第七話

 そこには地面や壁面の窪みなどの各所に行灯が配置されており、視界が確保できた。

 天井は高い。ちょっとした屋敷なら入りそうなほどの幅と高さがある場所だ。

 その中央に、驚くべきものが鎮座していた。

「……おい、これはどういうことだ」

 陣太は背の大鉈に手をかける。

「屍竜じゃねえか。こいつは」

 艶を失った鱗、黒く沈んだ色は強い死の気配だ。とぐろを巻いた恐るべき長身。淀んで濁った瞳は行灯の揺らめく火を受けて鈍く光っている。

 屍竜。かつて竜神だったものだ。

「どうか落ち着いてください」

「どういうことかと聞いてる。お前は屍竜を匿ってるのか?」

 そう言って忌夜を非難した時だ。屍竜がその頭をもたげて陣太を見下ろした。陣太は大鉈を構え、歯噛みした。屍竜はそこらの物の怪とは格が違う。竜気無しでは武器など何の意味も持たないだろう。しかし、その後に続いた出来事は完全に予想外だった。

「その刃を収めよ、竜術士」

 陣太は驚愕に目を見開いた。屍竜が人の言葉を話すなど聞いたことがない。

「驚くのも無理はないな。忌夜よ、この者は?」

「相談もなく連れてきて、ごめんなさい。でも陣太さんなら力になってくれるかと思って」

「どういうことだ」

 屍竜から目を離さず、隣にいる忌夜に問いかける。

「理性を保っている屍竜なんて聞いたことないぞ」

 死の穢れに侵されて神性を失った竜神が成り果てる姿、それが屍竜だ。神性と共に理性も消滅し、ただ殺戮と破壊を齎すだけの存在。過去に多くの屍竜を狩ってきた陣太でも、理性を保った屍竜など聞いたことはなかった。

「この竜神さまは特別です。わたしの死霊術でもって、その魂の形を留めています」

「死霊術……?」

「順を追ってお話ししますから、どうか武器を収めてください」

 陣太は屍竜と忌夜を交互に見る。両者から敵意は感じなかった。数々の強敵を相手に命懸けの勝負をこなしてきた陣太には肌で分かる。屍竜という目に見える脅威と、竜術士としての勘を天秤に掛け、陣太は決めた。

「分かった」

 もとより、竜気の込められていない大鉈など構えていても足しにはならないだろう。陣太は武器を背に収め、忌夜の方を向いた。

「じゃあ説明してもらおうか。こいつは何者で、お前は何者で、どうして俺をここへ案内したのかをな」


 適当な大きさの岩にどっかりと座り、陣太は忌夜の目を見て話を待った。怪しいところがあれば少しも見逃さぬよう、屍竜狩りに臨むのと同じ心持ちでの対話だ。実際、すぐ隣には屍竜が控えているのだから油断ならないのは当然だった。

 提灯の明かりに釣られて陣太たちについてきたのか、一匹の小さな蛾が陣太の目の前をフラフラと飛んでいる。鬱陶しくも顔にとまりそうだったそれを、陣太は片手ではたいた。弱々しい翅はあっけなく折れ、蛾は地に落ちた。

「まずは死霊術について説明しなければなりませんね」

 陣太が落とした蛾にチラリと目をやった後、忌夜は話を始めた。

「死霊術というのは、遙か昔に遠い大陸の国から伝わった魔術の一種です」

「魔術……」

 忌夜は頷き、続けた。

「二千年ほど昔のこと、遙か海の向こうにある大陸で、とても大きな戦があったそうです。死霊術が非常に栄えていたその国では多くの死霊術師が戦に駆り出されましたが、戦後には死霊術は邪法であるとして排斥が進んだそうです。追われるようにして国より逃げ延びた死霊術師の一部が立辰に流れ着いたことで、この国に死霊術が伝わることになりました。わたしたちの里には、その技を受け継ぐ末裔が住んでいるんです」

 そう言うと、忌夜はその場にしゃがみ、何かを拾い上げた。右の手のひらに乗せられたのは陣太がはたき落とした蛾の死骸だった。

 何事かと見ている陣太の前で、忌夜は目を閉じ何かを念じているようだった。そうして蛾の死骸に左手で小さく印を結んだ。次の瞬間、驚くべきことが起こった。

 死んでいた蛾が小刻みに震えたかと思うと、折れていた翅が元の位置に戻る。続いて脚がワシャワシャと動いて立ち上がり、再び羽ばたいたのだ。蛾は忌夜の手から飛び立つと、呆気にとられる陣太を尻目に飛び去り、行灯の間をフラフラと彷徨い始めた。

「これが死霊術です」

「生き返ったのか……?」

 行灯の周りを飛んでいる蛾は生きているようにしか見えなかった。

「いいえ。死んだまま飛んでいるのです。術の力が失われれば、ただの骸に戻ります。ほら、この通り」

 忌夜がそう言い終えるとほぼ同時、蛾は空中で突然動きを止めた。そのまま木の葉のように少し揺れながら墜落する。死んでいた。

「死霊術は文字通り、死霊の力を借りることで超常を成す魔術です。この術をもって死という本質を曲げることは出来ません。しかし、生きているように死んでいる状態を作り出すことは出来ます。術のかけ方や術者の実力次第ではあるのですが、充分な実力があれば生前と何ら変わらぬ意思や記憶を保った人間の死者を動かすことすら可能だと伝えられています。わたしは人間の死体に術をかけたことは無いのですが――」

 忌夜は屍竜を見上げた。行灯の薄明かりに照らされた巨大な死の影。首をもたげたままの屍竜は黙って話を聞いているようだ。

「体は屍竜に成り果てても、竜神としての魂の形を維持することは出来たのです」

「どうしてそんなことをする」

「……その説明には、わたしの里について話さなければなりません」

 忌夜は再び陣太に向かい合った。

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