手料理と美少女と

 はて、どうしてこんなことになったんだろう?

 なんてことを思いながら、街全体が一望できるガラス張りの部屋を見て茫然としていた。

 そこへ―――


「本当にありがとうございます、佐久間さん」


 西条院がラフな大きめのサイズのシャツにハーフパンツといった部屋着で現れた。

 しっかりと制服を着こなしている姿しか見ていないからか、こうしたオフの姿を見るとどうしても胸にくるものがある。

 綾瀬のナース服や東堂のバニー姿とは違う、現実感があるからこそ妙に目を惹かれるこの感覚。

 室内にほんのりと漂う甘い香りも合わさり、平静を装うのが難しくなるほど心臓の鼓動が早くなっていく。

 しかし、それを悟られると「下心がある」と思われてしまう可能性があるため……難しいながらも気にしないよう努めて向き直った。


「……俺が言い出したことだし、別にいいよ。っていうか、まさかとはなぁ」


 ―――どうやら、西条院の悩みは本日の夕飯のことらしい。

 毎日やって来る家政婦さんのご両親が急に倒れて今日はやって来れず、代わりに夕飯を作ってくれる人を探さなければならなかった、とのこと。

 そこら辺に売ってある弁当でも買えばいいのでは? なんて思っていたが、栄養管理にうるさい父親の命令もあってそうもいかないのだとか。


「私が作ると、どうしても三途の川を渡りたがる人が多発するらしいので」

「ふぅーん」


 合金でも料理に混ぜたのだろうか?


「私としても、ちゃんとレシピ通り調味料も材料も合金も入れながら作ってはいるらしんですけど……」


 合金らしい。


「そのレシピがどこに載ってあって誰に需要があるのか皆目見当もつかないが……栄養管理の意識がここまで強いとはなぁ」

「はい……我ながら困った父親です」

「いいじゃん、それだけ心配されてるってことだし」


 過干渉は愛情の裏返し。

 放任主義も愛情の一つだとは思うが、しっかり目で分かる親の愛というのもそれはそれで素敵なことだ。

 まぁ、思春期の子供にとっては鬱陶しいのかもしれないが、少なくとも西条院からは本当に嫌そうな雰囲気は感じなかった。


「んで、とりあえず俺は栄養価に気をつけながら料理を作ればいいんだな? アレルギーは?」

「アレルギーはありません。それと、基本的にうちにあるものは好きに作っていただいて大丈夫ですし、無理に栄養価を気にして作らなくても……」

「いいや、任されたからにはそれなりに頑張るさ。まぁ、家政婦さんには負けると思うがな」


 本当は栄養価計算をして献立を決めた方がいいんだろうが、生憎とそこまで考えて作ることはできない。

 自ら名乗り出しておいて申し訳ないが、ある程度カロリーが低くて栄養のある献立を冷蔵庫の中身を見て決めるぐらいだ。


「苦手なものは?」

「ありましたが、ちゃんと克服できたので問題ございません」

「ふぅーん……そっか、すげぇじゃん」


 直った、のではなく克服した。

 ということは、直すために努力したということ。

 苦手を苦手のまま放置する人は多い。

 その中でしっかりと苦手なものに向き合っている姿は、素直に好感が持てる。


「大したことではありませんよ」

「そうか? 俺はそうは思わんが……」

「ふふっ、昔も似たようなことを言われました。ちなみに、苦手もその人のおかげで克服できたんですよ」

「なんだろう……一気に甘酸っぱい話になった気がする」


 さっき、初恋の話を聞いたからだろうか?

 ここからラブコメが始まりそうな予感。


(そういえば、昔に……でかっ! 中もびっしりだし……もうなんでもあるんじゃないか?)


 冷蔵庫の中身を見て、思わず驚いてしまう。

 部屋の広さに合うほど大きな冷蔵庫の時点で察していたが、肉も魚も野菜も卵もしっかりと補充されている。

 もう献立など予め決めてから冷蔵庫の中身を見てもいいぐらいだ。


「あ、あの……やはり、お金お支払いします」

「だからいいって、別に。っていうか、ちょっとこっちが楽しくなってきた」

「ですが―――」

「お嬢様はゆっくりテレビでも見ていていいから。それか、心配だったら監視するか?」

「……監視します」

「Oh……」


 冗談で言ったのに、思ったより信用が低い。

 ま、まぁ……人様のキッチンを使うわけだからな、見ておきたいと思うのが普通……だと信じよう。


(……人様ひとさまに振舞うんだったら、すき焼きかなぁ)


 もちろん、あくまで『風』ではあるが。

 とはいえ、せっかくならがっつり栄養思考というよりも美味しいものを食べてもらいたい。

 成り行きでこんなことをしているが、引き受けたからには満足してもらわなければ。


(しかし、まさか俺があの西条院の部屋にお邪魔することになるとは)


 うちとは比べ物にならないイメージ通りの高そうな部屋。

 リビングが一望できるキッチンにしか立ち入っていないが、テレビの横の棚には賞状やトロフィーがびっしりと並んでいる。

 生活感が溢れる空間かと言われたら首を傾げるが、清潔感溢れる空間というのが肌で分かるほど広々としていた。

 果たして、この空間に何人足を踏み入れたことがあるのだろうか?

 西条院の浮ついた人気者の話を聞いたことがないから、ふと気になってしまう。


「…………じーっ」


 ただ、それよりもカウンター越しに見つめる西条院の姿が気になった。


「あ、あの……西条院さん?」

「……私のことはお気になさらないでください」


 お気になさるほど見つめられているんだが……まぁ、気にしないでおこう。

 早く済ませないと、それこそ遅くまで女の子の家に入り浸ってしまうことになる。

 そうなれば、西条院のご両親も心配するし、変に噂が立ってしまうかもしれない。

 だから俺は食材を取り出し、鍋と包丁とナイフの位置を確認をして早速調理に取り掛かった。


 ……まずはネギを斜めに切って、えのきは半分。春菊はざく切りでいいだろう。

 コンロが三つもあるからありがたい。一緒に味噌汁でも作ってしまおう。


「……佐久間さんは、普段からお料理をされているのですか?」


 俺の様子を見て、ふと西条院がそんなことを聞いてくる。


「普段から、っていうわけじゃないな。親がいない時にたまに作るぐらいだよ」


 最近だと、綾瀬が作ってほしいって言う時ぐらいだろうか?


「それなのに、かなりの手際のよさですね……」

「まぁ、一応小さい時からやっていたからな」

「小さい頃から、ですか」

「あぁ……昔、って女の子がいてさ」

「ッ!?」


 確か、小学三年生の頃に姉妹校交流みたいなのがあって、そこで給食を泣きながら無理しながら食べてる女の子がいて。

 皆が「無理しなくても」って止めても、頑なに食べ続けて。

 結局、苦手なものを克服したいからって───


「んでさ、皆気味悪がって関わろうとしなくて……でも、なんか「かっこいいな」って。俺、なんとか手伝えないかなーって自分で料理作ることにしたんだよ」

「…………」

「まぁ、慣れないことだから指切ったり火傷したりで大変だったけど、最後は自分の作ったものを苦手なものが入ってるのに美味しそうに食べてくれてさ……そこからかな、料理が好きだってなったのは」


 そういえば、名前なんだったっけ?

 確かちゃんと聞いてなくて、皆が言っていた「ひーちゃん」って呼んでいた気がする。

 交流会自体も期間が短かったし、結局あれから会ってなかったんだよなぁ。


「ほんと、懐かしい───って、どした?」


 少しばかり懐かしさに浸っていると、ふと目の前にいる西条院の顔に首を傾げてしまう。

 何せ、口元に手を当て、顔をしていたのだ。

 しかし、俺が尋ねたからか、西条院はすぐさま咳払いをしていつものお淑やかな顔に戻った。


「いいえ……その、素敵な理由だな、と」

「そうか?」

「えぇ、そうですよ」


 そんなもんだろうか? ただ、そう言われると少しむず痒さを覚えてしまう。


「(……本当に、素敵だと思います)」


 ただ最後、ボソッとだけ。

 聞こえるか聞こえないかの声量で西条院は何かを口にした。


 その時の彼女の頬は、何故かほんのりと朱色に染っているような気がした。

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