熱とスマホと連絡先と


 熱い。



 熱い。



 熱い。



 ミヤビと接触してる部分がやけに熱い。



 視界を遮断されてる所為で妙に感覚が研ぎ澄まされて、ミヤビに触れられてる所ばかりに意識が向く。



「お前いつまでそこにいんだよ。さっさと仕事に戻れや」


 あたしの腕を引っ張った男に向かってのものだと分かる、横暴としか言えない内容の言葉を吐いたミヤビのその声も、あたしの耳の近くから聞こえたから耳の奥が熱くなる。



 はいすみません仕事に戻ります――と、男の焦った声が聞こえて、すぐに正面にあった気配が遠ざかっていく。



 だけどあたしの背後にいて、もう完全にあたしを抱き締めてると言っていい体勢のミヤビは、全然離れようとしてくれない。



 それどころか。



「言わねえのかあ? 一晩中こうしてても俺は別に構わねえぞ」


 身長差がちょうど頭ひとつ分くらいのあたしの頭の天辺に顎を乗せて、絶対に嫌だと思う事を言ってきた。



 目許を手で覆われてるから周りは見えないけど、クラブに入る為に列になってた奴らは絶対こっちを見てる。



 そういう雰囲気を感じる。



 バカップルを見るような目で見てる。



 実際のあたしとミヤビは知り合いってほどの間柄でもないのに。



「てか、お前に聞きてえ事あんだけど」


 あたしとは違って確実に周囲の反応が分かるはずなのに、そんな事は全く気にしてないって感じでミヤビは口を開く。



 ミヤビがそんな風だから。



「お前の喋るツボって何だ?」


 もしかして近くにいるはずの人間がみんないなくなったんじゃないかと思ってしまう。



 ただ、仮令たとえそうだとしても。



「なあ、アリス。答えろよ」


 この距離感を受け入れる事は絶対に有り得ないんだけど。



「お前、そんなんで友達いんのか? いねえだろ、友達」


—―肘鉄を。



 喰らわせてやろうと思った。



 ミヤビがあたしの左腕ごと体を抱き締めてるから左腕は動かせないけど、右腕は自由だから思いっきり肘鉄を喰わらせればこの状態から脱出出来ると思った。



 なのに出来なかった。



 体が熱くて動かなかった。


 

 熱い。



 熱い。



 熱い。



 ずっと感じてた熱が体に籠ってる所為で、今じゃもうミヤビが触れてる部分以外も熱くて仕方ない。



 その所為で。



「……あんたのじゃない」


 出した声がちょっとだけ上擦った。



 あたしの言葉に、ミヤビは「あん?」と言った。



 頭の天辺に載ってるミヤビの顎かちょっと動いたから、多分少し首を傾げた。



 あたしの言った事の意味が本当に分からないって感じだった。



—―これは俺のだ。



 間違いなく、さっきそう言ったくせに。



 そう言って、左腕であたしを抱き締めたくせに。



「あんたのじゃない」


「何の話してんだよ?」


「絶対あんたのじゃない」


「おい、喋んなら分かるように喋れ」


「あたしはあんたのじゃない」


「だから一体何の話を——って、ああ、さっき俺が言った事か」


 そこでようやく、あたしの言ってる事が分かったらしいミヤビの声は、どういう訳だか笑ってた。



 だからもう嫌な予感しかしなかった。



 またからかわれるって分かってしまった。



「あれは俺の客だって意味で言ったんだけど——」


 言葉と共に、目許を覆ってたミヤビの右手が離れていく。



 直後に視界が広がって、当たり前にずっと在った現実に引き戻される。



「――何か期待させちまったか?」


 なんて言いながら、ミヤビは体を斜にして、口許に意地の悪い笑みを浮かべて、あたしの顔を覗き込んできた。



 マジで意地の悪い笑みだった。



 至近距離で見たから余計にそう思った。



 けどミヤビがそんな笑みを浮かべてたのは一瞬だけ。



 あたしの顔を見た途端、何故だか驚いたように笑みを消して目を見開いたミヤビは。



「お——まえ、何つー表情かおしてんだよ」


 訳の分からない事を言って、すぐにあたしから目を逸らし、自分の口許を隠すように右手で覆った。



 どういう表情をしてたのか自分じゃ分からないけど、あたしにとっては都合のいい表情をしてたらしく、体に巻き付いてたミヤビの左腕が離れていった。



 それと一緒に背中にあったミヤビの熱も離れていく。



 だけど今度は代わりに、初めて会った日のようにミヤビの左手で右手首を掴まれた。



 あたしの手首を掴んだミヤビは、こっちも見ないで歩き始める。



 クラブの前の路地を、大きな通りに向かって歩くミヤビは、何故かちょっと俯いてた。



 無言で大きな通りまで連れて行かれて、そのままその通りを横切った。



 一体どこに連れて行かれるのかと思ったあたしをミヤビが連れて行ったのは、人のいない裏通りだった。



 飲食店の裏口が並ぶその裏通りで足を止めたミヤビは、掴んでたあたしの手首を離して振り返り、あたしと向かい合うと自分の両腕を胸の前で組んで「で?」と言う。



 何が「で?」なのか分からなかった。



 だから黙ってミヤビを見上げてた。



 そんなあたしを数秒眺めてたミヤビは、徐々に眉をハの字にさせると、最終的に「はあ?」と言った。



「お前、俺に用事があって来たんじゃねえのかよ」


 ああそうだった——と、ここに来たそもそもの理由をすっかり忘れてしまってたのは、ミヤビが変な距離感で詰めてきた所為。


 

 そして用事を思い出した途端、コートの事も思い出してとても憂鬱な気分になった。



 でもとりあえず、今となっては全ての元凶にすら思えるスマホを返さなきゃここまで来た意味がないと、鞄からミヤビのスマホを取り出して、ミヤビに差し出した。



 なのに。



「何だよ」


 ミヤビはスマホを受け取るどころか、あたしが差し出したスマホを眉根を寄せて見てるだけ。

 


 挙句。



「連絡先交換してくれって意味か?」

 

 訳の分からない事を言う始末で、最早あたしの理解の範疇を超えた。



「これ返しに来た」


「あん?」


「これ、あんたのじゃないの?」


「はあ?」


「あんたのコートのポケットに入ってたんだけど」


「あん?」


「だからこれ——」


「ちょっと貸せ」


 そう言って、あたしの手からスマホを取ったミヤビは、充電の切れたスマホの表側と裏側を見て、「ああ」と言った。



 その言い方的に、スマホに思い当たる節があるみたいだったけど、ミヤビのスマホじゃないみたいだった。



 だったら一体誰のだよって思いと、それなら持ってこなきゃよかったって思いが、当たり前みたいに湧き上がってきた。



 ただその矢先。



「んで、コートは?」


 核心に迫る事を言われたから、湧き上がってきた思いは全部吹き飛んだ。



「このスマホ、俺のコートのポケットに入ってたんだよなあ? で、そのコートはどうした。見る限りコート持ってねえみてえだけど、それは俺の気の所為か? そのペチャンコの通学鞄の中にコートが入ってんのか?」


 持ってきてないって分かってて、嫌みな言い方をするミヤビは、白と黒のスカジャンを着てる。



 だから、コートを返せとは思ってないって言ったしスカジャンあるんだから別にコートはいいじゃんって思ったけど、それを口に出すほどあたしは非常識な人間じゃない。



 だけどまあ。



「……忘れた」


 絶対通じないであろう嘘をこの場で吐くくらい非常識ではあるんだけど。



「忘れただあ?」


「……うん」


「スマホは持ってきて、コートは忘れるって事あるか?」


「……知らない」


「おうおうおう、お前すげえな。ここで知らねえとか言えんのかよ? よくもまあこのタイミングで知らねえなんて言えたもんだなあ? お前どういう神経してんだ? つーか、根性据わりすぎじゃね? 前から思ってたけどお前――」


「持ってくるってば」


「――あん?」


「今度持ってくるからそれでいいでしょ」


「ほう」


「……いつになるか分かんないけど」


「おお、またすげえ事言ったな」


「ち、近いうちに持ってくる」


「本当かよ」


「持ってくるから——」


「連絡先教えろ」


「――は?」


「お前の連絡先」


「な、何で——」


「ヴィンテージモンなんだよ」


「ヴィン……?」


たけえからこれは絶対に返せ」


 そう言って、自分の着てるスカジャンを流れるような動作で脱いだミヤビは、慣れたようにそれをあたしの肩にかける。



 そして、「お前は毎度ひとり我慢大会でもやってんのか?」と戯けるような口調で言うと、あたしが返したのとは違うスマホを、デニムのパンツの後ろポケットから取り出した。



「い、いらない。スカジャンこれいらない」


「黙って連絡先教えろ」


「いらないってば」


「お前の格好は見てるこっちが寒くなんだよ」


「寒くないからスカジャンいらないっ」


「今日はよく喋るな、アリス」


「は?」


「お前、動揺すると喋んだろ」


「な——」


「マジでコート返すって言ってんなら、連絡先教えてそれ着て帰れ」


 ズルい言い方をされた。



 コートを返すって言った手前、何も言い返せなくなった。



 そんなあたしに向かって手を出してきたミヤビは「お前のスマホ貸せ」と言ってくる。



 従うしかなかった。



 回避する為の理由を咄嗟に思い付かなかった。



 無言のまま、鞄の中からスマホを出して、ロック画面を解除してミヤビに渡すと、ミヤビはとても手慣れた感じで、あたしと連絡先を交換した。

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