超ヤバい男


 所謂いわゆるチェーン店なるものが駅前くらいにしかないこの地域で、あたしが家に近い場所で週に三日バイトしてるのは、世間一般で言うところのコンビニとスーパーの間って感じの、深夜まで営業してる小さな個人店。



 学校終わりから制服のまま日付が変わるまでバイト出来るなんてところから、労働基準法ガン無視のこの地域が如何に終わった場所なのかが窺い知れる。



 時給だってバカみたいに安い。



 最低賃金が世間のものよりも下振れすぎてる。



 それでも、週に三日だけとは言え、この地域でマトモな仕事にあり付けるだけマシではある。



 それにバイトの内容は、基本的にレジ打ちだけしてればいいっていう楽なものでもある。



 あたしがバイトしてる時間帯は、お店にそんなにお客も来ないし。



 お客が来ない間はレジがあるカウンターの内側なかで椅子に座ってスマホを見てたっていいし。



 カウンターの内側には小さいけどテレビも置いてあるから、見たけりゃ好きな番組見られるし。



 基本的に店番をするのはひとりだから誰に気兼ねする事もないし。



 ちょこちょこ来るお客だって顔見知りばかりで気を遣う事もない。



 そんな感じでしか働いてないのに、この地域の人間にとっては、あたしは真面目に働く方らしい。



 バイトの日に無断で休んだり遅刻したりしないし、バイト中に無断で外出したりしないし、店の物を盗んだりしないってだけで、真面目に働く人間だと分類される。



 この地域は真面目のレベルも下振れすぎてる。



 でもまあそのお陰で、このマトモで楽なバイトを続けられるからいいんだけど。



 そんな、店長から真面目と称され信頼を得てるあたしは、今日も今日とてカウンターの内側で椅子に座ってスマホを見てた。



 朝から兄貴に何度か送ってるメッセージが全然既読にならないから、メッセージアプリを何度も確認してた。



 その所為で。



「おい、レジ打たねえなら金払わずに酒持って帰るぞ」


 レジの前からそう声をかけられるまで、お店にお客が来てる事に気付かなかった。



 ハッとして、スマホの画面からカウンターの向こう側に目を向けて、ゾッとした。



 絶対相手にも分かるってくらい、体がビクリとしてしまった。



 それでも、ビールの六個缶パックを持ってレジの前に立ってるその男は何の反応も示さない。



 このお店に来るお客の中で唯一気を遣うその男は、ただ黙ってその狂気を孕んだ目を向けてくるだけ。



 昨日会った、「カナタ」って男と同じ目を。



「リ——オンさん、いらっしゃいませ」


 第一声が明らかに上擦ってしまった。



 でもリオンさんは、そうなった理由が恐怖からだと分かってるから、やっぱり何の反応も示さない。



 しくは、他人ひとが自分に対してそんな風になる事に慣れてるから、今更何も思わないのかもしれない。



「あと煙草。カートンで」


「あ――はい」


 知ってて当然って態度で煙草の銘柄を言わないリオンさんは、あたしの八歳だか九歳だか年上で、この地域で一番ヤバい人間だと言われてる。



 徒党を組んでのさばってる奴らが多いこの地域で、一匹狼のリオンさんが一目置かれる存在なのは、危ない人間だと誰もが分かってるから。



 リオンには構うな手を出すな――と、ヤバい事を大概やってる奴らですらルールとして設けるような相手であるリオンさんは、良心だとか情だとか思いやりだとか最低限の常識だとか、どんなロクでもない人間にだって少しくらいはある、そういう感情や感覚を一切持ち合わせていない。



 だから危ないヤバいと言われてる。



 リオンさんのヤバさについての話は有り余るほど聞いた事があるし、実際あたしも場面を目撃した事がある。



 正直ヤバかった。



 マジでヤバかった。



 路地裏で、もう虫の息って感じでぐったりしてる相手を、顔色ひとつ変えないどころか無表情で、手に持つフォールディングナイフで刺し続けてるリオンさんを見た時、その狂気じみた行動に一切の人間味を感じなくて震え上がった。



 そんなリオンさんが、この地域でしか名が知られてないのは、単純に他人や権力ってものに全く興味がないから。



 お金にしか興味がなくて、自分が快適であったら他はどうでもいい——と、そんな感じで生きているから、この地域から出る事もなく、怒らせさえしなければ特に何かをされる事もない。



 ただ情報は持ってる。



 快適に過ごす為に必要だからなのか、この地域の情報に精通してる。



 だからリオンさんなら兄貴の事で何か知ってるかもしれない。



 むしろ知らない訳がない。



 そう思ったから。



「リオンさん。聞きたい事があるんですけど」


 六個缶パックのビールをレジに通しながら、声をかけてみた。



「何」


 返ってきた声は気怠そうではあったけど、機嫌が悪そうな感じじゃなかった。



「あたしの兄貴が何してるか知らないですか?」


「お前の兄貴って誰だっけ」


「ハクトって名前で、金髪の——バカです」


「バカは外歩いてりゃ大量にいるだろ」


「えっと、ヒョロガリで、左の眉の辺りに結構大きめの傷がある——」


「ああ、あいつか。あいつが何」


「何してるか知ってます? 誰の仕事手伝ってるかとか」


「知ってたら何だ」


「教えて欲しいなって——」


「やめとけ」


「――え?」


「お前みたいな奴が、縄張りが何だ権力がどうしたっていう、くだらねえ争いアソビに首突っ込むな。下手に関わりゃずっぽりハマって抜けられなくなるぞ」


「でも——」


「聞こえなかったか? 俺は首突っ込むなっつったんだ」


 せめて兄貴が今どこにいるかを知ってるか聞きたかったけど、リオンさんの声が明らかに低くなったからもう何も言えなかった。



 ただ、リオンさんが言ってた内容からして、きな臭い事があるのは確かだと分かった。



 リオンさんの言う「縄張り」とか「権力」ってのは、この地域内でのって事だと思う。



 学生のあたしなんかは、基本的にこの地域を仕切ってるのが誰であっても然程変わりはしないからそういう事には興味もないけど、この辺りが最近ゴタついてるのは知ってる。



 今この地域を仕切ってる奴らに取って代わろうとしてる奴らが出てきて、派手に暴れてるとかって噂は聞いた事がある。



 それがどんな奴らなのかあたしは知らないけど、多分兄貴はそいつらの仕事をし始めたんじゃないだろうか。



 だとしたら、事態はあたしが思ってるよりも、もっとずっとややこしいのかもしれない。



「――アリス」


 考えを巡らせてた事に気付いたのかは分からないけど、リオンさんは財布から壱萬円札を取り出しながら、このお店で顔を合わせるようになって覚えたらしいあたしの名前を呼んだ。



 そして、あたしが「はい?」と返事をすると。



「お前の境遇じゃ難しいのかもしれねえが、兄貴とは出来るだけ距離取っとけ」


 見られるだけで背筋が凍る、その狂気に孕んだ目であたしを見据えた。

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