第12話 石塚との再会
石塚は自宅と大学の定期便にはやりきれずにいた。越村が穂高に旅立ってから石塚には虚しさが付き纏う。行き場のない虚しさを抑えきれずに、夏の間ほとんど日帰りで周辺の村や町へ足を運んだ。広い外の世界にはもっと静寂なところもあるが、言葉や習慣の違いは彼の孤高な生活環境から馴染めなかった。それは早苗さんから、次男は親の目も届かず双方の気持ちも緩みがちだと、ここへ来る車中で聞かされた。これには越村自身も頷ける。今回の旅館に於ける長期引き籠もりとは言い難い滞在には同情を寄せた。ただ単位の取得限度ギリギリまでアルバイトをする越村には羨ましい。それだけに説得にはそれ相当に自分の感情を押し殺して対処するところが辛い。
姉が来るのは解っていたが越村は予定外なのか、石塚は彼の顔を見て驚いた。
「越村、お前、穂高から帰ったばかりじゃあないのか」
「そうだおととい帰った」
「中一日でここへ来たわけか。ご苦労なこった」
「そんな言い方はないでしょう。せっかく家族一同の期待に応えてくれたのに」
「どう言うこっちゃ」
と石塚は姉を見た。
「越村が来るのは解るが、姉さんがどうして来たんだ」
「なに言ってるのよ。あんたが中々帰ってこないから様子を見に来たのよ」
「ほんとは逆じゃないのが越村」
今まで放任主義の親が気に掛けるはずがない。とにかくそこの喫茶室で家の話を聞こうと席に着いた。
車でここまで来ればここの自然環境の良さは一目瞭然だ。越村が人間の生活環境に馴染まない三千メートルの山岳世界に陶酔するように、怠慢な足腰から来る不安を克服して都会生活を排除した最も近い場所を見付けた。家からここまで車で二時間も掛からない山間に、こんな飛騨の白川郷に匹敵する茅葺きの集落が存在して感動したのだ。
「姉貴より気になったのは越村、お前だろう」
憎めない嗤いを浮かべて、石塚は越村に言ってのけた。
「バカ言え、俺がお前に対してそんな埒もないことを考えるはずがないだろう」
「ほほうー、珍しく女とドライブできて頭が可笑しくなったか」
「裕司、何バカのことを言ってるの、山で二ヶ月のバイトを終えて疲れているのを無理して来て貰ったのに」
「憧れの地に逗留出来て、しかもお金まで貰えるのだから。こんな
「こう言えばああ言う、裕司、あなたにはこの人の苦労が分からない。稼ぐ苦労が身に付いてないあんたに、その根本まで理解出来ない者に何が判るというの」
姉もそれほど親から干渉を受けてないが、矢張りそこは女性として何処に嫁に出しても恥ずかしくない躾けはされた。勿論生活の根本をなす金銭感覚は、特に母親は無駄な浪費を戒めていた。この点は弟には全く言わないどころか、そんなみみっちい男はみっともないと躾けらた。まだ子供だった沙苗には不満たらたらにそんな弟を恨んだ。それ
「姉貴の言わんとしたことは良く解った。だからもう引きあげてくれ、暫く越村とゆっくりと話たい」
「判ったわ、あたしは帰るけど。越村さんは此処に泊まるのなら費用はこちらで用意するから弟と暫く一緒に話して欲しい」
と懇願する。その為に親の意向を受けて来て手ぶらでは帰れない。弟をなんとか説得させるために、どうしても越村を此処へ滞在させたいのだ。
「俺には大学で講義を聴いておかないと留年すれば、お前と違って世間体でなく生活に響くんだ。一年でも早く社会に出て正社員の口を見付けないと実家の家族が困るんだ」
「大袈裟だ。越村は俺と一緒で、真面目に出席してる。もうひと月休んでも単位には響かないだろう」
「その考えが間違ってる」
「ねえ、どうでもいいけれど。あたしそろそろ帰るから、越村さんも此処に逗留して話し合ってよ」
此の人に言われると断れなくなって仕舞った。
「部屋は空いてない」
「夏休みは終わったのよ。いつまで満室なの?」
「そうじゃあない、部屋数が少ないんだ」
「なら同室でいいんじゃない」
これには二人とも顔を見合わした。
「相部屋の方が旅館の人も喜ぶでしょう」
「此処は知る人ぞ知る関西に最も近い秘境に在る旅館なんだ」
京都と若狭を最短で抜ける途中にある美山は、人や荷物の行き交いで賑わった。だが高速道路も鉄道も此処を迂回して作られて、江戸時代の地方の風情を残したまま寂れて今や秘境扱いになった。最近それを目当てにやって来る旅人でこの旅館は盛り返している。閉ざされた冬場ならまだしも、この季節に一人部屋は旅館にとっては頭が痛い。
「まあ別に相部屋に異存はないが、越村が此処に残る理由は俺のことか」
「そう、裕司、あんたが今日、あたしと一緒に帰るのなら何も問題はないわよ」
「姉貴は解っちゃいねぇなあ、それが問題なんだ」
「もう、その話をすれば長くなるから、ゆっくりと真っ当に育っている越村さんと話してよ」
「俺は真っ当じゃあないと言のか」
「問題はそこじゃあないと思うけど。じゃあねー、越村さん、あとは宜しく」
と沙苗さんは行ってしまった。
石塚を連れて帰ると言った手前、越村は呆気に取られて、上手く押し付けられて仕舞った。どうすると言う間に車は旅館から出て行った。
「バスはあるのか」
「あるが一時間に一本だが、そのバスはもう出たからあとは夕方までない」
駅まで車で一時間、歩けば途方もない時間と穂高から帰ったばかりで、病み上がりの筋肉では体力が要る。このまま帰れば沙苗さんから睨まれてそれも恐ろしい。そこまで計算して彼女は優しく包んでくれたと思うとゾッとした。
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