体育祭①

『開会式まで、あと二十分となりました。生徒の皆さんは、それぞれのテントにて待機をお願いいたします』


 程よく暖かい陽射し。

 その下には体操着姿の生徒達がひしめき合っており、アナウンスと同時に楽しそうな喧騒が嫌というほど耳に届く。

 今か今かと待ち望んでいる姿は、大人の一歩手前まで来ている高校生とは思えないほど子供らしく、見ていてどこか微笑ましく思えた。

 ただ、視界に映るのは生徒の姿だけではない。

 学校側も気合いを入れているのだと分かるほど、グラウンドを挟んだ反対側のテントには保護者や関係者達がたくさん集まっていた。


「……なんか展開が早いなぁ」

「ん? なんで体育祭当日の開口一番がそんな発言なの?」


 あれから数日が経ち―――いよいよ、待ちに待った体育祭。

 時間的にもそろそろ開会式が始まりそうな中、俺は綾瀬と一緒にテントで休憩していた。


「いや、この前まで汗水流してテントを設営していたような気がしてな」

「まぁ、なんだかんだ忙しかったもんね。毎日普通に放課後のお手伝いしてたし」

「……逆説的に考えれば、それだけ東堂の出席日数がかなり危ういんだってことなんだよなぁ」

「……ビジュアルのこともあって、皆にとっては希少種的な存在だからから」


 ファンタジー世界に出てくるエルフみたいな扱いだなと思った。


「いっくんは準備とかしなくていいの? これから九種目連続出場なわけだし」


 テントの下にあるシートに座る綾瀬が、可愛らしく首を傾げる。

 体操服姿はいつもの姿のはずなのに、妙に凝った巻き方をしているハチマチのおかげでどこか新鮮さを感じた。

 なんというか、愛嬌が増したというか……元々のビジュアルのよさに可愛さとあどけなさと子供らしさが増し増しになって……その、ご馳走様です。


「この人いっぱいの中で体なんか動かせるかよ。誰かの肩に当たって痴漢扱いされたら、次の日からポテチとコーラを常備して家で引き籠もらなきゃいけなくなる」

「私はそんないっくんでも変わらず傍にいてあげるよ?」

「ありがとう、できれば事後のフォローじゃなくて事前のフォローをしてほしいかな」


 まぁ、痴漢云々の話は置いておいても、そもそも今から体を動かす気にはなれない。

 あまり人混みが好きじゃないという点と、あと少しで開会式が始まりそうというのが理由である。


「そういえば、今日は東堂は来てるのかな?」

「さっき見かけたから、来てると思うけど……」

「……今日はちゃんと来てる」


 本当にタイミングよく。後ろから東堂が姿を見せた

 ほんわかしているようでクールな雰囲気を漂わせる東堂。クラスも違い、滅多に学校に来ないから体操服姿というだけでこっちはどこか新鮮に感じる。

 ……あとで二人のショット写真でも撮らせてもらおう。


「……高校生活のビッグイベント、思い出に残る一日。佐久間のかっこいい姿も見られるっていうのに休むわけにはいかない」


 ただ、そう口にする割にはどこか疲れ切った表情をしていて―――


「なんで疲れてんの? まだ開会式すらしてないのに」

「……ここまで辿り着くのに、数々の困難を乗り越えたから?」


 隣のクラスだから隣のテントのはずなのに。


「……疲れたので、私が膝枕してあげる」


 そう言って、東堂は俺の横へと腰を下ろす。


「膝枕云々がどうして出てきたのかは分からんが……逆じゃね? 疲れたからやってもらうんじゃないの?」

「……人に物を頼む前に、まずは自分がしてあげた方がいいかなーって。こっちはお願いする立場だし、相手を先に労うのがマナー」


 なんていい子なのだろうか? 育ちのよさが一言で窺える瞬間だ。

 ただ、どうして膝枕をしてほしいのかは分からないが。


「むぅ……ずっこいぞ、来夏ちゃん。私だって我慢してるのに」

「……だったら、綾瀬も私の膝で寝る?」

「私がずっこいって言ったのはそこじゃないんだけど……ただ、ちょっとやってほしいって思う私もいる……ッ!」


 気持ちは分かる。意味は分からないがやってはもらいたい。


「……っていうか、西条院はどこにいるの? 佐久間がいるところにいると思ったんだけど」

「西条院なら、多分生徒会室のところ。なんか「始まる前に終わらせなければいけない書類が……」とか、昨日の夜に連絡が来た」

「……西条院と、そんな話するんだ」

「え、しないの? 意外と普通にメッセし合うし、綾瀬だってそうだろ?」

「うん、私も普通に柊夜ちゃんと雑談するし」

「……私なんか「ご飯はちゃんと食べましたか?」とか「モーニングコールをしてほしいならスケジュール帳を出しなさい」って会話しかしないのに」


 なんだろう、もう二人の関係が姉妹としか思えない。

 そのうち、二人で一緒の部屋を借りて過ごしそうだ。


「……これは私だけ差別されてる?」


 心配されているだけである。


『あ、東堂さん! 先生が呼んでるから、ちょっとこっち来て!』


 少し離れた場所で、東堂と同じクラスの女の子らしき生徒が手を振っている姿が視界の端に映る。

 聞こえてきた声を受けて、東堂はあからさまに嫌そうな表情を浮かべながらも立ち上がった。


「……ってわけで、じゃあね。また会いに来る」


 大した会話もできないまま、東堂は腰を上げてごった返しているテントの下を進んでいった。

 時間も時間で、生徒達も待機するためにテントに集まってきているため、東堂も戻るのが大変そうだ。


「始まる前にエネルギーゲージが尽きないかな、あいつ?」

「あはは……まぁ、現場のお仕事の方が体力使うって言ってたし、大丈夫じゃないかな?」


 確かに、芸能人とかだと人混みとかに慣れていそうな気がする。

 連日の撮影とか移動とかで体力は使うのだろうとなんとなくは知っているし、綾瀬の言う通り問題ないかもしれない。

 ただ―――


「なんか、東堂って心配したくなる子なんだよなぁ」

「ちょー、気持ちは分かる」


 見た目は超大人びているのに、不思議なものだ。


「ねぇ、いっくん」


 ふと、横に座っている綾瀬が俺の体操服を引っ張ってくる。


「ん? どした?」

「今言う話でもないし、別にさして気にしてはほしくないんだけどさ」


 前振り通り、綾瀬の顔は特に深刻そうなものではなかった。

 ただ、しれっと情報を共有するかのように。それこそ「明日の天気は~」みたいな、普通の会話の一部のように―――


「今日さ、私のお父さんとお母さん来てるんだよね」


 一瞬だけ、俺の心臓が跳ね上がった。

 何せ、この前そのような話をしたから。


 けれども、それもすぐに治まり。

 どこか雰囲気を感じたからか、俺は思わず口元に笑みを浮かべてしまい、


「そっか、なんかあるなら手伝うよ」

「うん、いっくんありがと」


 こう言うのが、多分ちょうどいいと思った。

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