まだ、待って

 夕暮れ時、生徒の姿がようやく見えなくなるほどの距離を歩いた帰路。

 住宅街だからか、少しばかりの静けさが辺り一帯に広がっていた。

 俺の家は高校から近く、基本的に徒歩通学だ。

 そのため、大半の生徒みたいに電車や自転車を使うことはなく、たまに駅の本屋やゲームセンターに寄ったりしなければこの道を歩く。


「いっくん、私の写真集はまだ先だよ? っていうか、まだ撮影すらしてないよ?」


 横を歩く綾瀬がどうしてか、いきなりそんなことを口にする。


「まぁ、受けることにした以外のご報告がないからまだ先なんだろうなーっていうのは分かってるぞ?」

「だったら、なんで念入りに私の出す予定のレーベルの雑誌探してたの? 五店舗も」

「そりゃ、発売同時に買い占めるためだな。プロのカメラマンが撮る綾瀬の写真とかマジでほしい」

「嬉しいけど、一冊にしなさいあほちん」


 小さく肩を小突き、少し照れたような顔を見せる綾瀬。

 茜色の陽射しも相重なって、どこかいつも以上に美しく見えた。


「っていうか、なんで今日も俺の家に行くんだよ? 別に今日は鑑賞会じゃなかったろ?」

「まぁ、そうなんだけどねぇー。いつの間にか『ぬるぬる☆乙女!』の続編が出てて、そのブルーレイを買ったのでお渡ししたかったのです」

「凄く学校でもいい案件だな」

「そうは言うけどさ、この前教室で「いっくん! 『ぬるぬる☆乙女!』の絞殺編出たから貸すね!」、「おー、さんきゅ! 今回はぬるぬるした女の子がどんな殺され方するんだろうな!?」って感じで渡したら、クラスの空気最悪になったじゃん」


 言われてみれば確かに。

 綾瀬からブルーレイを手渡された瞬間、珍しくクラスの男子からおススメの少年漫画を進められてしまった気がする。


「でも、それだったら屋上とかで―――」

「いいのっ! んだしっ!」

「…………」


 その言葉を受けて、少し押し黙ってしまう。

 すると、綾瀬は徐に自分の手を俺の手へと伸ばして、優しく握ってきた。


「手、繋ご♪」


 嬉しそうな、可愛らしい笑みが向けられる。

 それを受けて、思わず今まで少しずつ抱いていた疑問が口から出てしまった。


「……なぁ、綾瀬」

「ん?」

「気のせいだったら恥ずかしいんだが、やっぱりお前———」


 しかし、そう言いかけた時。

 綾瀬は人差し指を俺の口へと当ててきて、真っ直ぐにこっちを見据えてきた。


「私が肯定したらさ、いっくんは頷いてくれる?」

「そ、それは……」

「だったら、まだ私に時間をちょうだいよ。私、まだまだ攻めきれてないんだからね」


 何を言おうとしたのか、綾瀬は分かったように退路を塞いでくる。

 いや、というよりも「安易に結果を出さないでほしい」と言っているのだろう。

 多分、ちゃんと口に出されれば現時点での答えを出さなければいけなくなる。

 そうなれば、女友達としての時間が長くて……その、情けなくも気持ちが切り替えられていない俺は、きっと首を横に振ってしまうだろう。


「いっくんの反応を見る限りさ、勝算がないわけじゃないと思うんだよ」


 綾瀬は俺の手の感触を確かめながら、促すようにして先を歩き始める。


「それにさ、いっくんが言ったんじゃん……幸せになれ、って。私の幸せに無理矢理巻き込むつもりはないけど、少しぐらい付き合ってくれてもいいと思うんだよね! 慰めた責任、ってやつかな?」

「まぁ、そう言われると何も言えないんだが……」

「ふふっ、ごめんね困らせて♪ でも、まだ答えは出したくないし言いたくもない。いっくんは私の初恋相手で、って表現で留めさせてほしい」


 そして、綾瀬は振り返って―――挑発的で、小悪魔めいた笑みを見せた。


「ってなわけでー! 逆にいっくんの口から言わせてやるぐらい攻め攻めでいくつもりなんで、よろ♪」


 つい、この前まで。両親の離婚という話が挙がって落ち込んでいたはずなのに。

 今、綾瀬の顔には落ち込んだ様子は見られない。

 むしろ、いつもの……いや、いつも以上の明るさと強さを感じる。

 その綾瀬の強い部分がすべて俺へと向けられている―――それが、嬉しく思わないわけがなかった。


「……俺、結構ガードが堅いぞ?」

「童貞さんなだけでしょ?」

「おっと、さっきの空気が嘘のよな発言だなァおい」


 正直、綾瀬には申し訳ないが……この時間が、結構好きだ。

 それでも、綾瀬にそういう感情を向けられて自分もいて、我ながら情けないと思う。

 けれど―――


「ありがと、綾瀬」

「こちらこそだよ、いっくん」


 結局、握った手を離すことなく俺達は夕陽に照らされた帰路を歩くのであった。




 ♦♦♦



(※美柑視点)


 何度でも言うけど、私はいっくんが好きだ。

 好きで好きで仕方なくて、絶対に振り向かせたくて、絶対に取られたくなくて。

 それぐらい、一時の想いだとは思わない感情を味わっているからこそ、私はお母さん達の気持ちがよく分からない。


「ただいまー」


 いっくんの家から出て、ようやく我が家に戻ってきた。

 玄関で靴を脱いでリビングへと向かうと、タイミングよくお母さんが夕食を作っていた。


「あら、お帰り」

「うん、ただいま」


 いつも言ってくれる言葉。いつもと変わらない。

 この前、いっくんに励まされてからちゃんと言葉を選んで言いたいことを言ったのにもかかわらず、いつも通り。お父さんも、普段通り。

 私に気を遣ってくれているのか、気にもしていないのか。

 少しモヤモヤするけど、私は―――


「お母さん、この前言ったこと……ちゃんと守ってね」

「分かってるわよ、ちゃんとお父さんと一緒に行くわ」


 床にカバンを降ろして、私はソファーへと寝転がる。


「にしても、美柑にしては珍しいお願いだったわね……を観に来い、なんて」


 ヨリでも戻そうと懸念されているのか、お母さんは怪訝そうな顔を見せる。


(そんないい子じゃないよ、ばーかっ)


 ただ、私は―――


「二人に紹介したい人がいるってだけ♪」


 って、言ってやりたいだけなんだ。

 ふふっ、いっくんが聞いたら目を丸くして驚きながらも「よく言った」って言ってくれそうだなぁ。


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