「更衣室に置きっぱなしにしてたやつだから、それ」

「……」

「返すのはいつでもいいから」

「……ん」


 痴漢に遭遇した時だって、歓迎会の時だって。

 『助けて』だなんて一言も言ってないのに、上條君は無言で助けてくれた。

 そして、今も。


 6月に入り夏服に衣替えをしたから、長袖のジャージは寒い時以外着ない。

 今日が金曜日だから持ち帰って洗うつもりなのだろうけれど、口調とは反対に彼の優しさが込められているのが分かる。

 ダボっとした大きなジャージに袖を通し、涙を拭って、颯爽と玄関へと向かう彼を追いかけ声を掛ける。


「あ、あのっ……」

「何?」

「……ありがとう」


 チラッと一瞥して、彼はまた歩き出してしまった。

 すぐさままた追いかけて、再び声を掛ける。


「上條くんっ」

「しつけぇ」

「へ?」

「礼ならさっきも聞いた」

「あ、……ん。でも、言い足りないから」

「別に礼を言って貰いたくてしたわけじゃねぇし」

「……うん」

「っつーか、男誘う気がねぇなら、中に着る色、少しは気ぃ使え。お前、男連中のいい餌になってんぞ」

「えっ?」

「その顔で、……ま、俺の知ったこっちゃねぇからいいけど」

「……??」


 胸元をじーっと見られ、気まずそうに視線を逸らした彼。彼の言いたいことは十分に理解した。

 水で濡れて、ブラウスに下着が透けてたって言いたいのよね?

 しかも、今日はいつもより濃いめの色の、すみれ色のブラだったから。


「白とかだったら、いいの?」

「は?……知るかよ」

「じゃあ、何色がダメなの?」

「しつけぇ、俺に話し掛けんな」


 男の子の餌だとか視線だとか、考えたこともなかった。

 何が正しいのかなんて分からない。

 男兄弟もいないし、そんな指摘受けたことないもの。


 後頭部を触りながら歩く上條くんを見据え、ほんの少し彼が身近に感じた。

 いつもの刺々しさが、今はちっとも感じないよ。


 Lサイズのジャージからは、爽快なミントの香りと微かに男の子の汗の匂いがした。

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