より最悪
「どんな指示されてんのか知らねえけど、
スマホを持つ手を下ろした男は、あたしの制服の胸元にある刺繍された校章を指差して、あたしに跨ってた足を動かし離れていく。
そして、「それお前が通ってる学校の制服だろ」と、流すような視線を向けながら、仰向けになってるあたしのお腹近くの場所でベッドの端に腰かけた。
助かったんだろうか。
状況が分からない。
分からないから油断出来ない。
それでもとにかくこの体勢でいるのは嫌だからゆっくりと体を起こすと、それを半分振り返ったような体勢で黙って見てた男は、あたしが枕元に座った直後に口を開いた。
「お前に聞きたい事がある」
あたしに目を向けてくる男の口調は、さっきまでのような軽い感じじゃない。
「答えねえならどうなるか——分かるな?」
そう言いながら自分のスマホを見せてくる男の目付きも、さっきまでより鋭くなってる気がする。
何を聞かれるのかと気が気じゃなかった。
どうせロクな事じゃない。
答えなかったら何をされるのか分かってるけど、答えられるような事を聞かれる可能性はかなり低い。
その予想は。
「お前、誰に斡旋された?」
見事に当たった。
今回あたしがここに来たのはクソな兄貴に騙されたってだけだから「斡旋」って言うかどうかは分からないけど、普段から
それに、このドピンクで黒ずくめな男は、あたしが騙されてここに来たって事を知らないから、質問に答えるとするなら兄貴って事になる。
でも言えない。
あのクソ兄貴を庇ってるとか、義理立てしようとしてるとかじゃなく、自分の為に言えない。
兄貴はマジのクソ野郎で、何度もあたしにこういう嫌な事をさせる奴だけど、兄貴を売るような真似だけは出来ない。
兄貴がいないと、あたしが困る。
だから、言えない。
答えずに、現状をどうにか出来ないだろうか。
何も答えずに済む方法は——。
「大元が分かんねえなら、お前をここに送り込んだ奴の名前でもいい」
—―言えない。
「お前らがどんなあくどい商売してようが基本的にはどうでもいいが、お前らちょっとやりすぎだ」
—―だとしても言えない。
何をどう言われようと、兄貴の事を言う訳には——。
「勘違いしてんのかナメてんのか知らねえが、ナワバリ荒らされて黙ってるほどお人好しじゃねえぞ、
—―は?
ちょっと待って。
色々待って。
もしかしても、もしかしなくても、今の状況はあたしが思ってるよりヤバいのかもしれない。
今この男が言った「獣神」ってのが、あの「獣神」の事なら、シャレにならないくらいマジでヤバい。
てか、ここら一帯で聞く「獣神」なんて、あの「獣神」以外には有り得ないんだけど、あの「獣神」の事じゃないって望みを捨てたくない。
あたしが住んでる街から少し離れた場所の事だから詳しい話を知ってる訳じゃない。
それでも耳にする。
やってる事がエグすぎて、どうしたって噂が入ってくる。
デカい繁華街がある、デカい街。
そこを仕切ってる奴らが「獣神」を名乗ってる。
十代から三十代くらいまでの人間で構成され、完全に組織と化してる「獣神」は、マジでヤバい奴らの集まりだって。
逆らう人間には女子供関係なく容赦しないって。
怒らせた人間は皆消えるって。
そういう話を聞いた事がある。
—―
その「獣神」の中に「騎士の軍団」って呼ばれてる、
その軍団の中のひとりは、ピンク色の髪をしてるらしい。
つまりこいつは——「騎士」だ。
でもそうだとするとおかしい。
もしこの男が言ってる「獣神」があたしの思ってる通りの「獣神」だったとしたら、こんな事は有り得ない。
確かに兄貴はどうしようもないクソ野郎だけど、所詮は人に使われるような、根性もない、ただの
そんな兄貴が「獣神」を怒らせるような真似をする訳がない。
況してや「獣神」のナワバリを荒らして「騎士の軍団」のひとりが
今まで兄貴を使ってた連中だって、わざわざ自分たちの
だったら。
—―
兄貴が付く相手を変えた。
そう考えたら辻褄が合う。
今までは絶対になかったハイエンドなホテルを使う事も、地元から離れた場所な理由も、これまでにない高額な値段の意味も。
あの野郎、一体何を——。
「心配すんな。お前から聞いた事はバレねえようにする。今日の分の金は払ってやるし、ナニもしないで帰してやる」
あたしが、密告する事によって自分の身がどうなるかを心配して黙ってると思ったのか、ドピンクで黒ずくめの「騎士」は見当違いな事を口にした。
確かに今日の分のお金は欲しいけど。
兄貴が付く相手を変えたんだったら尚更欲しいと思うけど。
更にはナニもされたくないけど。
答える訳にはいかない。
「答えねえならどうなるか、わざわざ俺に言わせる気か?」
言わなくて結構。
ちゃんと分かってる。
それでも。
「さっき撮った、校章入りの制服もお前の顔も映ってる、下着丸見えのエロい写真、ネットに流すぞ」
言えない。
相手があの「獣神」だから余計に、言えば兄貴がどうなるか分かるから言えない。
沈黙の時間が流れた。
あたしとドピンクで黒ずくめの「騎士」は、お互いの腹の中を探るように睨み合ってた。
緊張感があると思ったのは、いつ殴られるか分からないと警戒してたからかもしれない。
そんな、あたしにとっては緊張感漂う沈黙の時間を終わらせたのは。
「――あ、やべ。面倒
ドピンクで黒ずくめの「騎士」だった。
突然、まるで人が変わったように投げやりって感じでそう言った「騎士」は、あたしから目を逸らすと徐に立ち上がった。
そして。
「言わねえよなあ?」
もう一度あたしの方に気怠そうな表情で目を向けて、興味なさげな声で確認するように聞いてきた。
あたしの返事なんかどうでもいいって感じだった。
言葉通りに心底面倒臭そうで、何もかもどうでもいいと思ってるように感じた。
だから、あたしから聞き出す事は諦めてくれたのかと思った。
けど。
「お出かけしようか、アリスちゃん」
そんな訳がない。
言葉は軽い感じなのに、低く抑揚のない声を出した「騎士」は、あたしの腕を掴むと、引きずるようにしてベッドから降ろした。
諦めてくれたのか——なんて、何で思ったんだろう。
クソみたいな世の中だって分かってるのに、どうしていつだってほんの少し期待してしまうのか自分でも不思議に思う。
ほんの少しでも、
「お前、ボタン全開なの忘れてねえか?」
ベッドの脇に立たされたあたしの正面に立つ「騎士」は、手を伸ばしてきてあたしのシャツのボタンを留め始める。
「俺もう面倒臭えから、お前を連れて帰って誰かに渡して、あとはそいつに任せるけど」
上からひとつひとつボタンを留めながら、これからあたしをどうするつもりなのか、伏目がちに教えてくる。
もしかするとその中には、手間をかけさせずにさっさと言えって気持ちが含まれてるのかもしれない。
でも。
「渡した先で何されても、恨むなら答えなかった自分を恨め」
そうだとしても、言えない事には変わりないから、「騎士」の言葉に意味はない。
全てのボタンを留め終わると、「騎士」は床に落ちてたあたしの鞄と、指示が書いてある紙と封筒を拾った。
そうして紙と封筒をポケットに入れて鞄をあたしに渡すと、左手であたしの右手首を掴んでドアの方へと歩き始める。
これから自分の身に起こる事を考えたくなかった。
何を考えてもどう感じても、これから起こる事に変わりはない。
だったら、考えたり感じたりするだけ無駄だ。
そう思ってるのに自然と考えたり感じたりしてしまうから、酷く憂鬱な気分だった。
あたしを連れてドアまで行った「騎士」が、ドアノブに手を伸ばしながら「逃げんなよ?」と面倒臭そうに言葉を吐く。
そしてドアを開ける直前。
「逃げたら写真に撮った制服と校章から学校調べてお前探して——」
そこで一旦言葉を止めた「騎士」は。
「——殺すぞ」
ただの脅しじゃないって分かる鋭い目付きであたしを見遣った。
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