『小森』というのは、私だ。

 恐る恐るほんの少し振り返ると、そこにいたのは前の席の上條くんだった。


「えっ、……何で?」

「はぁ?……意味わかんね」


 眉間にしわを寄せ、威圧するかのように見下ろされ、痴漢とは別物の恐怖を味わう。

 もしかして、痴漢から助けてくれたの?


 周りの乗客を気にしてか、身を屈めるようにして私の耳元に顔を近づけて来る。


「俺、3つ先の駅で降りんだけど」

「……はい」

「1人で大丈夫か?ってか、次から女性専用車両に乗れよな。あ、でもあれは朝だけだっけか?」


 しょうがねぇなぁと言わんばかりに溜息を零す上條くん。

 ふわっとした髪が私の頬にかかって、トクンと胸が跳ねた。


 やっぱり、痴漢から助けてくれたらしい。

 耳元に落とされた声音は、いつも学校で聞いているような刺々しい感じじゃない。


「家、どこ?」

「え?」

「近くなら駅まで送ってくけど」

「あ、いや、……迷惑になるから、大丈夫」

「は?お前、馬鹿だろ」

「なっ」

「こんな時に遠慮とかすんなって」

「っ……」

「で?……家、どこ?」

「……人形町」

「乗り換えなしなら、送ってく」

「え、ホントに大丈夫だから」

「ったく、グダグダうるせぇな。いいから黙って前見てろ」

「っっっ」


 かなり強引に頭を鷲掴みされ、無理やり前を向かされた。

 頑張って遠慮しようと思ったのも一瞬。

 電車の窓ガラスに映った鋭い眼光に言葉を失った。

 優しいと思ったのにな。

 やっぱり猛毒だ。

 もう少し優しい言い方してくれたら、御礼だって言い易いのに。


 各駅停車でドアが開閉する度に、人波に流されないようにドアの死角部分に回避させてくれる。

 言葉はぶっきらぼうだけど、根は優しい人なのかもしれない、そんな風に思えてならなかった。

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