第六話
食事を続けながら、忌夜は語り始めた。
「わたしがここへ来たのは二年ほど前のことです。それまでは
「遠いな。しかも、竜界の目と鼻の先だ」
忌夜が示したのは到底人が住むとは思えない土地の名前だった。
立辰の国土は大きく二つに分けることが出来る。それが、人界と竜界だ。
人界とは文字通り、人の住まう土地のことを言う。皇都も、この山も、先程馬車で降り立った谷馬の町も、全ての人里は基本的に人界にある。ただし竜神社だけは特別で、そこに祀られている竜神は人との契により人界にその身をおいている。基本的に、これらの竜神は人に対して友好的だ。
対して竜界は竜の住まう土地だ。ここに住まう竜神は人に対して友好的とは限らない。古に竜神と人間が結んだ盟約により、竜界から竜神が勝手に出てきて人を襲うことはまずない。たが、逆に人間が竜界に立ち入った場合、その身、その命をどう扱おうと竜神の自由である。これも盟約で定められていることだ。
従って、竜界との境界付近に当たる土地に人々は住みたがらない。目で見える確実な境界線が引かれているわけではないため、うっかり竜界へ立ち入って竜神の怒りに触れたらたまったものではないからだ。
忌夜が言ったのはそんな土地の名前である。
「いえ、目と鼻の先ではなく、さらに奥です。竜界の深部に立ち入った先にあります」
「竜界に人里があるのか? まともに暮らせると思えねえが」
「飛び地なんです。竜界に囲まれた人界がありまして」
「そりゃ珍しいな」
そのような事例は極めて稀だが、過去に無くはない。例を挙げるならば、人里に居場所をなくした罪人などが一縷の望みを掛けて竜界に逃げ延びた末、運良く飛び地の人界に生きて辿り着いた場合などだ。そういう者たちが寄り集まって飛び地に人里が形成された例はある。だが、すべての交流が人界と隔絶されるために共同体として成り立っていた例は極小だ。そもそも存在を確認することが至難の業でもある。
「ここにいるってことは、お前は竜界を通ってきたんだろ。よく無事に出てこられたもんだ」
「わたしには特別な竜神さまがついておられますから。まあ、それでも命懸けではありましたけど」
言われて陣太は思い出した。先程、忌夜は大鼬を追い払うために竜術めいた技を使っていた。本人は竜気をぶつけただけだと言っていたが、竜気を得ているからには竜神とのつながりがあるはずだ。
「その竜神ってのは隠れ里の竜神社にでもいるのか?」
「いいえ。……一度、見たほうが早いでしょう。説明がとても難しいのです」
「どういうことだ」
「ついてきてください」
空になった椀を置き、忌夜は立ち上がった。さらに籠の中から提灯を取り出して明かりを灯す。どうやら外へ出るつもりらしい。
「陣太さんになら、お願いできるかもしれません」
忌夜は陣太を伴って山を下り始めた。登ってきた方向とは反対側の、深い谷間へ向かっているようだ。下方では微かな月明かりを受けて煌めく水面があった。池だ。
やがて池の畔に辿り着く。忌夜はそこで、一点を指さした。
「あそこです」
茂みに隠されて見つけづらかったが、そこには洞穴があった。
忌夜はためらうことなく洞穴へ向かう。
洞穴は横幅こそ余裕があったものの、天井は低く、陣太は僅かに腰を屈めながら歩かなければならなかった。背の低い忌夜はそのまま進んでゆく。
「おい、何があるんだ?」
説明もなく暗く歩きにくい場所を進むのに陣太が苛立ち始めた頃、忌夜は答えた。
「もうすぐです」
その言葉のすぐ後、二人は広い空間へ出た。
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