった車が黒のミニバンだった時点で、ミヤビじゃないかとは思ってた。
以前乗せられたミニバンを覚えてて同じミニバンだと分かった訳じゃないけど、最近起こった事と黒のミニバンって事から考えて、そのミニバンに乗ってるのはミヤビである可能性が一番高いと思った。
ミニバンが真横に止まってから、驚くほど手際よく拉致された訳ではあるけど、その過程でミヤビだとは気付いてた。
スライドドアが開いた時、ドピンク色の髪がやけに目についたし、車内に引き込まれる時に思いっきり顔見たし。
だから実際に「終わった」のは、ミニバンが真横に止まった時だった。
けど、ミニバンが止まってからの出来事があっという間で、あたしの頭が「終わった」とようやく思ったのは、車内に入ってから。
「このクソ忙しい時に手間かけさせやがって、クソガキが」
ミヤビの低く唸るような声を聞きながら、遅すぎる確信を得た。
すぐにミヤビに殴られるか蹴っ飛ばされるかすると思ったけど、そんな事はされなかった。
それどころか、前列シートの窓際に座ってるミヤビは、あたしの腕を掴んだままではあるけど、あたしから目を逸らして、険しい表情で車の進行方向である正面に目を向けた。
痛いくらいに腕を掴まれてるし、これからどこに連れていかれて何をされるのかと考えただけで最悪の気分になって、変な体勢になってるのを正そうとも思えなかった。
上半身がシートの上に乗って下半身は床のまま、四つん這いみたいになってる格好で、険しい表情のミヤビの横顔とその向こうにある窓の外を見てた。
そんなあたしを乗せたミニバンは、結構なスピードで進んでいく。
この地域を離れようとしてるのは分かった。
多分「不思議の国」に連れていかれるんだろうと思った。
そこで何をされるかは分からないけど、無事に生きて帰れたとしても一生思い出したくない時間を過ごす事になるだろうと思った。
その予想が外れたと分かったのは、地元から離れたミニバンが、ニ十分ほど走り続けた頃。
「この辺でいい」
運転席に向かってミヤビが低い声でそう言って間もなく、ミニバンはどこだか分からない場所の大きな公園の駐車場に入って停まった。
「
ミヤビのその言葉に、運転席から「分かってます。気にしないでください」と男の声が聞こえてきた。
変な体勢の所為で視線が低いから顔は見えないけど、ふたりの話し方からして、運転席にいる男はミヤビより年下のようだった。
多分「不思議の国」の後輩か何かなんだろうと思う。
「じゃあ、先に戻ってます」
運転席の男がそう言ったのと同時に、運転席のドアが開いた音がして、人の気配が動いたのを感じてすぐにドアが閉まる音がした。
その直後。
「ぶっ殺すぞ、この野郎!」
物凄い勢いでこっちに顔を向けてきたミヤビが、迫力充分の怒鳴り声を上げた。
ただ。
「あのあと俺がどうなったか分かってんのか!? ああん!? お前がぶちまけた食いもんで服が汚れまくったのに、スマホが油まみれのベタベタで使いもんになんねえから、下の奴に着替え持ってこさせる為に店の電話借りる羽目になったんだぞ!」
思ってた感じと何か違う。
—―こいつ。
「結局スマホは使えねえから機種変だ、機種変! データ飛んでなかったからよかったもののバックアップしてねえデータが飛んでたらマジぶっ殺してたぞ!」
何言ってんの。
ブチギレてんのは分かるけど、ブチギレてるところが分からない。
いやまあ確かに、テーブルを持ち上げて料理の入ってる食器を落としたから、ミヤビの服が汚れた事もスマホが犠牲になった事も分かるし、それでキレるのも当然だろうと思う。
けど。
「しかもてめえ、俺をブロックしやがったな!? 機種変終わって電話かけてみりゃ繋がらねえとかナメてんのか! その所為でこのクッソ忙しい時にお前捕まえに来る羽目になっただろうが!」
一番にブチギレるのがそこなのかよって思ってしまう。
—―マジこいつ。
「おいコラ! 呆けた
一体何なの。
ミヤビはこれまでも、あたしが理解出来ない事ばっかしてくる奴だったけど、ブチギレる部分でさえ理解出来ない。
呆けるなって方が無理。
開いた口が塞がらない。
そんな、狐に抓まれたような、狸に化かされたような、何とも言えない気分のあたしに向かって、ミヤビは徐に顔を近付けてきた。
眉間に皺を寄せて、これでもかってくらいあたしを睨み付けながら、お互いの額がくっ付くくらいまで顔を近付けて。
「喋れや、コラ」
この場に於いて然程重要ではないだろうと思える要求を、低く唸るような声でしてくる。
そんなにも謝罪をして欲しいんだろうか。
てっきり斡旋の件の情報を聞き出そうとすると思ってたのに、いの一番に謝罪の要求とか想定外すぎる。
まさか謝らせる為に拉致したんじゃないかと錯覚しそうになる。
だとしてもしないけど。
何言われても何されても、喋るつもりは毛頭ない。
「喋れっつってんだろうが」
—―黙れ。
「距離感元に戻すんじゃねえ」
—―黙れ。
「お前と距離感詰める為に俺がどんだけ苦労したと思ってんだ」
—―黙れ。
「喋れアリス」
—―黙れ。
「何でもいいから喋れ」
—―黙れ。
「一言でいい」
—―黙れ。
「声、聞かせろ」
「—―は?」
思わず声が出てしまった。
徐々に声のトーンを落としていったミヤビが、最終的に睨み付けてた表情を曇らせてバカみたいに切なげな声を出したから、意表を突かれてしまった。
途端にミヤビは顔を離した。
口許に少しだけ柔らかい笑みをつくってるように見えるのは気の所為なんだろうか。
呆然とするあたしの視界の中、前屈みになってた姿勢を正してシートに座り直したミヤビは、掴んでたあたしの腕を離して小さな溜息を吐いた。
そして。
「しょうがねえから勘弁してやる」
なんて、理解出来ない事を言う。
その上。
「お前、アウター忘れてったろ。まさかと思って来て見てみりゃマジでアウター着てねえし。お前、あれしか持ってねえのかよ。だったら忘れてんじゃねえ。バカかよ」
ぶつぶつと文句を言いながら、後列シートに手を伸ばし、あたしのモッズコートを掴んで戻してくる。
モッズコートを返してくれるらしい。
それはとっても有り難い。
凄く凄く有り難いけど——。
「送ってってやるからそこどけ。運転席行けねえだろ」
意味が分からない。
体を動かそうとしてるあたり、ミヤビは本当に運転席に行こうとしてるらしかった。
わざわざあたしの地元まで来てあたしを拉致ったくせに、これで終わりのようだった。
意味が分からない。
てか、ミヤビが分からない。
一体何を考えてるのかほんの少しも分からなくて——。
「――ねえ」
自分から話しかけてしまった。
ミヤビは目顔で「ん?」と言った。
そんな表情する意味も分からない。
「……あたしに斡旋の事、聞きに来たんじゃないの?」
「あん?」
「だから今日来たんじゃないの?」
「はあ?」
「だってその為にあたしとの距離詰めてたんでしょ?」
「はああ!?」
「あたしを手懐けて情報聞き出そうとしてたんじゃ——」
「バカがふざけた事言ってんじゃねえぞ! 何で俺が情報聞き出すが為にそんなクソ面倒臭え事しなきゃなんねんだよ!」
「――は?」
「お前、俺を誰だと思ってんだ!? この俺が情報の為だけにそんな回りくどい役割させられる人間だと思ってんのか!? 『獣神』のミヤビをナメんじゃねえぞ、この野郎! 情報なんてもんは相手半殺しにして聞き出すもんだろうが! マジお前ナメてんなあ!? 俺の事大概ナメてんなあ!?」
「あ、あんたが言ったんじゃん」
「ああ!?」
「苦労して詰めた距離見事に元に戻したって、あんたが言ったんじゃん!」
「その通りだろうが! 俺が苦労して詰めた距離、お前は一瞬で元に戻しただろうが! そういう奴だろうと思ってたがマジでやりやがって! クソが!」
「はあ?」
「ああん!?」
「あんた——何言ってんの?」
「それはこっちの台詞だ! 訳の分かんねえ事ばっか言いやがって! 喧嘩売ってんのか!?」
「じゃ、じゃあ何で距離詰めんの? 苦労してまで距離詰める意味って何?」
「知らねえよ!」
「は?」
「知らねえっつってんだよ! 文句あんのか、この野郎!」
「はあ?」
「マジで喧嘩売ってんならマジで買うぞ」
—―はああ?
そう思ったあたしと、本気で喧嘩を買いそうな声を出したミヤビ。
本当に思考がおかしいのは一体どっちなんだろう——なんて、ミヤビが余りにも自信満々に言葉を吐いてくるから、もしかしたらミヤビの言う通り本当にあたしの方がおかしいんだろうかと、有り得ない疑いを持ってしまった。
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