予想以上の深刻度


「何で分かんないの!? あんたどこまでバカなの!? そこら辺歩いてる小学生にだって分かるような事が何で分かんないのよ!」


 拳の代わりに口から出した言葉は、自分でもびっくりするくらい大きな声だった。



 兄貴はそんなあたしに相当驚いたらしく、「バカって言う奴がバカなんだ」なんて、そこら辺を歩いてる小学生ですら言わないような子供みたいな言い返しを、尻すぼみな言い方でしてきたから、手の施しようがないバカだと痛感した。



「有り得ないとは思うけど、上の奴の名前すら知らないんじゃないでしょうね!」


 有り得ないとは思うけど——なんて言いながら、余裕で有り得ると思ってた。



 その思いが正しい事を証明するように、兄貴は言葉に詰まりやがった。



 こんな地域で生まれ育ったくせに、危機管理能力が低すぎて呆れる。



 こういうところが、いつまで経っても「弱者被食者」側たる所以なんだろう。



 お願いだからもうちょっと頭を使って生きて欲しい。



「『獣神』が何であんたを探してるか分かってる!?」


 あたしの質問に、「誰かが口割ったからだろ」と、兄貴はまたバカな返答をした。



 そういう事を聞いてんじゃないのに、この状況でそういう事だと捉える神経が分からない。



「そうじゃなくて何の為にかって意味よ! どういう理由であんたを探してるか分かってんのか聞いてんの!」


「はあ? んなもん知らねえよ!」


「『獣神』の目的は、斡旋の大元を突き止める事でその過程であんたを探して捕まえようとしてんの! つまりあんたは捕まったら、大元が誰か聞かれんの! そしたらあんたどうすんの!?」


「どうするも何も知らねえもんはどうしようもねえだろ!」


「だからあんたはバカだって言ってんのよ! その言い草が通用すると思ってんの!? はいそうですかって解放してもらえると思ってんの!? どうしたって隠してるとしか思われないでしょ! そしたらあんた、口を割らせる為に何されるか分かったもんじゃないんだからね!?」


「じゃ、じゃあどうしろってんだよ! 誰かに上の奴の名前聞けってのか!?」


「聞いたって教えてもらえる訳ないでしょ! それが狙いなんだから!」


「はあ!?」


「上の奴らは、何かあった時にあんたみたいな人間を矢面に立たせて自分たちは逃げようとしてんだって! だから姿を見せないし、名前すら隠してんだって事が何で分かんないの!? トカゲの尻尾と同じで、あんたは簡単に切り捨てられるんだって!」


「だ——としても、俺にはどうしようもねえだろ! 俺だけじゃねえよ! 他の奴らだってどうしようもねえ! あいつらが地元ここを仕切り始めたら、地元の奴らは大抵みんなそうなんだろ!」


「他の奴らなんかどうでもいい! あたしはあんたの話してんの!」


「だから俺にはどうしようもねえんだって!」


「逃げて」


「はあ?」


「『獣神』に見つからないように暫くどっかに隠れてて」


「どっかってどこだよ!? 俺が行くとこなんか地元以外にねえぞ!? 地元じゃ行くとこ限られてるし、誰かに聞かれりゃ結局見つかんだろ!」


「地元でも見つからない場所が一箇所ある」


「どこだよ」


「母さんの所」


「はあ!? ふざけてんのか!? 何で俺があんな奴のとこに行かなきゃなんねんだよ!」


「そこしかないでしょ! あんたの周りの人間であんたがあそこに行くなんて誰も思わないから、誰に聞かれたってあそこを言う奴はいない!」


「無理だ! つーか、絶対ぜってえ嫌だ! あんな奴のとこに行くくらいなら——」


「『獣神』に捕まるよりマシでしょ!」


 ぐっ——と、分かりやすく兄貴は言葉を呑み込んだ。



 現状で一番の解決策だとは本人も分かってるらしい。



 黙り込んだ兄貴は、不貞腐れた顔で一点を見つめたまま動かなくなった。



 多分兄貴は頭の中で、「獣神」と母さんを天秤にかけてる。



—―それにしたって。



 兄貴が今下に付いてる連中が、どれだけ力があるのか知らないけど、地元うちみたいなロクでもない奴らばかりがいる地域を、どうしてそうも簡単に乗っ取れたのか不思議で仕方ない。



 今まで一度もそんな事が起こった事はないのに。



 あの「獣神」ですら、自分たちに害がなければ表立って手を出してこないで放置する事を選ぶほど、ロクでもない人間が集まる地域なのに。



 そんな場所をたった数ヶ月で乗っ取りそうなところまでいってるなんて考えられない。



 なら。



—―そいつら金も力もかなり持ってて。



 お金か。



 お金で買収されて寝返った奴らがいたのか。



 地元ここなら有り得る。



 自分の利益しか考えてないクソ共ばかりが集まってるだけに、その手を使えば逆に簡単なのかもしれない。



 お金って事はもしかして——。



「……ねえ」


「あ?」


「あんたルナを引き込んだの?」


「誰を何だって?」


「あたしの友達のルナ。あんたが仕事に引き込んだの?」


「はあ? 俺が引き込んだ訳じゃねえよ。向こうから言ってきたんだよ。あの女はお前と違って地元の情勢を気にしてっから、勝ち馬に乗ろうとしたんだろ。あいつらの下で仕事したいから紹介してくれって言われたんだよ」


「もしかして、もう既にそいつらは『獣神』を乗っ取る為に動き始めてんの?」


「何でだよ?」


「いいから言いなさいよ! 何か知ってんの!?」


「まあ、そういう話は——チラッと聞いた」


「どんな話?」


「『獣神』の縄張りの中に潜り込んでる奴がいるって。そいつが『獣神』の情報をこっちに流してるって」


「じゃあ、あのお金は——」


「金? 金って何だよ」


「今日ルナが『獣神』の縄張りにお金を運ばされてた。しかも結構な大金だと思う。見た訳じゃないから金額は分かんないけど」


「そりゃ多分、潜り込んでる奴に資金渡したんだろ」


「何で人に運ばせんの? 銀行でもいいじゃん」


「犯罪組織だからだよ。金融関係通してると何かあった時に芋づるでバレんだろ。ああいう奴らはいつだって直で現金動かすんだよ」


—―嗚呼、何か。



 思ってたよりも事態は深刻かもしれない。



 あたしの周りの人間が悉くややこしい奴らに関わってる。



 今後もルナはお金の配達をさせられるだろうし、そしたらそのうち『獣神』に捕まるかもしれない。



 捕まってもルナだって上の奴らを知らないだろうし、そんなルナが言える名前なんて精々兄貴の名前くらいしかない。



—―悪循環だ。



 だからって、ルナは今更もう手は引けない。



 一度でも関わった以上、手を引かせてもらえる訳がない。



—―マジで。



 どうしてこうもあたしの周りにはバカしかいないんだろう。



 そしてあたしはいつだって、そのバカに振り回されてる。



 巻き込まれたくないのに巻き込まれて、関わりたくない事に関わる羽目になって、平穏な生活なんて夢のまた夢だ。



 人生に於いて、大した希望がある訳じゃないのに。



 ただ毎日を平穏無事に送りたいだけなのに。



 そんな、地域外ソトの人間が当たり前にさせてもらえるようなな事が、どうしてあたしにはさせてもらえないんだろう。



 神も仏もあったもんじゃない。



「で? 決めたの?」


 そのあたしの問いかけに、不貞腐れてた兄貴は、不貞腐れた顔のまま小さく頷いた。



 そして。



「行きゃいいんだろ、ババアのとこに」


 吐き捨てるようにそう言って、「クソが」と毒突いた。



「外ウロつかないで家の中にいなよ」


「分かってんだよ」


「あと、そのコート置いてって」


「はあ? モッズコートの方を俺に着てけっつーのかよ」


「モッズコートない」


「はあ!?」


「なくなった」


「なら俺どうすんだよ!」


「知らないっての。自分でどうにかしな。てかあんた、あたしの制服のブレザー知らない?」


「借りた」


「はあ?」


「しょうがねえだろ! 女子高生用意しろって言われて用意出来なかったんだよ! んだから、何とか用意出来たハタチの女に制服着せて行かせるしかねえってなって、制服が必要で——」


「お前マジで一発殴らせろ」


 凄んだあたしにバカな兄貴は、「誰のお陰で幸せな生活を送れてると思ってんだ、俺にもっと感謝しろ」などと戯言を言いやがった。



 そんな兄貴は翌朝早く、あたしのダウンのコートを着て母さんの所に行った。

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