交換条件
纏ってる雰囲気が緩慢だから一見害がなさそうに見えるカナタが、本当は
分かったというよりも「知ってる」に近い。
同じ目をした人間を知ってる。
同じように狂気を孕んだ目をした、人を人とは思わない残忍な、超ヤバい男をあたしは知ってる。
—―こいつだけは嫌だ。
他の誰に渡されてもいいけど、こいつだけは絶対に嫌だ。
最終的に、叶えてもらえないと分かっていながらもいっそ殺して欲しいと泣いて懇願する羽目になる。
そんなのは嫌だ。
絶対に。
絶対に——。
そうやって、目の前が真っ暗になったように感じて頭の中が真っ白になるくらい完全にビビり上がってるのに、それでも長年育った環境で培われた処世術があるから、その感情を表面には出さずにいられた。
世間一般には使う事がない、こういう時にしか使えない処世だけど、その
ミヤビとカナタの目がこっちに向けられてるこの状態で、目許だけには力を入れてあたしは無表情でいられる。
そんなあたしを見て、身長がミヤビと同じくらいの所為で、見くだしてるように感じる視線を向けてくるカナタが小首を傾げる。
そして。
「で、何この子」
狂気を孕んだ目を逸らさず、害のなさそうな声を発した。
「ミヤビ年下好きだったっけ」
続け様に言葉を発したカナタは、そこでようやく視線をミヤビに向ける。
でもミヤビの目はあたしに向けられたまま。
「いや」
カナタの問いにそう答えても尚、その目が動かされる事はない。
目の前のふたりの男の動向を見つめるあたしの視界の中、カナタの視線が下降する。
そうしてカナタは、あたしの右手首を掴むミヤビの左手を眺めるようにして見つめ、ミヤビに視線を戻した。
「じゃあ、この子何?」
その疑問は当然だと思った。
手首を掴むという在り方から捕まえてるってのが一目瞭然だから、問い方が「誰?」じゃなく「何?」だった事も当然だと思った。
ただ。
「……何なんだろうなあ」
ほんの少し眉を顰め、数秒考えるようにしてから、小首を傾げたミヤビが口にしたのは、あたしにとって意外なものだった。
その言い方は、あたしがここにいる経緯や理由を誤魔化そうとしてるとかじゃなく、「何なんだこいつは」って感じの、不可解なものや不思議に思うものに対して使ったような感じだった。
でもてっきりカナタに渡されるんだろうと思ってたあたしは、ミヤビが今そんな返答をする理由が分からなくて困惑した。
そんなあたしの困惑なんて知りもしないカナタは、「ふーん」と興味なさそうな声を出し、「鍵」とミヤビの方に手を差し出す。
ミヤビはポケットから車の鍵を取り出して、差し出されてた手に鍵を置いたけど、その目はずっとあたしから逸らさなかった。
「俺、行くわ」
じゃあ——と、踵を返して歩いていくカナタに向かって、ミヤビは「あとでな」と告げた。
だけどやっぱりあたしを見つめたまま。
ミヤビは最早不可解なものを見るというよりも、珍しいものを見るような目と表情をしてる。
ただ、
逸らしたが最後、弱者と認定されて骨の髄までしゃぶり尽くされる。
虚勢は限界まで張らなきゃいけない。
「お前」
表情を変えないまま、ミヤビがゆっくりと言葉を吐いた。
それと同時に、あたしに向かって右手を伸ばしてきたから、思わず後退しそうになってしまった。
それでも何とか踏み止まって、意地でも表情も変えず、無言のままミヤビを見据えてた。
ただ殴られる事も考えて奥歯を食いしばってはいた。
そんなあたしに手を伸ばしてきたミヤビは、何故か指先であたしの唇に触れた。
—―は?
そう思ったのが間違いだった。
意表を突いたミヤビの行動に、食いしばってた歯の力が抜けて、間の抜けた感じで唇が少し開いてしまった。
その瞬間、ミヤビが自分の人差し指と中指を、物凄い勢いであたしの口の中に突っ込んできたから驚いた。
「舌、あるじゃねえか」
口の中に突っ込んできた二本の指であたしの舌に触れたミヤビは、何を言ってんだって思うような事を言う。
更には。
「お前、会ってからただの一度も喋らねえけど、喋れねえ訳じゃねえんだろ?」
だから何だって思うような事を言ってきたから、口の中に突っ込まれてる指を思い切り噛んでやろうかと思った。
「なあ、ちょっと喋ってみろ」
—―黙れ。
「喋れんだろ?」
—―黙れ。
「一言でいいから喋ってみろ」
—―黙れ。
誰が喋るか——と、思った気持ちと苛立ちが、目付きに表れたのは自分でも分かった。
意味のない事をさせようとするのがマジでムカつく。
優位に立ってる人間の、お遊びだか冷やかしの一種だか知らないけど、自己満足したいが為に、心を乱されるのは御免だ。
こういう奴らは何でも自分の思い通りになると思って——。
「一言でも喋ったら解放してやるっつったらどうする?」
—―誰が信じるか。
そんな言葉――。
「お前らがやってる斡旋業の先に今日張ってんのは俺だけじゃねえから、他の奴がそっちの女から情報を引き出せてる可能性は高い。だからまあ、俺は上の人間に女が来なかったって報告を出来なくもない」
—―信じない。
お前みたいな奴が言う事は——。
「撮った写真も消してやる。お前の目の前で」
—―信じられない。
飄々とした感じで宣ったミヤビは、あたしの口の中から指を抜いて、その手でポケットからスマホを取り出した。
そして。
「あとはお前次第だ。どうする?」
スマホの画面を見せつけるようにしてあたしに向ける。
でもあたしはミヤビの言葉を信じられるほど、真っ当な生き方はしてきてない。
こんな男を信じて何になる。
期待して信じたって、結局は裏切られてクソな人生に対しての絶望感が増すだけなのに。
他人なんて信用するに値しない。
自分以外を信じちゃいけない。
特にこんな男は信用する意味がない。
あたしは——。
「――
それでも期待する事を完全には捨てきれないバカなあたしの一言に、ミヤビは驚いた表情をつくった。
ポカンと口を開けて、見開いた目であたしを見つめる。
そうして数秒動かなくなったのち。
「おん。分かった」
ずっと口が半開きだった所為で「うん」が「おん」になったらしいミヤビは、驚いた表情をやめて、左手で掴んでたあたしの右手首を離した。
「マジで喋れたのか、お前」
喋れるんだろうと半信半疑で言ってたらしく、ミヤビは独り言のようにそう言いながら、右手に持ってたスマホを左手に持ち直して、自分の方に向けたスマホの画面を操作し始める。
そしてまた見せるようにスマホの画面をあたしに向けてきたから、嫌でもそれを見てしまった。
ミヤビのスマホの画面には、ホテルで撮られた写真が表示されてた。
シャツが思いっきり開けててブラが丸見えの、顔までしっかり写ってる写真だった。
あたしが強く目を瞑ってる所為か、無理矢理ヤられてる時に撮られた写真のように見えた。
思ってた以上に陵辱感のある写真だったから、これをネットに流されてたらと思うとゾッとした。
ミヤビはその写真を、あたしに画面を見せながら削除した。
そして。
「これでいいな? 無口なアリスちゃん」
口許に嘲るような笑みをつくり、軽い口調で言葉を吐くと、「駅は分かるか?」と聞いてきた。
ただ、聞いてきたのは一応なだけで、特にあたしの返事が欲しい訳ではなかったらしい。
「あそこの通りに出たら左に曲がれ。んで、そのまま真っ直ぐ行きゃ駅がある」
ミヤビはそう言いながら、眩くて温かい光を放つ通りの方を指差した。
本当に解放するつもりがあるらしい。
どういうつもりだか知らないけど、「一言でも喋ったら」っていうのは本気で言ってたらしい。
「早く行け。じゃねえと生きてんのが嫌になるほど酷い目に遭わせんぞ」
ミヤビのその言葉に押されるようにして、あたしは通りに向かって走り出した。
「喋るウサギを見つけても追いかけんなよ?」
冷やかすように楽し気に笑うミヤビの声を背中で聞きながら、「どこまでも語彙力のねえバカが」と思った。
キラキラと輝く、少し早めのハロウィンカラーに彩られた「不思議の国」の大きな通りを、あたしは人込みを掻き分けて、駅に向かって全力で突っ走った。
逃げ帰った家にクソな兄貴はいなかった。
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