油断は自分の為ならず


 何かあったらあたしの名前を出すようにルナに言ったのは、友達思いだとかルナを守ろうとかっていう高潔な理由からじゃない。



 罠だった場合、ルナなら簡単に口を割ると思ったから。



 それによって兄貴が捕まるのを回避しようとしただけ。



 だから最初から、配達場所まで行ったら、ルナの代わりにあたしが届けるつもりでいた。



 それが出来なくなったから、ああ言うしかなかった。



 あたしなら簡単に口を割ったりはしない。



 意地でも言わない覚悟はある。



 それに仮令、相手に屈して口を割ってしまったとしても、自分でやった事なら納得も出来る。



 他人ひとに自分の行く末を委ねるなんて真っ平御免だ。



 そう思ってるから、「不思議の国」の駅に向かって走りながら、ルナの配達先に罠が仕掛けられてませんようにと祈りつつ、罠であってもルナが謎の友情だか責任感だかを芽生えさせて、あたしが言った事を反故しませんようにと願った。



 それと同時に、ミヤビに呼び出された理由は何だろうと不安でもあった。



 聞きたい事があるって言ってたけど、直接会わなきゃならない理由が分からない。



 もしかしたら今あたしが「不思議の国」にいる理由を全て知ってて、あたしを捕まえようとしてるんじゃないかって、疾しい事しかないだけに不安だった。



 でもどうやらそういう訳ではなさそうだと、ミヤビに会ってすぐに分かった。



 駅前に、言われてた時間を余裕で過ぎてから着いたあたしを、「連絡してこい」って言った割には待ってたらしいミヤビが、走って近付いたあたしを見た途端、呆れたような嘆いてるような珍妙な表情をつくった挙句。



「俺はどっから突っ込みゃいいんだ?」


 物凄い脱力感のある声で、溜息と共にそう言ったから、雰囲気的に予想は外れたと分かった。



 でも。



「は? 何?」


 怒ってる感じもあたしを捕まえようとしてる感じも全くなくて、ホッとはしたけどミヤビが何を言ってるのか分からない。



 どっから突っ込むって一体何を——。



「まずお前はこのクソ寒い中、何でそんな薄いアウター着てんだ!? 季節感がねえのか感覚がねえのかどっちだ!?」


「……は?」


「しかも貧相さが増してんのは何のつもりだ!? 増させられんの!? お前ってあそこからまだ貧相さ増させられんの!? お前もう骨と皮どころか、骨すら何本かなくなってんじゃねえのか、その体!」


「はあ?」


「その上何だその、人生に倦み疲れた五十代独身のサラリーマンみてえなツラは! 女子高生だよな!? お前、本当に女子高生だよな!? 中身おっさんじゃねえよな!?」


「はああ?」


「いやマジで何なんだ、お前! 久しぶりに会ったかと思えば突っ込みどころ満載で、どっから突っ込みゃいいのか分かんねえじゃねえか!」


 突然喚き出したかと思えば、人の事を散々好き放題に言って、ミヤビは「マジ何? お前マジ何なの?」と馬鹿みたいに繰り返す。



—―いやマジで。



 お前マジ何なのはこっちの台詞。



 久しぶりに会ったって、ミヤビは喧嘩を売ってくる。



 いつだってこいつは——。



「飯行くぞ」


 言葉と同時に体が温もりに包まれて、甘いミヤビの匂いが鼻を掠めた。



 ミヤビが毎度の如く、自分の着てたダウンジャケットを脱いで、あたしの肩に被せた所為だった。



 ダウンジャケットを肩に被せたついでみたいに、ミヤビはあたしの肩を抱くとそのまま歩き始める。



 突っ込みどころが満載で、どこから突っ込んでいいのか分からない。



「な、何で」


「あん?」


「何でジャケット——てか、肩」


「何をぶつくさ言ってんだ、お前は。はっきり喋れ」


「め、飯とか何で——」


「飯食ったのかよ? つーか、食ってたとしても食え。貧相な体しやがって」


「でも話は? 話あるんじゃないの? それ終わったらあたしすぐ——」


「だから飯行くんだよ。こんな騒がしくてひと目に付くとこじゃまともに話出来ねえだろうが。だからって、お前を俺の家に連れてく訳にもいかねえし、家の他に静かでゆっくり話せる場所ってなると、個室がある飯屋くらいしか思い付かねえんだよ」


「そ、んな?」


「あん?」


「静かなとこでしなきゃいけない話って事……?」


「ああ」


「い、一体どんな——」


「何焦ってんだ? 疾しい事でもあんのかよ」


「べ——つに、焦ってない」


「つかお前、地図アプリ使えねえの?」


「は?」


「迷子になったって言ってたろ。地図アプリの使い方知らねえのかよ」


「……地元、滅多に出ないから」


「使った事ねえの?」


「……かな」


「地図アプリ使った事ねえくらい地元から滅多に出ねえお前が、今日は何しに来たんだよ?」


「……ちょっと用事」


「何の」


「別に何でもいいじゃん。あたしの勝手でしょ」


 されると思ってなかった質問をされて、何の嘘も思い付かなくて、誤魔化そうとしてる事を悟られないように俯いたあたしに、ミヤビは「まあ、関係ねえけど」と言ってそれ以上追及してこなかったから助かった。



 喋ってるとボロが出そうだから、それ以降は黙ってた。



 ミヤビも特に話しかけてくる事はなかったけど、肩を抱く手はそのままだった。



 そんなミヤビに連れて行かれたのは、中国料理のお店だった。



 店構えからして高級感のあるそのお店に入ったミヤビは、お店の人に個室に通すように要求した。



 前回行った小料理屋の時みたいに強引ではなかったけど、要求の言い方やお店の人の対応の仕方からして、初めて来たお店でもないみたいだった。



 まあ、「不思議の国」にあるお店だから、どこの店にも顔が利くのかもしれないけど、分かりやすくテリトリー感を出されて、落ち着かない気分になった。



 すぐにお店の人に個室に通されて、お店の人に上着を預けたら、テーブルを挟んだミヤビの向かい側に座らされた。



 お店の人にメニュー表を目の前に置かれたけど、見る気にはならなかった。



 起きてから何も食べてないし、お腹が空いてない訳でもないけど、テリトリー感出された所為か、何の話をされるのかという緊張感の所為か、食べる気分でも食べたい気分でもなかった。



 ミヤビはそんなあたしの気持ちを察したのか、それともあたしがメニュー表を見ようとしなかったからなのか、お店の人が注文を聞きに来ても、あたしには何も聞かずに、適当に食べ物と飲み物を頼んだ。



 注文した品が全て届くまで、あたしもミヤビも喋らなかった。



 ミヤビは小料理屋の時と同じようにずっと自分のスマホを見てた。



 沈黙の所為で重苦しいと感じる空気が漂う個室に、あたしのスマホのメッセージ着信音が鳴り響いたのは、最後の品がテーブルに置かれた時。



—―電車乗ったよ。何もなかった。



 そんな、ルナからのメッセージを見てホッとしたのも束の間。



「急ぎの用件か?」


 まるであたしのスマホのメッセージ着信音が鳴ったのをきっかけにするかのように、それまで見ていたスマホをテーブルに置いたミヤビが、徐に口を開いた。



「急ぎ——って?」


「電話しなきゃなんねえとか、行かなきゃなんねえとか、そういう連絡が来たのかって聞いてんだよ」


「あ――ううん。……そういうのじゃない」


「なら、俺の話始めていいか?」


「……うん」


「お前の地元の事で聞きたい事がある」


「あたしの……?」


「ああ」


「……何?」


「人を探してんだよ」


「人……?」


「ああ。名前は分かってんだが、新参者か何なのか今まで聞いた事ねえ名前で、どういう奴なのか分からなくてな」


「名前って——」


「お前の地元にハクトって男がいるらしいんだが、お前知らねえか?」


—―は?



「お前と初めて会った時、斡旋した先を探してるっつったろ。その件に、どうやらそのハクトって男が絡んでるらしい」


—―どうして。



「今までお前に、何であの時あそこに来たのか聞かなかったけど、もうそういう訳にはいかねえ」


—―どうして。



「お前何であそこに来た?」


—―どうして。



「勘違いすんなよ? お前が売春ってねえって言ったのを疑ってる訳じゃねえぞ。んでも、お前は封筒持ってあそこに来たろ。何で来た? 誰に指示された? 何があってああなった?」


—―どうして油断してたんだろう。



 あの時のあの話はもうなくなったんだって、何で思ってしまってたんだろう。



 当初あった危機感がどうしてなくなってしまってたんだろう。



 あたしは一体何のつもりで、ミヤビがその件から手を引いたんじゃないかと勘違いしてたんだろう。



 ミヤビがその件に触れてこないからって、何もかもが終わった気でいた。



 何も終わってないのに。



 何ひとつ終わってないのに。



 それどころか。



「ハクトって男を知ってるか、アリス」


 あたしの知らないところでは最悪の事態にまで進展してたのに。

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