過ぎ行く日々の中で
あたしが生まれるずっと前に造られた、四階建ての鉄筋コンクリートの建物は、お世辞にも快適とは言えない、ボロいマンション。
外壁はいつ誰が描いたのか分からない落書きだらけだし、外壁の近くにある外灯も共用廊下の電灯もほとんど点いてなくて夜はバカみたいに暗いし、どっかの部屋から喚き声だか雄叫びだか泣き声だか分かんないものがしょっちゅう聞こえてくる。
そんなマンションの一室に住んで一年と少し経つ
古くて狭くて汚いリビングと、古くて狭くて汚い部屋がふたつある、そのマンションの一室に、学校から帰ってきてすぐ異変に気付いた。
兄貴と連絡が取れなくなって三日。
—―あの野郎。
元気に一旦帰ってきてやがった。
それが分かったのは、本来あたしの部屋にあるはずの、あたしがお金を貯めてるお菓子の缶がリビングに転がってるっていう「異変」を目撃したから。
—―またやられた。
見つかる度に隠し場所を変えても、意地でも見つけ出してあたしのお金を持っていくクソ兄貴は、今回もまた探しに探して見つけたらしい。
あたしの部屋がめちゃくちゃに散らかされてた。
ふざけんな——と腸煮えくり返ったけど、当の本人がいないから怒りをぶつける矛先もない。
ただ、いつも通りの行動をするあたり、クソ兄貴が元気な事だけは分かった。
連絡が取れないのは「獣神」に捕まったとかじゃなく、ただ単にいつものようにあたしから逃げる為に姿を晦ましてるだけらしい。
—―マジ、ふざけんな。
兄貴が家に帰ってきた痕跡を残すまでの三日間は、兄貴がどういう状態でどういう状況にいるのか分からなかったから、何度も送ったメッセージの内容は、どこにいるて何をしてるのかって質問と、とにかく連絡を寄越せって感じのものばかりだった。
兄貴が無事だって事が分かってから送ったメッセージの内容は、あたしのお金を持ってった事に対しての殺意を込めた文句と、兄貴のやってる仕事がヤバい事になってるからあたしがいる時間に帰ってこいって感じのものに変えた。
敢えて「ヤバい事」って言い方だけにとどめて「獣神」の件をメッセージに書かなかったのは、兄貴のスマホを誰が見るか分からないから。
それに、現状兄貴の身に何か起きてる訳でもなさそうだから、ニュアンスが伝わりにくい文字で言うより会った時に直接話すのがいいと思った。
メッセージだと伝わり方が変になって、本来のものとは違う騒ぎを引き起こすかもしれない可能性があるから、慎重にならざるを得なかった。
でも兄貴から連絡はこなかった。
あたしの「ヤバい事になってる」って言葉を、兄貴をとっ捕まえる為の罠だとでも思ってるらしい。
兄貴と連絡が取れなかったり会えなかったりする事以外は、これまでと変わらない日々が過ぎていった。
ううん。兄貴と連絡が取れなくなる事も会えない事もこれまでも普通にあったから、何も変わらない日々なのかもしれない。
学校に行って、週に三日バイトに行って、時々ジュンヤと夜に会ってセックスして、たまにルナの「
そんな、変わらない日々。
いつの間にか繁華街からハロウィンカラーが消え、道行く人たちが肌寒さに薄手のアウターを着るようになった。
ずっと連絡が取れないし会えてもいない兄貴は、あたしがいない時を狙って頻繁に家に帰ってくるようにもなった。
実際に帰ってるところを見た訳じゃないけど、毎回しっかり家に帰った痕跡を残してる。
ただまあ兄貴の身に何か起きてる感じはないから、それに関してだけは安心出来た。
兄貴がやってる仕事は他にもやってる奴が何人もいるし、そのうちの誰かが「獣神」に捕まったか、そもそも「獣神」が誰も捕まえられなかったって感じなんだろう。
あたしもそろそろアウターを着ようと思ったら、この時期用の薄手のモッズコートを、あたしが学校に行ってる間に帰ってきてた兄貴に持っていかれてて、また腸が煮えくり返る思いをした。
あのクソ兄貴は、あたしの物を自分の物だと思ってる節があってマジでムカつく。
過ぎていく日々が、これまでと何も変わらないものと言いながら、その「変わらない日々」は「良い方の」ではあった。
兄貴があたしを避けてるお陰で、あいつのシゴトに駆り出されなくて済む。
無事に生きてさえいてくれたら、兄貴がどこで何をしてようがどうでもいい。
クソ兄貴は元気そうだし、斡旋に纏わる件で「獣神」の噂を耳にする事もなかったから、いつの間にかあたしの中での危機感は薄れていった。
喉元過ぎれば何とやら。
人生ってのは
だから兄貴に「獣神」の事を伝えなきゃって気持ちも薄れていった。
気付けばあの出来事から、一ヶ月以上が経ってた。
あたしの中では、ハイエンドなホテルと「不思議の国」で起こった事や、ミヤビとカナタに会った事は、遥か昔に起こった出来事のような感覚になってた。
むしろ、たった数時間のあの出来事は、もしかしたら夢だったんじゃないかと。
そんな訳がないと分かっていながらもそう思ってしまうほど、薄ぼんやりとした記憶になっていってた。
過ぎ行く日々の中で、このまま時が過ぎて行けば、いつかはあの数時間に起こった出来事の全てを忘れて、時折ですら思い出す事もなくなるんだろうと思った。
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