終わり確定


 始業式の朝、スマホに入ってるミヤビの連絡先を全てブロックした。





 これまでの人生で後悔してる事はいっぱいある。



 その数ある後悔の中に、またひとつ後悔が増えた。



 中国料理のお店の個室から逃げた時、お店の人に預けてた所為で、モッズコートを忘れてきた事が悔やまれる。



 あの時はとにかく逃げるのに必死だったから仕方ないとは思ってるけど、アウターがなくなったのはキツい。



 バカな兄貴が、置いていけって言ったダウンのコートを着て行った所為で、手持ちのアウターがなくなった。



 真冬にアウターなしで生活する羽目になるとか、あたしは一体前世でどんな蛮行を働いたんだろうか。



 仕方ないから学校へは、制服のシャツの上に厚手のセーターを着て行った。



 別に先生に注意されたりする訳じゃないけど、みんなが制服着てる中、セーター着てるのがやけに目立ってる気がして嫌だった。





 たった一晩で状況が一変も二変もした冬休み最終日の翌日、学校で会ったルナは約束通りバイトについて話してくれた。



 ただ、ルナの話は兄貴が言ってた事を裏付ける程度の内容で、特に新しい情報もなければ、安心出来る要素もなく、ルナ自身は兄貴よりも今のバイトの雇い主の奴らの事を知らなかった。



 あたしが気付いてなかっただけで、ルナは結構前から雇い主を変えてたらしい。


 

 ルナから話を聞きながら、そういえばジュンヤがそれらしき事を言ってたのを思い出した。



—―ルナってちょっとヤバい事に手え出してんだろ? ルナとはあんま関わんなよ。



 ちょっとヤバいどころの話じゃなかったんだけど。



 かなりヤバい事だったんだけど。





 兄貴から聞いた地元の情勢とやらを考えて、もしかしたら今はジュンヤもヤバい奴らからバイトを請け負ってるかもしれないと思ったけど、敢えてジュンヤに何も聞かないでおいた。



 もうこれ以上あたしの周りにバカがいると認識したくない。



 知ってどうにか出来る事ならいいけど、知ったところでどうにも出来ない事が増えるのは、不快な思いをするだけで何の得にもならないのは目に見えてる。





 気持ちとしてはルナにバイトを辞めるように言いたかった。



 でももう今更辞められないのは分かってるから言わなかった。



 そもそもルナが決めた事に口出しする権利はないし、兄貴曰くルナはあたしよりも遥かに地元の情勢ってものを分かってるらしいから、ルナはルナなりに考えて自分にとって最善の選択をしたんだろうし。



 あたしに出来る事と言えば、あたしが巻き込まれないようにする事くらい。



 既に何度かルナのバイトについて行ってるから、全く無関係って訳にはいかないんだろうけど。





 リオンさんには始業式の翌日に、兄貴の件のお礼を言う為に家に会いに行った。



 あの日と同じように、門扉を挟んで話す事になったリオンさんは、お礼と一緒にあのあとあった事を簡単に説明するあたしの話を黙って聞いていた。



 兄貴から聞いた地元で起こってるゴタゴタについては、当然知ってるようだった。



 もしかしてリオンさんなら、兄貴が付いてる奴らの上の人間を知ってるんじゃないかと思って何となく聞いてみたけど、答えてはくれなかった。



 ただ雰囲気的に知ってる風ではあった。



 まあ、リオンさんが知らない訳がない。



 全てを話し終わったあたしに、リオンさんはこれからどうするのか聞いてきた。



 思ってたよりも事態が深刻だったから暫く考えると答えた。



 地元の情勢を誰よりも知ってるであろうリオンさんは、「動き方を間違うなよ」と、脅すような口振りで忠告しただけで、他には何も言わなかった。



 あたしとしては、間違うも何もそもそも動き方が分からないと思ったのだけど。





 兄貴はちゃんと母さんの所に行ったようだった。



 同じ地域内とはいえ、ギリギリ同じ地域ってくらい、この地域の端っこに住んでる母さんの所に行った兄貴は、「いつまでここにいなきゃいけねえんだ」と、その日のうちに不満のメッセージを送ってきたけど、お前が撒いた種だろうと返す以外になかった。



 現状で、唯一の救いは兄貴を隠せた事だった。



 兄貴にとっては苦痛でしかないかもしれないけど、安心する要素がひとつでも出来たあたしには、嬉しい結果だった。



 ただいつまでもこの状態が続くとは思ってもいない。



 あのバカ野郎兄貴がいつまでも母さんの所で大人しくしてる訳がない。



 兄貴が次のバカな行動を起こす前に何とかしなきゃとは思うけど、あたしに出来る事なんて何もない。





 いくら考えたっていい案なんか浮かばない。



 ただ時間が過ぎていくだけで、状況は変わらない。



 所詮、力もお金もないただの高校生に、この状況を変える事なんて出来る訳がない。



 ただ焦りばかりが増していく。



 日が経つごとに増していく焦りは、許容出来ないほどの不安を——。





「――アリス!」


 寒いからさっさと家に帰ろうと、学校が終わってすぐに昇降口から校門に向かってたあたしは、後ろから聞こえたジュンヤの呼びかけに、足を止めて振り返った。



 小走りに近付いてきたジュンヤは、「遊びに行かね?」と聞いてくる。



 そんな気分じゃないから「行かない」って答えたら、ジュンヤは「最近アリス冷たくね?」と不貞腐れたように言った。



 色んな事が起こりに起こった、始業式前夜から数日。



 別にジュンヤに冷たくしようと思ってる訳じゃないけど、正直それどころじゃなくて、誘いを断り続けてるのも確か。



 でもそれを自覚してるからって。



「そういう気分じゃないだけ」


 何がどうなる訳でもない。



 答えて歩き始めると、ジュンヤも並んで歩き始めた。



 ただジュンヤが隣にいるってだけなのに、妙にイライラしてしまう。



—―ストレス過多だ。



 ここ数日、これからどうしたらいいのかずっと考えてる所為で、色んな事が煩わしくて仕方ない。



 状況も、事態も、人間関係も、何もかもが煩わしくて。



「まあ、そういう時もあるよな。てかアリス、今月末誕生日だろ? プレゼント何がいい?」


 逃げる場所なんてあたしにはどこにもないのに、全てを捨てて逃げ出したくなる。



 いつもと変わらない感じで誕生日の事を言ってきたジュンヤに目を向けると、ジュンヤは眉を上げて「ん?」と目顔で聞いてきた。



 その仕草さえも、もうどうしたって煩わしい。



「何もいらない」


「欲しい物ないのか?」


「ない」


「アウターは? アウターにしようか?」


「いい。いらない」


「何で? モッズコートなくしたんだろ? ダウンのコートもハクトさんに取られたって言ってたし、アリスずっとアウター着てねえじゃん」


「そうだけど、別にいい」


「だって寒いだろ? つか、見るからに寒そうだし。うん。誕生日プレゼント、アウターにするわ。どんなのがいい? やっぱダウンがいいよな。でもどうせならアリスが気に入る物がいいし、今度の休みに一緒に買いに行かね? 早めにプレゼント渡すって事で——」


「悪いけど、今はひとりにして」


 ジュンヤが悪い訳じゃないってのは分かってるけど、今は能天気に誕生日プレゼントの話をしてる場合じゃないし、煩わしいって気持ちが増した所為で、口から出た言葉が酷く冷たい言い方になってしまった。



 でもそれが分かってたとしても、自分を制御する事も出来ない。



 冷たいあたしの態度に、驚いたのか気分を害したのか分からないけど、ジュンヤは校門前で足を止めた。



 そんなジュンヤに、「また明日」と言って歩き続けるあたしを、ジュンヤは追いかけてはこなかった。



 ひとりになった途端に、さっき感じてたイライラがなくなったあたり、今のあたしは自覚してる以上に人と接する事がストレスらしい。



 このままだと、今のあたしの人間関係は、然程時間がかからないうちに終わってしまうと思う。


 

 だからって、何がどうって訳もないけど。


 

 今はそういう事を考えるのすら嫌になるくらいストレス抱えてんだけど。



 家に向かって歩きながら、投げやりな状態になってる事をヤバいと思った。



 考えなきゃいけない事がいっぱいあるのに、投げやりになってる場合じゃない。



—―マジでこれからどうしよう。



 そう思った時だった。



 昼間はひと気のない、ボロいマンションがある団地に続く道を曲がった直後、後ろから聞こえてきた急スピードの車のエンジン音が、急ブレーキをかけて真横で止まった。



—―は?



 何が起きたのか確認しようと目を向けた途端にヤバいと思った。



 真横に止まってたのが黒いミニバンだったから嫌な予感がした。



 後部座席のドアがちょうどあたしの立ってる場所にある。



 それが更なる嫌な予感を与えて——。



 ミニバンの後部座席のスライドドアが開いた。



 ミニバンの中から手が伸びてきた。



 伸びてきた手があたしを捕まえて、ミニバンの中に引っ張り込んだ。



 途端にスライドドアが閉まってミニバンが急発進する。



 殆ど放り込まれた状態で車内に入ったあたしの体は、体勢を崩して半分寝そべったカタチで前列ベンチシートの上。



 そして目の前には。



「このクソ忙しい時に手間かけさせやがって、クソガキが」


 あたしを腕を掴んだまま睨み付けてくるミヤビの姿。



—―終わった。



 そう思った。

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