星界のヴェルシグネルセ — 空に唄えば竜は踊るか —
夢咲蕾花
第1話 逃亡者、四人
【表紙】https://kakuyomu.jp/users/RaikaFox89/news/16818093089209001493
長いこと眠っていた気がする。不思議な夢を見ていたことをぼんやり覚えていて、エストは
夢の中で自分は星界の女神に会った――気がする。四本腕の豊満な乳房を持つ美しい青髪の女神。微笑みを浮かべ、こちらをじっと見ていた。
ひどくガタゴトと揺れていた。青々とした緑の匂いは伴ない、馬車の荷台で外を移動していることがわかる。
「ん……う……」
ゆっくりと瞼が開いていく。
まず最初に視界に青いものがちらついた。それが自分の髪の毛だと気づくまでに少し時間を要し、それから体を改める。
簡素な膝丈のチュニックを一枚着せられ、下はズボンが一枚。革のフットラップが両足に靴がわりに履かされている。
自分がエスト・アステリアという十八歳の青年であることを思い出すが、それ以外の記憶にもやがかかっていて、思い出そうとすると酷い頭痛――鈍痛に襲われ、頭を両手で押さえた。妙な高揚と、そして不安を抱いた。
不安の原因は主に体の前に回されて縄を打たれている両手にある。
自分は囚人だ。最悪なことに、捕まっている。
どういうことだよと呆れながら視線を前に向けると、同じように縄に打たれているメスケモと目が合った。
メスケモ。メスケモである。狼のような外見の獣人で、狼のような毛皮に覆われている。黒銀の体毛は荒々しくもつややかに
「よう、お目覚めか? どこで行き倒れたか知らんが、反乱軍残党の廃村でこいつらに拾われるとは運がなかったな」
「……この、状況は」
「状況? 王国軍親衛隊を自称する過激組織マーシャルに捕まった哀れな囚人が四人」
エストは隣を見た。そこにも男が捕まっており、ヒゲダルマのドワーフである。その対面には褐色肌のブラウン・ダークエルフっぽい青年が縄を打たれている。
幸い口枷はされていない。獣人——爪牙族の女は続ける。
「マーシャルは国家主義が行き過ぎた過激組織だ。反乱軍のきらいが少しでもあればしょっぴいて、縛り首にする。肝心の王国王室も手を焼く問題児だ。俺たちはこれからどっかの刑場で、首を括られるんだろう」
冗談じゃない、とエストは思った。目覚めて早々首を括られて舌にハエを集らせてたまるか。
何とか縄を解けないか手首を擦り合わせたり引っ張ったりするが、頑丈な麻縄はその程度では外れず、無駄な労力に終わった。
乗せられている幌もついていない荷馬車には御者が一人と、騎馬兵が二人だけ。手足が自由になれば剣を奪って、反撃できるだろうか。
そう考えていると、突如騎馬兵の一人が「幻獣だぁっ!」と怒号を上げた。
小脇の茂みから、突如として犬のような獣人――いや、より獣に近い容姿の怪物が現れた。
そいつの大きさは身長一六〇~一七〇センチほどで、黒灰色の毛皮をしている。前傾姿勢で鋭い爪を持った前足を構え、その胸元には縦列三対の乳房が実り、垂れていた。
何ともおぞもましい――それでいてどこかエロティックな造形のモンスターだ。
「コンテプコボルだ! おっ、お前ら! さっさと殺せぇ!」
御者の男が怯えて騎馬兵に命令した。騎馬の兵はそれぞれ剣を抜いて構え、コンテプコボルと呼ばれた幻獣に向かっていく。
そこへ、エストの前に座っていた爪牙族の女が身を乗り出して御者の男を締め上げた。喉をギュッと締め上げて頸動脈を一気に締めると、意識を奪ってダガーナイフを盗み出し、それを使って器用に縄を解く。
「お前らの手も出せ」
言われた通りエストたちも手を差し出して、縄を切ってもらった。自由になった手を振って、エストは思うところがあり御者の男からブロードソードを盗むと、荷台をこっそり降りて騎馬兵の目も盗み、その混乱の最中脱走した。
意外なところから転がり込んできたラッキーに、エストは内心ほくそ笑んだ。
自分が本当に悪事を働いて罰せられるなら納得が行くが、何もしていないのに過激な組織に捕まって一方的に縛り首など、たまったものではない。それはエストだけではないはずである。誰もがそう思って然るべきなのだ。
それはエストが持っていた信念とも正義とも違わぬものであり、揺らがぬものだった。人として不条理に腹を立てるのは当然の権利であり、自由だった。
騎馬兵の喧騒をよそに、四人は獣道を進んだ。
時間は太陽が出ている具合からして十一時くらいだろうと、獣人は言った。この世界にも一時から十二時までの時間の単位があり、キロメートル法が存在する。公正にして公平の女神であるステラミラが定めた法である、とされるそれは、この大陸では一般的な単位であった。
四人は森の空き家になっている小屋に、夕方ごろ入った。
そこはマタギが使っていた小屋のようで、今はもう用いられていない。古びた弓矢と鉄の鏃の矢が八本おいてあり、エルフの男はそれで鹿でも仕留めてくると言って、置いてあった鉈を握って小屋を出ていく。
もう一人の囚人であるドワーフの男は剣を研いでやろうと、外に置いてあったペダルで回転させる砥石の調整をしてから、エストのフロードソードを研いでくれた。
道中、剣を持っていたエストと肉体が優れる獣人は常に神経を張り巡らせていたので疲れていた。
小屋の外で焚き火を起こし、それにあたりながら、ようやくといえばようやく、彼らは名乗りあった。
焚き火には、捌いた鹿肉が掲げられ、焼かれている。エルフは立派な雌鹿を仕留めてきたのだった。
「俺はエスト・アステリア。……記憶喪失だ。あそこで目覚める以前の記憶が抜け落ちているんだよ」
続いて狼系爪牙族の女が名乗った「クェス・バリトーラ。狼系爪牙族の傭兵兼屑浚いだ。傭兵はわかるよな?」
「わかる。だが屑浚いってのは?」
「まあ冒険者みたいなもんだ。洞窟や遺跡、廃墟を探って廃品を探って、金に換える仕事だな」
「へえ……」
エストはそれはまさしく冒険者の仕事だな、と思えた。
続いてブラウン・ダークエルフの美しい青年が名乗った。
「僕はフューラント・ロド。エルフの里を出て旅をしていたんだが、そこで運悪くマーシャルの連中に捕まった。密偵ではないかと疑われてね」
「酷い話じゃな。儂はエンブリー・ロン。流れの鍛治職人で、反乱軍に剣を打っていたこともあり、それで捕まった」
「その……反乱ってのはなんなんだ?」
レアに焼けた肉を取って、クェスが答えた。
「九年前に終結した内乱でな。貴族連合軍が挙兵した反乱軍と、王国軍が各地でぶつかった。最後は天瀑って瀑布での天瀑決戦で王国軍が勝ち、敵の本丸を落としたんだ。十四年も続いた。私は傭兵だから、反乱軍も王国軍も関係なく、
働貨の知識はあった。
働貨とは労働力——魔力や物資を封入した札のことで、人々はそれを使って物々交換の要領で物品を取引する。
しかし十四年も続いた内乱があったことなんて、知らなかった。自分が今十八という自覚はあり、つまるところ九歳の時に終戦しているはずである。物心があって然るべきなのに、肝心の記憶が抜け落ちていた。
フューラントが「肉がそろそろいい具合だよ」と言って、串を取った。
本来いがみ合うエルフとドワーフだが、二人とも流れ者だからか特に喧嘩もしない。
エストは肉を取って、齧り付いた。獣肉の脂が滴り落ちる。こんがり焼けた肉は熱く、そして分厚く食べ応えがあった。
素直に美味いと感じ、エストは夢中でそれを貪る。小柄な雌鹿だが、明日の朝分までの肉はあり、虫が集らないように小屋の中にあった木箱に切り分けて入れていた。
エストは食べ終わった後で、口の周りの脂をチュニックの長袖で拭う。
「ごちそうさま」
五芒星を切った
この世界において、聖五芒竜星教が力を持っていることを知っているし、自分がそれを信仰していることも覚えていた。その宗教においては五芒星は聖なるものとされ、双竜神が物質界を創造した際に生み出した五神竜の関係性を意味している、とのことだった。
覚えていることと忘れていることに何か法則性があるのだろうかと考え、やめた。また頭が痛くなってきたからだ。
「ほれ、薬湯でも飲んであったまれ」
エンブリーが薬草を浮かべて煮沸消毒していた川の水を差し出してきた。エストは全部小屋の主に感謝しつつ、やはり小屋にあった鋳鉄鍋からコップに注がれた薬湯を啜る。
浮かんでいる薬草は記憶にあった。セリーン草だ。聖女セリーン・アンゼリーが寵愛した薬草で、直接齧っても、すりつぶして傷口に塗っても、湿布薬にしても怪我に効能がある薬草である。
ハーブのような風味がする湯を飲んでいると、落ち着く。
全員が程よくあったまったところで、夜も深くなってきた。四人は小屋に敷いてある熊皮の絨毯の上でゴロリと横になって、眠りについた。
季節は春先でまだ冷えるが、凍え死ぬほどではなかった。
やがて小屋にいびきが広がり、エストも睡夢の世界に沈んでいくのだった。
彼らはその時、近くに追手が迫っていることに、まだ気づいていなかった。
星界のヴェルシグネルセ — 空に唄えば竜は踊るか — 夢咲蕾花 @RaikaFox89
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