勉強会

「……新手のハラスメントだと思う」


 なんて呟き始めたのは、大量の教材を前にした東堂。

 流石に俺の部屋では狭いということで、早速リビングに勉強道具を持って来て「じゃあ、やろうか!」と意気込もうとした途端にこれである。


「私は数学教えるね〜! こう見えても、数学だけはいっくんに続いて二位だぜ♪」

「それなら、私は現代文と古文を担当しましょうか」

「んじゃ、俺はそれ以外だな」

「……おかしい、何故時間制限ありの勉強会に圧倒的物量を叩き込もうとするのか」


 そりゃ、一教科を一気にするよりも満遍なく少しずつやった方が身になるからだ。

 同じジャンルの内容ばかりでは飽きてしまう恐れがある。

 どうせ次のテストまで時間があるのだ、ゆっくり着手しても問題はない。


「いいか、大事なのはモチベーションだ」

「……そのモチベーションが、教材の山によって砕かれそうなんだけど」


 やれやれ、なんかテストの成績が悪い要因が分かったような気がするぜ。


「……左に学年一位、対面に学年二位、右に学年五位……これは新手の圧迫面接と言っても過言ではない」


 ブツブツ言いながらも、東堂は教材の山から一つを手に取った。

 自分でも「マズイ」と感じてはいるのだろう。

 まぁ、だからこそ勉強を教えてもらおうとしたのだろうが。


「およ、数学からいく?」

「……苦手なものから、やっちゃう。綾瀬、いい?」

「うんうん、もちおっけー♪」


 綾瀬が満面の笑みを浮かべると、教えやすいように東堂へ近づいた。


「あ、ごめん! その前にちょっと電話出させて!」


 しかし、タイミングが悪かったのか。

 スマホが震え始めた綾瀬は東堂に謝罪すると、そのまま駆け足で出て行ってしまった。


「……先生、いなくなった」

「そうだな」

「……でも、今の私は数学な気分」

「そっか、そういうモチベーションはいいことだ」

「……うん、目指せノイマン」

「ふむ」


 困ったな……そのモチベーションに応えられるほどの頭脳は持っていないんだが。


「数学は……やめておくか?」

「……何故」


 コンピューターの父と呼ばれる偉人を目指されるとは思っていなかったからである。


「……まぁ、でも私は綾瀬を待つ」


 ぐでーっと、教材を広げながらテーブルに突っ伏し始める東堂。

 こうなると、手の空いた人間は暇だ。とりあえず、俺の順番がくるまで自分の勉強でもし───


「では、私は佐久間さんに教えてもらいますね♪」

「……ッ!?」


 ───ようとした時、綾瀬と同じように西条院が俺へと近づいてきた。

 少し違うのは……西条院が俺の真横に座ってきたというところだろう。


「お、おい西条院……」


 肩と肩が触れ合うような距離。

 少しでも視線をズラせば、端麗な顔立ちが眼前へと迫る。

 ただでさえ甘い香りが鼻腔を刺激して緊張しているのに、距離が近いとなると刺激が強すぎて一気に顔まで熱くなってしまう。


「あら、こちらの方が教えやすいのでは?」


 まぁ、身を乗り出して教材に指を差さなくてもいいから楽ではあるんだが……なんだろう、そういう問題じゃないって言葉を主張したい。


「……西条院、邪魔はしないって言ったよね?」


 目が据わり始めた東堂の冷たい視線が西条院に突き刺さる。

 けれども、西条院は変わらずお淑やかな笑みを浮かべて───


「誤解ですよ、東堂さん。あなたの勉強の邪魔はしておりません───ただ、私は手持ち無沙汰の間に佐久間さんに教えを乞おうとしているだけです」

「…………ッ!」

「それに、と私もこの前申したはずですが?」


 どうしてか、室内に剣呑な空気が漂い始める。

 おかしい……先程までフローラルな空気が漂っていたはずなのに。


「……まぁ、いい。今の私はお願いを聞いてもらっている立場。他で挽回する」

「ふふっ、ありがとうございます」


 ふくれっ面を見せる東堂が、不満気ながらも教材に視線を落とした。

 すると、西条院は笑みを浮かべたまま───立ち上がって先程まで座っていた場所へ腰を下ろした。


「ですが、よくよく考えればこれはフェアではありませんでしたね。まず先に、ちゃんと綾瀬さんにご報告してからでした」

「フェア?」

「なんでもありませんよ、佐久間さん♪」


 よく分からないが、とりあえずフェアではないたしい。

 だが、なんだろう……俺の心が「とても残念だ」と叫んでいる気がする。


「なぁ、もしあれだったら綾瀬が帰ってくるまで、俺が数学教えてやろうか?」

「……いいの?」

「元々、そういう話だったしな」


 綾瀬がどれぐらい時間がかかるか分からないし、早く教えるに限る。

 明日が休みとはいえ、あまり遅くなるのもよろしくはな───


「ごめんごめん、遅くなっちった!」


 その時、ちょうど勢いよくリビングの扉が開かれて、綾瀬が顔を出した。

 そして、そのまま小走りで近づき、元いた位置へと腰を下ろす。


「ささっ、じゃあやろっか来夏ちゃん……って、あれ? いっくんが教える感じ?」

「いいや、餅屋に任せますとも」

「私以上の餅屋な気がするけど、おけおけ♪」

「……よろしく」


 綾瀬が戻ってきたのであれば、問題なく当初の役割分担通りに教えられる。

 俺が教えることも、数学に限っていえばないだろう。

 ただ───


「なぁ、綾瀬」

「ん?」

「その、?」


 ───俺がそう言うと、綾瀬は愛らしい明るい笑みを浮かべる。


「別に、なんもないぜ! お母さんからちょっと電話きただけだし♪」


 そっか、と。

 東堂に近づいて教え始めた綾瀬を見て、俺も教材に目を落とす。


(しかし、なぁ……)


 んだが───まぁ、本人が言いたくなさそうな気もするし、追求するのも野暮だろう。



「来夏ちゃん、aとbの合計値を求めるのに海老は流石にないんだよ」

「……なるほど、オマールの方か」

「数学にオマール海老とか伊勢海老とか出てきたら、私はちゃぶ台を思いっきりひっくり返すよ」

「……何故?」


 それに目下誰がとは言わないが、明らかに心配しなければいけない人間がいるしな。

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