五里霧中


 人が何かに反応を示すのは、ある程度状況が分かってるからこそのものなんだと、経験をってして理解した。



 突然視界が遮断されて暗闇に包まれたあたしは、驚きに震える事も怖いと思う事も困惑から取り乱す事もなく、思考すら停止して声のひとつも出せなかった。



 そんな、何が何だか分からない、意味も状況も全く理解出来ない、突如目の前が真っ暗になるという現象に見舞われたあたしの腕が、誰かの手に掴まれた——と思った次の瞬間には、力いっぱいその腕を引っ張られて強制的に体を反転させられた。



 体が反転したのと同時に、視界が戻った。



 そうしてようやく事態を把握しようと頭が動き出したあたしの肩が、状況を理解するよりも先にがっしりと掴まれた。



—―は?



 なんて悠長に思ってる暇はなかった。



 肩を抱くように掴まれたと思った直後には、引っ張られてるのか押されてるのか何だかよく分からないカタチで何故か走り出していた。



 とにかく事態を把握しようと脳がフル回転し始める最中。



「――タ! ヒカリ! メグミ! 相手の男を止めろ!」


 突然、離れた前方から聞こえてきた男の謎の怒鳴り声。



 でもあたしの目はその声の方向よりも、左隣にいて何故かあたしを連れて走ってる人間に向いていた。



—―は?



 一体何がどうなってるのか分からないけど、あたしの左真横にはドピンクな髪色の「騎士」のミヤビがいる。



 眉を顰めて険しい表情をしてるミヤビが、あたしの肩を抱いてあたしを連れて走ってる。



 しかもどういう訳だかあたしはそのミヤビが着てる黒のロングコートの右片側に、頭から入り込んでる。



—―はあ?



 状況を把握して混乱した。



 頭の中は大混乱だった。



 そんなあたしとすれ違うようにして、いくつかの人影が走っていく。



 間もなく後ろから聞こえてくる怒号。



 本当に何が何だか分からない。



 現状は分かっても事態は把握しきれない。



 その所為で、足がもつれて上手く走れない。



 てかそもそも、何で走ってるのか分からない。



 もっと言えば、何でミヤビがいるのか分からない。



 この状況がいいものなのか悪いものなのか、皆目見当もつかない。



 それでも走ってた。



 走らされてた。



 足がもつれてる所為だけじゃなく足の長さの差もある所為で、ミヤビと並走出来ないあたしを、ミヤビは半分引きずるような感じで走ってた。



 ふたつ目の十字路まで行くと、ミヤビはそこを曲がった。



 風俗店が建ち並ぶ小路を、半ば倒れ気味になってても走らされた。



 前方から物凄い速さで近付いてくる黒のミニバンが見えて、こんな細い道をどんだけの速さで突っ込んでくるんだって思った。



 このままだと絶対に轢き殺される事になると思った時、そのミニバンが急ブレーキで止まった。



 あたしたちの数メートル手前。



 ブレーキがあと数秒遅かったら確実に轢かれてただろうって距離。



 ミヤビはあたしを連れてそのミニバンまで行くと、右側面に走り込む。



 ミニバンは何故か後部座席のスライドドアが全開だった。



 あたしはそのままミニバンの横を突っ切るんだと思ってた。



 なのにミヤビが走ってるその勢いのまま、開いてたスライドドアからミニバンに乗り込んだ所為で、あたしまで車内に入る羽目になった。



 ちょっと待ってどういう事——と思った次の瞬間、ミニバンが後部座席のドアを開けたまま今度は急アクセルで走り始めた。



 その所為で体勢が崩れたあたしを、ミヤビが車内なかが改造された後部座席の前列のベンチシートに押し込んだ。



 窓際に押し込められたあたしの隣にミヤビが座る。



 余りにも訳が分からなすぎて呆然とするしかないあたしに体を向けて座ったミヤビが着てたコートを素早く脱ぐ。



 そして。



—―は?



 脱いだコートをあたしに被せたから意味が分からない。



 頭からすっぽりと、まるであたしを覆い隠すような感じでコートを被された直後、車がまた急ブレーキで止まった。



「乗れ!」


 またしても視界を奪われたあたしに聞こえてきたのは、運転席の方からの大きな声と、ミニバンのクラクション。



 混乱してる上に走った所為で呼吸も乱れてるあたしが次に感じたのは、コート越しに後頭部に回された手の感触。

 


—―は?



 そう思った途端、後頭部に回された手に力が入って引き寄せられた。



 何も見えないけど、どうなってるかは理解出来た。



 右片腕でミヤビに引き寄せられて、今あたしの顔はミヤビの右肩に押し付けられた感じになってる。



 走って体温が高くなってるからかコート越しでもミヤビの熱を感じた。



 困惑と混乱で頭がいっぱいのあたしが、とにかくミヤビから離れようとしたその時、大きな音と共に車体が揺れた。



 それが、車内に人が入ってきた所為だからなのは、聞こえてくる音と人が動くいくつかの気配で充分理解出来た。



 後部座席のスライドドアが閉まる音。



 再び急アクセルで走り出すミニバン。



 猛スピードで、しかも今度はバックで走り出したミニバンの中には、乱れた呼吸を整えるような、いくつかの息遣いある。


 

 車内に何人いるのかも分からなかった。



 ミヤビの肩越しに、ほんの少しだけ出来たコートの隙間から、ミヤビの隣に人が座ってるのは見えるけど、体しか見えなくてどんな奴なのかは分からない。



 分からない事だらけだから言葉を発せなかった。



 どんな人間が何人いるのか分からないこの状況では、ミヤビを押し退ける事も出来なかった。



 ただ。



—―に、おいが……。



 ミヤビの右肩に顔がくっ付いてる所為で、ミヤビから微かに匂いがする。



 香水なのかコロンなのか柔軟剤なのか知らないけど、これまで嗅いだ事のない甘い香りに、頭の芯が痺れるような感覚になる。



 しかもその香りが、被ってるコートの中に籠るから矢鱈と気になる。



 甘いけど、甘ったるくはない香りに、身体からだを包まれてるようだった。



 そんな感覚に陥ってる中、ミニバンがスイッチターンをして前進し始めた。



 そこでようやく、一体どこに連れて行かれるのかと不安になり始めたあたしに、聞こえてきたのはミヤビの謎の言葉。



「お前らこっち見るんじゃねえぞ」


 低い声で唸るようにそう言ったミヤビは、あたしの頭を引き寄せてる手に力を入れた。



 その言動から予想するに、コートを被せてきた事からも考えて、ミヤビはあたしを隠そうとしてるらしかった。

 


 実際は丸見えだから、正確に言うと隠そうとしてる事を示したいって感じだろうけど。



 そのお陰で少しだけ不安が消えた。



 少なくともこの車内にいる数名に乱暴されるって事はないんだろうと思った——矢先。



 何となく視線を感じてコートの中で伏せていた目を上げると、と目が合って体が強張った。



 ミヤビの肩越しに、コートの隙間の向こうからあたしを凝視する、狂気を孕んだ目。



 カナタあいつがいる――と、至近距離にあるその目に思わずビビり上がったあたしに、多分ミヤビは気が付いた。



 だからだと思う。



 ミヤビがあたしの頭を抱くように、後頭部辺りにあった手を頭頂部の方に動かしたのは。



 お陰で俯くようなカタチになってカナタの視線からはのがれられたけど、その所為でミヤビからの匂いをさっきよりも強く感じて、息苦いとすら思った。



 そして。



「コハク見るんじゃねえ!」


 コートの向こう側で何が起こってるのかは分からないけど、急に大きな声を出したミヤビのその低音が、触れてる箇所から僅かな振動として伝わってきて、落ち着かない気持ちにもなった。



 だから。



「なあ、ミヤ——」


「コハク、どっかで俺降ろして」


 声の聞こえる方向からして多分運転手であろうコハクって男とミヤビとのやり取りを聞きながら。



「どこがいい?」


「どこでも」


 早くこの状態から解放されたいと思った。



 何で乗せられてんのか分からないミニバンから降りたいってのももちろんあるけど、ミヤビから離れたくて仕方なかった。



 そんなあたしの気持ちなんて当然知らないミヤビは、ずっとあたしの頭を抱えてた。



 どのくらいの時間そうされていたのかは分からない。



 視界が遮られてるから余計にだとは思うけど、気分的には長い時間そうされてたような感覚がある。



 息苦しく落ち着かないその状態からようやく解放されたのは、ミニバンが停まってすぐの事だった。

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