第五話
夜の森を歩き慣れているのだろう。忌夜は暗がりの獣道をものともせずに木々の間を縫うようにして山奥へと足を踏み入れてゆく。どのくらい奥へ来たか分からなくなった頃、二人は開けた場所に出た。月明かりの下に簡素な小屋が見える。
「わたしの家です。元は猟師が使っていた小屋だったようですが、打ち捨てられていたものを少し直して使っています」
忌夜に招かれて小屋の中へと入った。
先に入った忌夜が行灯に火をいれると、部屋の中が明らかになった。種火のちらつく小さな囲炉裏。なみなみと水の注がれた水瓶。隅には大きめの籐の籠が一つと、薄い布団が丁寧に畳まれて置かれている。必要最小限の物だけが置かれているという印象だ。
忌夜は籠から諸々の道具を出してくると、陣太を座らせて手当を始めた。水瓶で濡らした手ぬぐいを使って傷を洗い清め、包帯を巻いてゆく。手際よく手当を進めながら忌夜は言う。
「逞しい腕ですね。良い竜術士だったのでは?」
「良い竜術士が破門されるか?」
「腕の良さと人の良さは別でしょうから」
「余計なお世話だな」
手当が終わった。忌夜は道具を片付けながら問うた。
「そういえば、まだ名前を聞いていませんね」
「陣太だ」
「陣太さん。良い名前です」
「この名前で呼ぶヤツは少ないけどな」
「どういうことですか?」
「嵐兵衛。俺のことはみんなそう呼ぶ」
「あっ、その名前は聞いたことがあります。有名な竜術士、しかも辰斬りですよね」
嵐兵衛の名前だけが独り歩きしていることは陣太も知っていた。まさか、こんな僻地の山奥に暮らす娘の所にまで轟いているとは思いもよらなかったが。
「一度暴れ出したら誰にも止められず、どこへ向かうかも分からない。歩いたあとには瓦礫と死骸しか残さない。まさに嵐のような男。そうしてついた渾名が辰斬り嵐兵衛」
「誇張がひどすぎるな。まあ、どう呼ぼうが好きにすりゃいいが」
「実際はどうなんですか?」
そう言いながら、忌夜は囲炉裏に鍋をかけて料理の支度を始めた。陣太にも振る舞うつもりだろうか。蓄えてあった保存食だろう、干した獣の肉や刻まれた根菜類が鍋の中へと放り込まれてゆく。
「俺はただ強い相手と戦いたかっただけだ。それが一番楽しいし、生きてる実感がする。それを繰り返してきただけのことだ」
「戦いたくて竜術士に?」
「俺は暴れて戦うことしか出来ねえからな。そしたら、竜術士にならねえかって誘われたんだよ。この国で一番強え敵っつったら屍竜だろ。そんで屍竜と戦えるのは、竜術士しかいねえ。だから引き受けてやったよ」
竜術士の他に、陣太が出来る仕事などこの国にはないだろう。どんなに恐ろしい荒くれ者でも、その暴力性が物の怪や屍竜に向かう限り竜術士は護国の英雄である。そうでなければ、ただの暴漢だ。
「だが、竜術士会はつまらん雑魚狩りの仕事も振ってきやがる。だから俺は自分に見合う強い相手を選んで戦ってきた。そしたら、このザマだ」
「要は命令違反で破門されたと。概ね噂通りの人なんですね」
「お前、遠慮がないな」
陣太が言うと、忌夜は岩塩を砕いて鍋へ入れながらクスクスと笑った。
陣太が歩けば多くの人々は避けて通った。それは竜術士会の仲間でも同じことだ。理由は様々だろう。単に陣太が怖いからという者もいれば、面倒事に巻きこまれるのは御免だという者もいたはずだ。しかし、初対面でこんな反応をする娘は初めてだった。
忌夜は鍋をかき混ぜている。いつしか、グツグツという音と共に具材の煮える温かくて良い匂いが小屋の中を満たしていた。
「食べましょう」
忌夜は椀を二つ用意すると、陣太の分もよそって寄こした。
「まだ、お前の話を聞いてねえが」
「食べながらにしましょう。お腹が空いていませんか?」
朝に皇都で握り飯を食べたのが最後だ。言われてみれば腹も空いている。陣太は椀を受け取り、一口汁を啜った。旨かった。
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