第30話 11文字

「すまなかったな、リリアナ」


 開口一番ホンザ様より謝られ戸惑う。

 ――私こそ、金的の件を謝らなければいけない気もする。


「ええと、迷宮で戦闘になったことでしたら私もほら、思いっきり木刀で殴っておりますし……」

「その件ではない。戦闘のあと、リリアナ、キミに酷いことを言ったろう」

「言ったっす! シノはホンザ殿のこと全っ然許してないっす!」


 戦闘後、ホンザ様が気を失う前に話していたこと。

 ――ティエリ王子に目を付けられている私は、ハイデッガー領に危険をもたらしかねない存在。

 ユリアン辺境伯にとって、何の役にも立たない邪魔な存在でしかない。


「謝られるような、ことでは……。実際に今、ハイデッガー領は魔物により危険に晒されていますし」

「違う、僕が間違っていた。そうだろう? 危険に晒されているのはハイデッガー領だけではない」


 ティエリ王子が操る魔物は、アランブール王国全土に出現している。

 ホンザ様が言いたいことは分かる、けれど。


「……いえ、やはりホンザ様の発言は正しかった。役立たずの私が招いた結果、ホンザ様はお聞きになっておりませんか?」


 ティエリ王子の討伐に失敗した結果――ティエリ王子は、アネットの能力を強奪してしまった。


 状況は悪くなっている。アネットであれば狼狽えるような残虐非道な行いでも、能力の使い手がティエリ王子であれば躊躇は生まれない。

 誰に命令するでもなく、ティエリ王子本人が全ての能力を行使できるのだ。


 そんな状況下で、魔物の襲来よりも直接的な被害がハイデッガー領に……アランブール王国に降り注がないと、誰が言えようか。


 ホンザ様は私の問い掛けに、すぐには返事をされなかった。

 数秒ほどだろうか。生まれた沈黙をホンザ様が改めて破る。


「……それだ。僕たちは根本的な勘違いをしていた」


 僕


「やれやれ。どうやらお互い、似た者同士だったようだな」

「……ホンザ様、それリリアナお嬢様への侮辱っすか」

「メイドのキミ、その発言こそ僕への侮辱だろう……だが、まあいい。軽蔑されても仕方ないからな」


 ふう、とホンザ様が小さく息を吐いた。

 少しだけ目を細め遠くを見たホンザ様の表情は、呆れているようにも見えた。


「アネットが火炙りの執行を命じられ、その後どうなったか――キミも見ていただろう、リリアナ」

「……ホンザ殿こそ、あの時まだ寝てたっすよね?」

「ティエリ王子の声で意識を取り戻したんだ。まだ夢だと思っていたが」


 ホンザ様が窓の外を見る。

 視界の先にはちょうど、ホンザ様(を模した人形)が燃やされた広場があった。


「ティエリ王子より必要とされれば、愛されるものだと思っていた。しかしそうではなかった。ティエリ王子はアネットすらも必要としなかったのだから」


 ……似たようなことをエミール様が仰っていたな。

 ティエリ王子は――アネットすらも捨ててしまった。


「よく考えればこんな簡単なこと、勘違いするはずもなかったのにな。だってそうだろう? リリアナ、キミも僕も」


 ホンザ様が窓から視線を外し、私をまっすぐに見た。

 

「僕たちにとって役に立つ存在であるから、ティエリ王子を必要とした、愛した――そうでは、なかったはずだ」


 私も、そうではなかったホンザ様と同じだった? そう、かもしれない。

 ティエリ王子が私にしてくれたことなんて、声を、掛けてくれた――そのくらいしか。


 声を掛けてくれた。……それは、なにもティエリ王子だけではなかった。

 優しくしてくれた。心配、してくれた。いつも寄り添ってくれた。

 ひとつひとつ確かめるたび、人物の輪郭が浮かび上がっていく。


 私が……コメントの御方を、お慕いしているのは。

 ――旦那様に惹かれている自分が、いるのは。


 彼がお役に立つから。……そんな理由ではない。


「……さて、僕はもう行く。キミ達も早めに寝たまえ。明日はティエリ王子討伐に同行するのだろう」


 声を掛けられ、ハッと我に返る。

 ホンザ様はこの場を去るべく廊下を歩き始めていた。


「僕は残る。街中の魔物討伐もする必要があるからな。……僕の分まで、ティエリ王子に引導を渡してくれ」

「自分で渡すべきと思うっすけど」

「はは、まだそこまで割り切れていないんだ!」


 ホンザ様の背中はあっという間に見えなくなってしまった。


 ……廊下で呆けていても仕方ない。自室に戻ろう、そう考え扉に手を掛ける。

 同時にシノが、身をひるがえし扉に背を向けた。


「……今日はシノ、使用人用の部屋で寝るっす」

「え? シノ、どうして急に」

「ほんっとーは、シノもリリアナお嬢様の部屋で寝たいっす! でも、まあ……」


 シノが窓の外へ目を向けた。

 視線の先では巨大な氷柱が、月明かりを反射して自身の存在を強く主張している。


「今日くらいは、しゃーないっすねえ……」


 ぴょんぴょん飛び跳ねるようにシノが去っていく。

 どういう風の吹き回しかしら。少々の困惑を胸に、シノが向かった廊下の先をぼんやりと眺める。


 ――人影が見えてきた。誰かがこちらへ向かってきている。

 主寝室は城の最奥。廊下の行き止まり。

 こちらに用がある人間なんて――私以外には、たった一人しかいない。


「……! リリアナ……!」


 私の姿を確認したその人影は肩を浮かせつつ驚きの声を上げ、一瞬静止したあと。

 大急ぎで駆け寄り、私との距離を一気に詰めた。


 詰めて詰めて、普段の距離よりも更に詰め、会話に丁度いい距離よりも更に更に詰めて。


 ゼロ距離になった。

 すっぽりと覆い被さってきた旦那様の胸元に、全身くまなく包まれてしまった。


 *


 やはり旦那様は何も話さない。……こんな状況であるのに。

 力強く抱き込まれ、ユリアン辺境伯の体温がじわりじわりと伝わってきた。

 冷たい。能力使用による反作用が全身に出ている。


「あの……領内の状況、いかがですか……?」


 返答はない。代わりとでも言うように、背中に回された腕に込められた力が強まる。


 ……思っていたよりも、力が強いのだなと気付く。

 意外と逞しい腕の中は、ちょっとやそっとの力では身動きも取れない。


 本気で旦那様の抱擁を振り払おうと思えば、できるだろうけれど。

 不思議と――そんな気も起きなかった。


 ぼやぼやと体の力を抜き、我が身を旦那様へ預ける。

 旦那様は驚かれたように一瞬、身体をビクリと浮かせたけれど、その後おずおずと私の背中を撫でた。


 奇怪な状況だ。

 肌と肌が触れ合い感じる温度は酷く冷たいのに。

 旦那様と寄り添っていると何故か、温かい気持ちが胸に去来する。


「身体、冷えてしまっていますね。外、大変な状況でしたか」

「……、お前の、方が……!」


 やっと旦那様が口を開いた。喋られた文字数は、たったの七文字だけれど。


「私は、アネットに治癒していただきましたから」

「ッ、……火傷、は……」


 ユリアン辺境伯の指が私の身体により一層強く食い込んだ。

 マディの右腕に残る、凍傷の痕のこと。思い出させてしまったかしら。


「……私の場合は、痕が残ったとして自業自得です」

「そんなことを……、言うな……!」


 ユリアン辺境伯の声が一段階大きくなる。

 口に出された文字数も九文字。旦那様にしては多い。

 自業自得だから気にされないで、と言う意味だったのだけれど。逆効果だったかしら。

 

「すみません、旦那様。……無駄に、ご心配をおかけして」

「……」

「挙句、なんの役にも、立てなくて……」


 言わなくてもいいことを言ってしまった、と気付いた時にはもう遅かった。

 沈黙が流れる。


 ……呆れられただろうか。

 役に立ちたい。そんな利己的な理由で、制止も聞かず無理矢理に迷宮へ突撃したのだ。

 そうと知ったユリアン辺境伯から、見放されても仕方ないだろう。


 けれど――旦那様は、私を抱く腕を離そうとはしなかった。


「……どうでも、いい」


 文面だけを見ればとても投げやりで、突き放したような物言い。


 初対面を思い出す。必要ない――それがユリアン辺境伯から、初めてかけられた言葉。

 額面通りに受け取って、私は疎まれている身なのだと自虐のようなことも言った覚えがある。


 けれど旦那様と日々を過ごして、そうではなかったのかも、と思い始めた。

 だって旦那様は――私を、手放されなかった。



 主寝室の鍵を壊し無理矢理に部屋へ押し入ろうとも。

 ……ドン引きされた気はするけれど、それを理由に離婚を申し出されたりしなかった。


 大岩を持ち上げるトレーニングを見られてしまった時も。

 怯えていたのではないかと未だ疑っているけれど……でも旦那様は、嫌悪をあらわにはされなかった。

 それどころか。


 屈強であることは明白な嫁を。

 魔物の攻撃から守ろうと、身を挺して庇ってくれた。


 ――あまつさえ、私のせいでティエリ王子に目を付けられてしまっても。

 私のことを見捨てようとしなかった。


 自身の身を思えば私のことなど、すぐにでもティエリ王子に引き渡せば良かったのだ。

 でもそうはなさらなかった。



 充分に理解していた。旦那様のこれまでの行動を。

 ……愛想を尽かさずにいてくれたことを、嬉しく思っている自分のことも。


 だから「どうでもいい」なんて発言も、私のことをそう思っているわけではないのだと。

 なんとなく分かっていた。



 冷え切っていた旦那様の身体が少しずつ温もりを取り戻していた。

 能力の使用を終えてから随分と時間が経ったためか。

 それとも――違う可能性が、少しだけ脳裏をかすめる。


 旦那様の心臓の音。

 とっても、うるさいんだもの。


「……俺には……ッ、」


 つっかえながらも言葉を紡ぐ旦那様を信じて、私もまた腕を旦那様の背中へ回す。

 指先が旦那様の衣服に沈み込んだ。


「……お前が、……必要、なんだ……!」


 それだけで充分だった。

 人々から喝采を受け、強さを見込まれ求められようと埋まらなかった空洞が、満たされていく心地になった。

 こんな、短い言葉だけで。


 ……短いとは言え、旦那様にしては長く喋られていたような気がする。

 おまえが、ひつようなんだ。


 十一字。


「ふふっ、旦那様。十文字以上喋れるではありませんか」

「……何の話だ……!?」

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