第32話 最終決戦① 寒冷化
躊躇も感慨もなく、お約束を守る気もなければ風情を楽しむ余韻もなく。
ユリアンは――なんの面白味もなく、ティエリ王子の腰掛ける玉座ごと全てを氷漬けにした。
『やったれー! とは言ったけどさあ』
『リリアナ様のご活躍が見られないなんて……』
『
コメント欄は呑気に盛り上がっているけれど、とても楽観視できる状況ではない。
ティエリ王子から感じる
じわり、湯気らしき白い煙がティエリ王子より立ち上った。
「……ハイデッガー。本当に、目障りな奴……」
「思ったより時間がかかったなぁ、
ティエリ王子を包んでいた氷が、液体へ戻る。
「汗腺制御に時間がかかってね。この程度で汗など流しては――豚のように醜いだろ、なあ兄様?」
「オレは豚ちゃん、好きだけどな〜」
聖女アネットは炎も自在に操っていた。
自身を燃やさず氷のみを溶かすなど、聖女の能力を使えばそう難しくもないのだろう。
『ダメじゃん……勝てないじゃん……』
『本人より先に俺らが諦めてどうすんだよ』
『豚と養豚家に謝れ! 豚は美味いし意外と綺麗好きだからな!』
『頑張ってくれよ
ティエリ王子がコメントに反応を示した。
エミール様が手に捕らえたままの映像記録コウモリへ視線を送っている。
……珍しい。
ティエリ王子はコメントの喧騒を嫌う人だ。
耳を傾ける必要もない、そう言わんばかりの態度を隠そうともしない方のに。
「間抜けだな……。
引っ掛かる言い方だ。コメントも騒つく。
『よりにもよって、って何? ハイデッガーの領主になんかあんの?』
『
『ハイデッガー民だけど普通にいい領主だよ!』
『元婚約者盗られて悔しいんじゃないの』
『ティエリ王子、やけにハイデッガーに突っかかるよな。わざわざ取り潰そうとしたり』
そう、ティエリ王子がユリアンに向ける視線はどうにも妙だ。
過剰に、不当に敵視しているように見える。
ハイデッガー家を取り潰そうとした直接の理由は山火事だったかもしれない。
しかしホンザ様が王位継承の珠に願い映し出した映像を見る限りでは、どうにもティエリ王子は山火事が起こる前からハイデッガーを忌み嫌っていた様子だった。
爵位こそ高いとはいえ、片田舎で軽んじられている土地の領主を取り立てて嫌悪する理由が分からない。
だから皆、違和感を覚えている。私だけでなく視聴者の方々も。
「無知こそ幸福、愚者らしい挙動だ。何も知らずお前を肯定する者たちを見れば、憐憫の情も湧き出てくるだろう? なあ、ユリアン・ツー・ハイデッガー!」
「……、いや……」
呼びかけられたユリアンが眉根を寄せ、露骨に視線を逸らす。
……まるで心当たりでもあるような振る舞いではないか。
「はははは! 反吐が出るほど愉快な表情だ。秘し隠すことで一番の幸福を得ているのは、他ならぬお前自身だものな!」
ティエリ王子が口元を片側だけ吊り上げる。
笑顔には到底見えない。忌々しさが顔面を支配している。
「ユリアン、皆に教えてやろうではないか! ハイデッガー領が寒冷化した原因は――お前の存在が原因だと!」
「……ッ……!」
『は? 新手の冗談?』
『なんで
『……でもさ、辺境伯って……、氷の能力者だよな……』
『いやいや、いくら強い能力者だからって気候まで変えられるわけない』
『ハイデッガー領の寒冷化ってここ二十年の話だったよな。モジャ髪辺境伯もそのくらいの年齢に見える』
ティエリ王子が玉座より立ち上がった。
つかつかと歩み寄る、軌道の先にはユリアンがいる。
「幸せ者だな? ユリアン。本来のお前を隠すだけで、こんなにも簡単に支持を得られるなんてな」
「……俺は……」
立ち尽くすユリアンの代わりに身構える。
ティエリ王子が少しでも不審な動きを見せたならば即、動けるように。
私から仕掛けるには――機が熟していない。
闇雲に攻撃しても聖女の能力でいなされるだけ。むしろティエリ王子に反撃のチャンスを与えかねない。
それを分かっているからシノも動かない。
「人々へ不利益を与えた張本人であっても、偽りの――愚民思いの領主を演じれば愛されるとでも思ったか? とんだお笑い種だ」
「違っ……」
「何が違うというんだ? 家族にすらひた隠しにしているんだろ?」
ぎゅっ、と握る拳の内側に指先の爪が食い込み、痛みを感じる。
――じれったい! 苛立たしい。
殴ってティエリ王子の口を塞いでしまいたい。
「らしくありませんわね、ティエリ王子」
「……無能力の塵が口を開くか?」
「ええ、それが――役に立つか立たないか、それがティエリ王子。あなたにとっての価値基準のはず」
ティエリ王子の視線が私へ向けられる。
――旦那様も先程からおかしい。ティエリ王子に睨まれ、明らかに動揺している。
視線が外れて、少しでも平静を取り戻せればいいのだけれど。
「旦那様――ユリアンほどの強い能力者を飼い慣らせれば、国内政治では敵無し。国外への侵攻すら可能でしょう。それを、わざわざご自身に反発させるようなお言葉ばかり」
『旦那!? ってことは
『裏切者じゃねーか! 追放しろ追放!』
『なーんだ、
『嘘でしょリリアナ様どうして私だけのリリアナ様でいてくれるんじゃなかったの』
『むっ! 百合の気配を察知』
……コメント欄、おかしいわ。反応が。
王子の元婚約者が、婚約破棄されそう経たないうちに辺境伯と結婚。それ自体にニュース性があるのは分かる。
でも、違うわよね? 反応している視点が……。
「はは、リリアナ――お前、尻だけでなく頭まで軽いのか。騙されていた張本人がこの態度、さぞかし嘘の吐き甲斐があっただろう! なあ、ユリアン」
「……ッ……」
「旦那様! 耳を貸す必要などありませんわ!」
動揺で身体を硬直させているユリアンへ、思いっきり声を張り上げ叫ぶ。
「寒冷化の時期と旦那様の誕生時期が偶然、重なっただけのこと。わざわざ悪意をもって解釈する必要などありましょうか!」
「愚かしい。何も知らぬお前が、よくもまあ口を割って入ろうなどと思えたものだ」
「ティエリ王子こそ、ユリアンの何を知っているというのです!」
唐突に、乾いた笑い声が――私でもティエリ王子でもない、当然ユリアンでもない人物から発せられた。
声の主、エミール様は。
憐れむような目付きでティエリ王子に視線を送っていた。
「よく知ってるよな、なあ
「……兄様」
「オレもよく覚えているよ。王妃様はユリアンの能力に随分とご執心だった」
王妃様――ティエリ王子の、お母様。
「
「黙れ……」
ティエリ王子に地の底より低い声で威圧されても、エミール様は怯むことなく話し続ける。
「愚弟、リリアナに婚約破棄を宣言した時、言ってたなあ? 聖女の強き『能力』に嫉妬でもしたか、って」
意地が悪い表情。
エミール様の口元が吊り上がり、笑い顔が歪む。
「なんの、実際に強力な能力者に嫉妬していたのは他ならぬ愚弟本人だったわけだ」
ぶわっ、と熱気が皮膚に当たる。暑苦しい。
――ティエリ王子が能力を発動したのだろう。
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