バカな兄貴のバカな話


 たった一時間だった。



 ずっとあたしのメッセージや電話を無視し続けて、あたしがいない時を狙って家に帰って来てた兄貴が、リオンさんに頼んだだけで、あたしが家に帰った一時間後に帰ってきた。



 玄関のドアを開け、不貞腐れた表情かおで家の中に入ってきた兄貴は。



「俺を呼び付ける為にリオンさんを使うとかお前何考えてんだ!?」


 リビングにいたあたしを見るなり文句を垂れやがった。



 逃げ回った自分が悪いくせに、一言目が文句である事がムカつく。



 しかもきっちりあたしのダウンのコートを着てるところが更にムカつく。



「あんた何してんの!?」


「何って何だよ、生きてんだよ!」


 怒鳴ったあたしへの兄貴の返答が余りにもバカ丸出しでマジでイラつく。



 二ヶ月以上ぶりに会ったって、こいつのバカさ加減は変わらない。



 こいつと血が繋がってる兄妹きょうだいって事実をどうにかして消し去りたいって思うくらいに兄貴はバカだ。



「あんた今、誰の下で仕事してんの」


 兄貴のバカな発言を無視して詰め寄ったあたしの問いに、兄貴は「はあ?」と言った。



 ただその「はあ?」は、しらばっくれようとした訳じゃなく、あたしが今までした事がない質問をしたから、困惑してるらしい。



 眉をハの字にさせて、兄貴は数秒固まった。



 挙句。



「な——んだよ、急に! あれか!? あのホテルの事まだ怒ってんのか!? 何ヵ月も前の事だろ! 根に持ってんじゃねえよ!」


 口を開いたかと思えば、バカな事を喚く始末。



 今はそんな話をしてる場合じゃないのに。



「これまでだって何回も同じような事あっただろ! 別にいつまでも根に持つような事じゃ——」


「リオンさんから何も聞いてないの!?」


「――は?」


「あたしがあんたを呼んだ理由、リオンさんから聞いてないのかって言ってんの!」


「聞いてねえよ! リオンさんには今すぐ家に帰ってアリスお前と話せって言われただけだよ! いきなり電話かかってきたんだぞ!? どんだけビビったか分かるか!? つか何でお前がリオンさんを使ってくんだよ! お前、いつの間にリオンさんと仲良くなったんだ!? コートの時も思ったけど——」


「今はそんな話してる場合じゃない!」


「――はあ!?」


「あんた自分が今どれだけヤバい状況か分かってんの!? 分かっててそんなバカな事ばっか言ってんの!?」


「は? ヤバい?」


「ヤバいどころの騒ぎじゃない! あんた怒らせちゃいけないトコ怒らせてんだって!」


「ど——ういう意味だ?」


 そこでようやく兄貴の声が低くなった。



 瞬きを繰り返してるあたり、何が起きてるのかは分からなくても、相当ヤバい状況だって事は理解出来たらしい。



 つまりはバカでも分かるくらい、あたしが必死だって事なんだろう。



「あんた今、誰の下で仕事してんの」


「誰って——」


「あんたに騙されて封筒持って行ったホテルに誰がいたと思う?」


「誰って客以外にって意味か?」


「客が誰だったかって意味よ! あの時の客、『獣神』の『騎士』のひとりだった」


「はあ!?」


「あんたがやってる仕事のひとつの売春の斡旋、それが『獣神』の縄張りまで悪さしてるって、斡旋したのは誰か言えって言われた」


「言ったのかよ!? 俺の名前言ったのか!?」


「あたしが言う訳ないでしょ!」


「そ、そうだよな」


「でもバレてる」


「は?」


「あんたが斡旋に関わってるってバレてる。誰かが口を割ったんだと思う。『獣神』があんたを探してる」


「な——」


「マジで誰の下で仕事してんの。今まで他の地域ナワバリ荒らすような事しなかったのに何で急にこんな事なってんの。あんた、付く相手変えたでしょ」


「か、えたけど……」


「何でよ!」


「何でって、別に大した理由じゃねえって言うか、勝ち馬に乗っただけで——」


「はあ!?」


「お前はそういうのに興味ねえから知らねえかもしれねえけど、今地元うちはいろいろ情勢が変わってんだよ!」


「何よ、情勢って! 何がどう変わってんの!」


「言ったって元々そういう事に疎いお前に理解出来る話じゃねえって!」


「勝手にあたしを巻き込んどいて理解出来る話じゃないとかふざけてんの!? ナメた事言ってないで話しなさいよ!」


「絶対お前に理解出来る話じゃねえよ……」


 そう言って、兄貴がし始めた説明は、その殆どがマジで理解出来ない話だった。



 厳密に言えば、理解出来ないってよりも、理解したくもない話だった。



 兄貴曰く、何ヵ月か前に、元々地元ここを仕切ってた奴らに取って代わろうとする奴らが現れたらしい。



 しかもその取って代わろうとする奴らは、地元の人間じゃないらしい。



 自分たちの支配圏ナワバリを広げる為に、地元外ヨソからやって来た奴らなんだとか。



「最初の方こそ地元うちの奴らも抵抗してたけど、そいつら金も力もかなり持ってて、太刀打ち出来ないっつーか——今じゃもう勝負が見えてる」


 そう言った兄貴は、「だから付く相手を変えたのは俺だけじゃねえし、付く相手変えるのは当たり前の事なんだよ」と、バカな世界の当たり前を説いてきた。



 その上、「情勢とか状況を見極めるのは大事な事だろ」と、偉そうに言うから殴ってやりたくなった。



 見極めた結果、自分がヤバい状況に陥ってる大馬鹿野郎が。



「じゃあ、『獣神』の縄張りを荒らすような真似してんのはどういうつもり?」


 問うと、兄貴は「わざとだろ」と答えた。



 嗚呼もう嫌な予感しかしない。



「わざとってどういう意味?」


「『獣神』の縄張りまで狙ってんだよ、あいつら」


「はあ?」


『獣神』の縄張りあそこはめちゃくちゃデカいだろ。金もバカみたいにある地域だし。俺の予想じゃあいつらの最終的な目的は、『獣神』の縄張りあそこを乗っ取る事なんじゃないかと思う」


「……そんな事、出来んの?」


「分かんねえ。けど、絶対に無理だと言い切れねえくらいには、あいつら力持ってる」


「どんな奴?」


「何が?」


「あんたが言う『あいつら』の上にいる奴。どんな奴なの」


「知らねえ」


「はあ?」


「知らねえんだって」


「何でよ! あんたそいつらの下で仕事してんでしょ!?」


「そうだけど、俺らに指示してくんのはそいつらの中でも下の方の奴らだし、上の方の人間は地元ここにあんま来てねえみてえだし」


「顔も知らない人間の下で働いてるって事……?」


「別にいいだろ。金はちゃんとくれんだし」


—―バカが。



 そうとしか思えなかった。



 バカだバカだと思ってたけど、兄貴は思ってた以上にバカだった。



 こんな状況になってもまだ自分の立場がどういうものか分かってないらしい。



 そういう事に疎いあたしですら分かる事が分からないらしい。



 兄貴はマジで。



「あんた、自分が捨て駒だって分かってないの?」


 どうしようもないバカだ。



 あたしの言葉に兄貴は眉を顰めて「はあ?」と言った。



 マジで殴りそうになった。

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