第11話 山里の旅館
翌日は大学には行かずに石塚がいると言われた、丹波の山奥の旅館に向かうことにした。しかも念の入れようが凄い。その夜には沙苗さんから、電車で行く越村をどうしても弟の居る旅館まで送ると言い出してきた。しかもこれは家族の総意に基づくものだと言われて、翌朝には彼女の運転する車に乗せられた。
旅館はJR日吉駅からそう遠くない山間にあると聞いていた。沙苗もそのつもりで車を走らせた。
「どうです昨日はよく眠れましたでしょう。二ヶ月に及ぶ山小屋生活ですものね」
厳密には一昨日帰ってきた時は、流石に今まで山で気構えて堪えて張り詰めたものが緩むと、足腰が崩れ落ちるようにその場に倒れ込むように寝入った。それでゆっくり眠れたのは、沙苗さんが言うように昨晩からだ。
「ええ、今朝はスッキリしました」
「昨日はあなたが帰ったあと、お母さんにどうだったか聞かれて、ちょっとお疲れ気味と言うとじゃあ送ってあげなさいってなったのよ」
彼女の話では、お母さんが石塚をかなり心配しているようだ。お姉さんの話だとほとんど甘やかした事はないと言うより、構ってやれなかっただけだ。放任主義とはいかぬまでもそれに近い。初めは石塚も戸惑ったが、その内に叱られぬ範囲で言葉や行動を楽しむようになった
「ちょっとほったらかし過ぎたんじゃないですか」
「そうかも知れないわね、兄の純一に構い過ぎて、大目に見ていたってことでしょう」
「エッ! 次男はどこでもそうなるのか」
「ひょっとして越村さんも次男ですか」
ウン、まあねと軽く受け流した。
車は南へ下がり五条通を走り国道九号線、
「でもさっきの園部駅の方がバスの本数が多いわね。多分、弟はあっちの駅を利用しいると思う」
沙苗さんは駅前を走り抜けると、車は府道を更に山奥へと走らせた。
「じゃあ電車だと園部と日吉駅ではどっちを利用すればいいんだろう」
「それも祐司に聞いてみたら」
「彼奴のことだから、ここでの生活環境に依って決まったやり方が定着してないんだろう。目的がハッキリすれば生活パターンも決まってくるが……」
「それは今日会ってみないと判らないわね」
市街地から沓掛インターに入って二十五分で園部インターを下りたのに、更に一時間も走ってもまだ着かない。日吉駅からそう遠くないと聞かされて、これでは話が違う。
「そんなに山奥なんですか」
「あたしも良く知らないのよ。ネットで
この人も適当なんか。
「お金は何処に送金してるんです?」
「ゆうちょ銀行だから、日吉か園部の郵便局に多分お金を下ろしに来ると思う」
「今日行くってメールしたんですか?」
「ええ、越村さんはしてないでしょう」
「解りますか」
「顔に描いてあるもん」
ウッ、とルームミラーを覗いて見ると、おかしな顔をされた。
「モウッ、あなたは嘘を吐けない顔をしているもの、そんなところが弟にそっくり」
シャイかシリアスなんか知らないが、この顔は人混みに揉まれてない人だと一目で解るそうだ。
日吉駅を離れてかなり走って、ようやくパラパラと民家が見えて来た。更に走ると茅葺きの家が点在する一つの集落に行き着いた。そこに一軒だけある旅館を見付けた。道の脇に美山荘と書かれた一メートルほどの素朴な木の標識が目に付いた。その奥に旅館の入り口があり、ここねと車を乗り入れた。
二人は旅館の受付に居た三十前後の女性に声を掛けると、上がり込んで待つように進めて奥へ消えた。受付には土産物が置かれて、隣には寛げるように喫茶室があった。
「ここはある意味で、玄関を入った旅館の中の雰囲気が穂高の山荘に似てます」
「あらそうなの」
と沙苗さんは素朴な作りの民芸品や調度品を見回した。
「それに静寂なところも、遥か眼下にある雲が、此処では頭上に棚引いて、そこが天界か下界の違いでしょう」
「だとすれば、ひょっとして越村さんが毎年行って語る、穂高の風景に嫉妬していたのかも知れませんわね」
「ハア? 風景に、嫉妬しますか?」
「普通は山道って針葉樹に遮られて、差し込む陽射しが鬱蒼とした中を通り抜けるのに、あの園部インターからは、山を遠くに眺めながら拓けた道を走っているとそう思ったのよ」
「つまり、遮るものがない穂高の山頂からの眺めを聞かされて嫉妬したんですか」
「あたしも穂高には登ってないので具体的には良く解らないけど、祐司が時々あたしに語るあなたから聞いた穂高の風景が、かなり脳裏に焼き付けられていると思って、この道を走りながらあたしもこの風景に見惚れてしまったの。きっとあなたもそうでしょう」
「景色は全く違いますが心に描く雰囲気は似ていて、心の高ぶり、高揚は感じる。おそらく石塚も、この風景から僕が言っていたものを感じ取ったかも知れませんね」
「もしそうなら説得し易いのじゃあないかしら?」
「そんな余計な期待は石塚には禁物ですよ」
「あなたにもそんな期待をしても無理かしら」
ハア? と真意を探る前に石塚が階段から下りてやって来て、二人はそちらに気を取られた。このタイミングは越村には痛恨の極みだった。
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