第29話

「福井くん」


 水道で自分の手を冷やしていると、駆け足で天枷がやって来る。


「手、大丈夫?」


 言いながら俺が水道で冷やしている手を心配そうに見つめてくる。


「大丈夫。大したことないよ」


「見せて」


 半ば強引に手首を掴まれて手のひらを見られてしまう。


「大したことはなさそうだけど、水膨れになっちゃうかも」


 ちょっとした罪悪感のようなものがこもった言い方をするもんだから、気にすんなよって意味で明るめに返してやる。


「なら良かったよ。天枷の顔に火傷が残るくらいなら、俺の手のひらに水膨れができるくらい安いもんだ」


「……」


 軽口を叩いても火傷の痛みは引かないし、なんなら俺の軽口に天枷が引いて沈黙になってしまった。


 やせ我慢をしているもんだから、ちょっぴし皮肉っぽくなってしまったか。


 とかなんとか心配していると、天枷が俯き加減で小さく聞いてくる。


「あ、あの……さ、さっきの、その、セリフ、なんだけど……」


「セリフ?」


 一体、なんのことを言っているのかさっぱりわからん。


 ただただ首を傾げてしまうことしかできなかった。


「や、その、ね。好きな人が? 傷つくようなことをしてんじゃない、とか、なんとかって……」


「あ、ああー。はいはいはい……はい?」


 あ、やべーな。


『(お前の)好きな人が傷つくようなことしてんじゃねぇよ!!』って思いっきり言ってしまったよね。


 風見が天枷のことを好きなのはほぼ確定だろうが、確証を得ていないのにあんな公の場で言うセリフではなかったか。


「つい、カッとなっちまって言っちまったな」


 やっちまったと言わんばかりに頭をかいて反省。


「そ、そう、なんだ……つい、カッとなって……」


 天枷は頬を赤く染めて小さく俺が言った言葉を繰り返した。


「そ、それって……福井くんは私が傷つくのが許せないってことで、本音が出たってことで良いの、かな?」


「ん、そうだな」


 風見には悪いが、そもそも風見が悪いんだし、そこは大目に見てもらおうか。


 こちらの答えに対して、「そっか……」と小さく漏らしながら、握っている俺の手首に、ギュッと力を入れた。


「えっと、私、えとえと……まだ、そういうのってわからなくて……高校二年生なのにまだ恋もわかんないのかよって話なんだけどね。でも、私はずっとバスケばっかりしてたし、だから、ね、その、よく、わかんない……かな……」


 なんとも拙い言葉使いと共に顔を上げた天枷の顔は、イチゴなんかより真っ赤にそまっていた。


 彼女の物言いから、風見の気持ちは嬉しいけど、恋の経験がないからどうして良いかわからないという意味らしい。


「天枷は天枷の気持ちを尊重すれば良い。いきなり答えなんて出さなくても待つさ」


「福井、くん……」


 顔を赤くしたまま俺の手首を離すと、赤い顔のままそっぽを向いて言ってくる。


「すぐに先生に見てもらった方が良いよ。それじゃお大事にね(超早口)」


 そのまま天枷は競歩選手もびっくりのスピードで早歩きをして。


「いでっ」


 プロ野球選手もびっくりのヘッドスライディングを披露した。


 すぐさま立ち上がり、サッカー選手も驚きの速さで立ち上がって班のところへと向かって行った。


 なんであんなに焦っているのやら。


 風見の気持ちを知って動揺しているのかな。


 天枷から風見への評価はあまり良くなさそうだったけど、あの顔だから、いざ好意を向けられたことを知ったら、ありかもって言う心の動揺ってところか。


「龍馬」


 天枷と入れ替わりでやって来たのは葵だった。


 しかし、ちょっとばかし様子がおかしい。なんだか心配事があって駆け付けたかのような雰囲気を醸し出している。


「どうした?」


「あ、や、手は大丈夫そ? 熱いもの素手で弾いてたでしょ?」


「ああ。水膨れにはなるかもしれないけど、大したことはなさそうだよ」


「そう。良かった」


 葵の奴は俺の手のことが心配で来たって感じではなさそうだ。なんとなくわかる。


「それを言うためだけに心配して駆け付けたって感じじゃないよな?」


 そんな質問の仕方をしてやる。


「そうね。手が心配なのは本当だけど、気になるのはそこじゃないわね」


 あっさりと認めた彼女へ質問を続ける。


「なにが気になるんだよ」


 尋ねると、すぐさま答えが返ってくる。


「あんた、天枷さんのことが好きなの?」


「なんでいきなり恋ばなが始まったよ」


「い、いいから答えなさい」


「いや、な、葵。何度も言うが、別に好きとかじゃ──」


 彼女の質問に答えようとして思い止まる。


 確か、勘違いをしているのはアイリスの方だったはず。葵とはその話題が上がったことがないはずだ。


「別に、ただの学園の二大美女様だろ」


 咄嗟の切り返しでそんな答えになってしまった。


「そう」


 ひとまず安心だなんて言いたげなため息を吐く。


 一体、俺の答えのなにが精神安定剤だったのか気になっているところで、葵がとんでもないこと爆弾発言をしてきやがる。


「でも、もう周りの人達は龍馬が天枷さんのことを好きってことになっているわよ」


「……はい?」


 爆弾発言が過ぎて、俺の鼓膜が言葉の爆弾で逝ってしまったようだ。よく聞き取れなかった。


「おれが、あまかせを、すき?」


 なんだか宇宙人みたいな言葉使いになっているところへ、葵は容赦なく首を縦に振った。


「な、ななな、なんでぇ?」


「そりゃあんた、風見くんから天枷さんを守って『俺の好きな人が傷つくようなことしてんじゃねぇよ!!』なんて公言すればそうなるわよ」


「いやいやいや、待て待て待て! 誰がそんなセリフを吐いたよ?」


 葵がそのまま指を差してくる。


「あんた」


「言ってねーわ! 『風見お前が好きな人が傷つくようなことしてんじゃねぇよ!!』だわ!」


 真実を話すと葵は、ちょっぴり嬉しそうな顔をして腕を組む。


「ま、あんたのことだからそういう意味で言ったんだとは思うわよ」


「それ以外にないっての……え、待って。え、うそ。俺がそんなことを言ったことになってんの?」


「天枷さん本人も含めてそういうことになってるわよ」


「俺、一言もそんなこと言ってないのに?」


「人間はおもしろい方に都合良く脳を改変するからね」


「全然おもしろくないわっ!」


 俺は火傷の痛みを忘れて頭を抱える。今は水脹れよりも、噂の膨らみを抑えないといけない。


「え、待って。ちょっと待って。俺、さっき天枷に、『天枷は天枷の気持ちを尊重すれば良い。いきなり答えなんて出さなくても(風見は)待つさって言ったんだけど』


「完全に告白の返事待ちをするイケメンのセリフね」


「ぼっちのセリフですけどもね! とか言ってる場合かっ!」


 天枷のあの態度はそういうことかよ。


 そもそも冷静に考えると、陽キャうぇーい族の長である風見にブチ切れた時点で悪目立ちしているってのに、プラスして学園の二大美女に公開告白したことになってんなら、どえらい悪目立ちよ? 相乗効果が悪い方向にフライアウェイよ?


「あわわわ! ど、どどど、どうしよう、葵ぃぃ」


「落ち着きなさい龍馬。あんたは別に天枷さんのことが好きじゃないんでしょ?」


「お、おん」


「だったら堂々としなさい」


「で、でもよぉ」


「恋愛指南アプリ。教えてあげたでしょ。AIに聞くのもアリなんじゃないかと私は思うわよ」


 パチンとウィンク一つ投げてくる葵は、アイドル顔と相まってトップアイドル様に見えてしまう。


「あおいぃぃ」


 頼りになりゅううううう。


「ほら、とりあえずはあんたの手のこともあるんだし、先生のところへ行くわよ」


 そう言って俺の腕を引っ張ってくれる葵と、先生のところへ行き応急処置をしてもらった。


 ついでに俺の悪い噂も応急処置してくれないだろうか。


 なんて叶わぬ夢に散った。

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