第25話 航海はボートで


 オアの大陸から北のギンロシの大陸までの道のりは一般的な船(動力は風の魔法)でも16時間くらいかかった。普通ならそんな航海を一人乗り用のボートなどでは行わない(達人は別)のだが、ミヨクは海に対して特別な危機感をもっていなかった。何故なら不死だからだ。


 そんなボートの上でマイちゃんは海とその中を泳ぐ魚たちと、穏やかな陽の光と、心地よい風を感じ(ているのかは基本的にぬいぐるみなので分からないが)ながら、ふと、ある疑問が過った。


「……ねえ、ミョクちゃん。今更なんだけど、世界の時間を止めると海とか湖の上を歩けるようになるよね。オアの大陸で魔王城に行く時も世界の時間を止めて自宅前の湖の上を歩いて行くもんね。近道だし、山を登るのは疲れるからって」


「うん、そうだね。歩けるね」


「ねえ、何で時間を止めると水の上を歩けるの?」


 ……。


「……なんでなんだろうね? 俺も初めての時は驚いたけど、今は深く考えないようにしているよ。時間を止めると歩けるんだ、って感じで納得しているよ」


 ミヨクはそう答えた。


「なるほど。歩けるもんは歩けるんだから仕方ないよね」


 マイちゃんはそう納得した。


「──あっ、それとミョクちゃん、もう1つ質問していい? ミョクちゃんって風の魔法は使えないの?」


「うん。使えないよ。その昔は風も火も雷も水も全てが使えたけど、今は全く使えない。新法大者しんぽうだいじゃってそういうものなんだ。でも時の魔法でオールを自動で動かす事が出来るから割と早く動くよ。もちろん疲労もしないから、ボートの上でだらだらしていれば、いつの間にかギンロシの大陸だよ」


 そう、順調にいけば。


 ──海が荒れてきたのはその6時間後だった。激しい風が幾つもの高波を作り、空は真っ黒い雲に覆われて視界を奪い、雨は激しく、雷はけたたましく、マイちゃんは耳を塞ぎながら船が揺れる度にごろごろと転がってはボートのあちこちに体を打っては悲鳴をあげて、ゼンちゃんは今まさに後方に吹き飛んでいった。


「ゼンちゃーん!!《世界よ止まれ》」


 ミヨクは咄嗟に世界の時間を止めた。前回とはまるで違う唱え方で。ゼンちゃーん!! で。前回の時にはダンロ・コガン・サマルーダと唱えていたのだが、実はミヨクの時の魔法には明確な名前は存在していなかった。普段は本人が魔法使いっぽく、それっぽい唱え方をしたいだけで、ミヨクは基本的に意識するだけで時の魔法を使う事が可能だった。故に今回のような緊急事態の時はそう振る舞う必要がなかったのだ。


 ──世界のあらゆる動きが止まった。高波も、雨も、雷も、風の音も一枚の写真のように静止した。そしてゼンちゃんは、ポテっと海の上に落下した。


「良かった。間に合った。海の中に落ちたら、時間を止めていいのか分からなかったから危なかったよ。大丈夫、ゼンちゃん?」


「あ、ああ……死ぬかと思ったぜ。けど大丈夫だ」


 ゼンちゃんはそう言って立ち上がると、海の上をてくてくと歩いてボートまでやってきた。道中の静止している雨粒を暖簾のように潜り抜けながら。


「──相変わらず時間が静止した雨粒はゼリーみたいだな。それよりミヨク、ファファルは大丈夫か?」


「うん、大丈夫。ちょうど天候が悪くなった時に、ボートが転覆しそうになったら使おうと思って砂時計を確認していたから。あと2時間くらいは大丈夫」


「そうか。っで、これからどうする?」


「うん。このまま時間の流れを戻すとボートが転覆するかも知れないから、2時間くらい歩いて前に進もうか。雨雲を抜けるかどうかは分からないけど、ゼンちゃん、ボート持てる?」


 ミヨクがそう聞くとゼンちゃんは「楽勝だな」と答え、ミヨクがまだ乗ったままのボートを片手でひょいと持ち上げた。


「よし。行くぜ、ミヨク」


「いや、さすがにそれは気が引けるから俺は降りるよ」


 ミヨクがそう言い、マイちゃんはボートの上で気絶中だった。



 ◇◇◇



──それから数時間後、


 マイちゃんがハッと目を覚ますと、海は穏やかさを取り戻していた。雨も止み、大嫌いな雷も消え、風も心地良かった。


 ただ、ゼンちゃんが少し後方で巨大なタコのような生き物と格闘をしていた。


「魔獣?」


「あっ、マイちゃん起きたんだ? うん、そうだね。あれはタコっぽい姿をした魔獣だね。体長4メートルはありそうだし、角があるし、牙があるし、足が16本もあるし、吸盤がないし」


 ミヨクはそう答えた。


「食べるの?」


「魔獣は食べないよ。襲われそうになったから、ゼンちゃんが退治しに行ったところ」


 ゼンちゃんの体長は80センチくらい。身体の構造は綿。唾付きの帽子を後ろ前に被っている。けれどその動力は魔力であり、しかもその魔力は世界の時間を止める事ができる時の魔法使いから与えられた凄まじいものであり、端的に強者であった。


 ゼンちゃんは海に落ちないように16本あるタコの魔獣の足をひょいひょいっと華麗に飛び移りながら、そして繰り出されてくる攻撃を無駄のない動作で躱しながら頭部に駆け上がっていくと、そのてっぺんでぴょんっと飛び上がり、「オラァ!」とそのまま蹴りを叩きこんだ。


 ドオーン!!


「ぐおおぉぉおー!!」


 断末魔の悲鳴と共に海面に沈んで行くタコの魔獣。ゼンちゃんはタコの魔獣の頭の上で助走をつけてから「とうッ!」と飛び、ボートの上に見事な着地を決めた。


「お疲れさん、ゼンちゃん」


「おう、任せとけ。って、マイ起きてたのか? 見てたか? どうだった?」


「ゼンちゃん、相変わらず無駄が多いよー」


 マイちゃんはそう言った。


「──1撃目、2撃目の攻撃はあれでよかったんだけど、タコの魔獣の3撃目のあの左右から挟み込んでくる攻撃の避け方はこうだよ。こう。そうしたら丁度そこに足場が出来て頭部まで上がるのが5秒早かったし、そのまま攻撃も出来たから、トータルで15秒は早く倒せたんじゃないかな? こうだよ、こう。いや、1撃目の時もオラならこう動いていたから──」


 マイちゃんは実は格闘能力がゼンちゃんよりも優れていた。


 だからゼンちゃんは「うっせー!」とマイちゃんの頭を叩きつけて泣かすのだった。

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