彼女の味方
多分、俺が言うことではないんだろう。
俺は紛うことなき赤の他人で、家庭の事情に首を突っ込む資格もなくて。
挨拶するだけでよかった。
このまま見送って自分は始まる午後の部に戻ればよかった。
けれど、どうしても。
ここで帰らせてはいけない気がして。
思わず、失礼な言葉を失礼な口調で口にしてしまった。
「え、えーっと……どうしたの、佐久間くん?」
いきなり口調を変えたからか、失礼なことを口にしたからか。
お母さんは目を見開き、お父さんは戸惑ったような様子を見せる。
それに対し、俺は小さく頭を下げた。
「……ガキが舐めた口を聞いてすみません」
「えっ?」
「こんなこと言うの、お門違いだと分かっています」
ですが、と。
頭を下げたまま、二人に向かって口にした。
「今日は、帰らないでいただけますか」
すると、綾瀬のお父さんが慌てて俺の肩を掴んで、
「か、顔を上げて、ねっ? 美柑のお友達に頭を下げられるなんて……!」
慌てた様子で、俺の顔を起こしてきた。
しかし───
「……ごめんなさいね、佐久間くん」
綾瀬のお母さんが、頭を上げさせようとするお父さんの腕を引っ張った。
「あなたが美柑からどんなことを聞いたのかは知らないけど、こっちはこっちで事情があるの」
「…………」
「美柑には申し訳ないけど、あなたも子供じゃないんだから大人の事情を察してほしいわ」
確かに、事情は分かる。
たった一つの子供のイベントよりも、お金が絡んだり責任が含まれる仕事の方が重要だというのは、この歳になればある程度察することもできる。
客観的に観れば、どっちに票が多く集まるかなど言わずとも明白だ。
(……それでも)
俺はもう一度、二人に向かって頭を下げる。
「お願いします……今日だけは、綾瀬のお願いを最後まで聞いていただけないでしょうか」
二人からは何も言葉が発せられない。
戸惑っているのか、呆れているのか。
顔も見ていないから、今二人がどんな表情をしているのかも分からない。
……綾瀬が、なんで二人にお願いしたのかも分からない。
本当に俺に何かしてほしいのかも、分からない。
ここで引き留めることが正しいかどうかすらも分からない。
失礼だとは思う。
それでも───
「今から口にするのは、所詮赤の他人の戯言です……事情も何も知らない、偉そうなガキの言葉になります」
湧いてくる苛立ちをグッと堪え、ただ頭を下げて口にした。
「綾瀬は、誰から見ても優しい女の子です」
誰かが仲間外れにならないよう、皆に声をかけにいったり、困っている人がいれば手を差し伸べに行ったり。
この前は、迷子の女の子を見つけると一緒にお母さん達を捜していた。自ら率先して、だ。
我儘で、無茶振りしてくる時もあるけど……それでも、綾瀬は優しい子。
それこそ、帰ってほしくないと。
たったこれだけの言葉をグッと堪えてしまうぐらいには。
「明るくて、奔放な一面もありますが、彼女は人一倍繊細な女の子だと思います」
繊細だからこそ、傷つきやすい。
誰かに心配をかけるまいと、優しいからこそ何も言わず一人で抱え込んでしまう。
今でも、あの時見せた綾瀬の泣いている顔を見ると、胸が締め付けられる。
もしも、あのまま一人で抱え込んでいたままだったらどうなっていたか? なんて、心配してしまうぐらいに。
「……お二人に、今どんな状況があってどんな問題を抱えているのかは、僕が何を知っていようが口に出す権利がないのは重々承知しております」
そこまで急を要する仕事なのか。
どうして離婚しようという話になったのか。
何故、このタイミングで告げようと思ったのか。
赤の他人である俺には分かりかねるし、分からなければいけない資格だってない。
それでも───
「僕は、お二人よりも綾瀬の味方です」
綾瀬が悲しむ姿を見ると、胸が苦しくなるから。
これ以上、綾瀬に悲しんではほしくないから。
「普段、誰かが本当に困るようなことを言わない綾瀬が二人にお願いしたというのであれば……それなりに理由があると思うから」
このタイミングで綾瀬が二人にお願いしたということは、綾瀬には何かしらの想いがあるはず。
……綾瀬といる時間は、とても落ち着く。
一緒にいると楽しいし、無茶なお願いも叶えてあげたくなる。
大事な一線は守ってくれる、横にいてくれるだけで自然と笑みを浮かばせてくれる。
顔が可愛い、だけじゃない。
綾瀬美柑という女の子が、それだけ魅力的なんだ。
「本当に、赤の他人が何言ってんだって思うかもしれませんが……」
だから───
「俺の大事な人が悲しむようなこと、しないでください」
もう一度、しっかりと。
二人に向かって、頭を下げたまま口にした。
すると、お母さんは少し驚いたような顔を見せ、俺の顔を覗き込んでくる。
「あなた、まさか美柑から話を……」
「すみません、俺から話を聞きました」
「……そう」
お母さんはそれ以上は何も言わず、しばらく何か考え込み始める。
すると───
「ちょっと部下に任せられないか交渉してくるよ」
「え?」
「ちょっと、あなた」
「まぁ、上司としてはあんまりよろしくはないんだろうけどね」
お父さんはどうしてか、俺の肩に手を置いて笑みを浮かべてきた。
「娘のためにここまで言ってくれる子がいるんだ。僕達の事情を踏まえても、ここで叶えてあげなきゃ親としては失格だと思うんだ」
「…………」
「でも、娘をやるにはまだまだ話し合いが必要というかなんというか……!」
なんだろう、掴まれた肩が少し痛いような気がする。
「はぁ……あなたがそう言うなら、私も折れなきゃいけないじゃない」
そう言って、お母さんはスマホを弄り始める。
そして、時計でスマホを確認したあと、
「佐久間くんは戻りなさい」
「え、えーっと……」
「心配しないでも、なんとかして最後までいられるようにするわ。そこまで言われたなら、私だってなんとかしなきゃ親として失格だろうし」
横にいるお父さんの脇腹を、少し強めに小突く。
「あいたっ」
「私達のせいで君が遅れたってなったら、美柑に怒られちゃうわ。だから、ね?」
テントに戻ったら、綾瀬にちゃんと言った方がいいのだろうか?
余計なことしてごめん、とか。最後までいてくれるよ、とか。
けれど、まずは───
「ありがとうございます」
他人の家の話なのに、部外者の話を聞いてもらって。
苛立ちはあった……というより、正直今でもある。
だが、こんな俺の話をちゃんと聞いてくれたのだ。
「
俺は頭を下げ、急いでグラウンドの方へと走るのであった。
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