第29話 敗走
ティエリ王子の後方には二体、ゴーレムと呼ばれる巨体の魔物が佇んでいた。
私の頭部を殴打したのは鉱物の身体を持つ
私達から視線を外したティエリ王子が、足元に倒れ込んでいるアネットを一瞥する。
「結局、能力があろうと愚図は汚物か……」
ティエリ王子が片足を上げた。――意識を失っているアネットを、足蹴にするつもりなのか。
シノの制止を振り切りアネットを守るように覆い被さる。背中にティエリ王子の靴底が当たった感触。
『リリアナ――! 無事か!?』
揺れる視界の中で叫び声が聞こえた、ような気がした。
ティエリ王子の溜息を頭上に受けつつも、アネットの身体を起こし背中に抱える。
侮蔑の視線が全身を刺した。送り主は言うまでもない、ティエリ王子だ。
震えているのは――身体に受けたダメージだけが理由ではないだろう。
それでも必死に、気丈にティエリ王子を睨み上げる。
「恥ずかしくないのか?」
ティエリ王子が心底不思議そうに眉根を寄せた。
「下級貴族は、娘に『生き恥』という概念すら教えなかったようだな」
「……両親は関係ありませんわ」
まともな妃教育すら行う気のなかった
不意に後方へ引きずられる。
シノが私とアネットを引っ張り移動し、ティエリ王子と距離を取ったようであった。
「リリアナお嬢様、逃げるっす……!」
いつの間にか、幾多もの足音が整然としたリズムを伴い鳴り響いていた。
迷宮奥より徐々に近付いてくる音の隊列。それが何を意味するかは、足音の正体が姿を見せるまでもなく分かり切っていた。
――魔物の軍勢だ。
「尻尾を巻いて逃げるか。愚物にはお似合いの姿だな。……ああでも」
ティエリ王子が手を胸元の高さに挙げた。その動きを合図とするようにアネットが発光し始める。
光はやがて収束し、アネットの胸元から球状となり抜け落ちた。
ティエリ王子の手元へ、アネットより抜け出た光の球が飛んでいく。
「宝の持ち腐れだ。ボクが役立ててやろう。光栄に思え、元・聖女」
意思とは無関係に身体が浮かんだ。シノが私とアネットを抱え飛び上がったようだった。
直後に爆発音。一瞬前まで私たちのいた場所が――爆発炎上していた。
まるで聖女の能力が行使されたかのような事態に目を白黒させる。
アネットは変わらず気を失っている。いったい誰が、どんな能力で爆発を起こしたというのか。
疑問に応えるようにティエリ王子が笑い声を上げた。
「――ははは! これが聖女の能力か……!」
迷宮の至るところで爆発が上がる。
新しい玩具を手に入れた幼子がはしゃぎ回り家中を破壊し尽すような有様だ。
『まさか
『……シノ、リリアナを連れて帰還できるな?』
「言われずとも……っす!」
身体が思うように動かない。シノの手を振り払って私ひとりでもティエリ王子を討伐すべきなのに。
火傷に加え、攻撃を受け過ぎた。――お粗末だった。何もかもが。
「はは、逃げてみろ!」
王子の笑声に合わせ、すぐ近くの壁が赤く染まる。
――今にも爆発する。避けられる距離じゃない。
せめて私の身体を盾として、シノとアネットだけでも守れれば……。
『……リリアナ!』
叫び声に、ビクリと肩が浮く。
一瞬の隙を縫うようにして――目前に大きな氷が形成された。
氷が爆発を防ぎ、かろうじて直撃を避ける。
シノが走り抜けた通路を塞ぐように巨大な氷が私たちとティエリ王子の間に立ち塞がった。
「助太刀、感謝するっす!」
『ギリギリで能力射程範囲に入った……が、それでもまだ距離が遠く繊細なコントロールは難しい。シノ、リリアナを頼む……!』
コメントの御方とシノが何やら話し込んでいる――話し声が段々と遠くなっていく。
ゆりかごに揺られているような心地に身を委ねることを、拒絶できなかった。
*
「……ナお嬢様! シノの声、聞こえるっすか!?」
「リリアナさん……! よかった、ご無事で……」
目に光が差し込んできた。
――気を、失っていたのか。
きょろきょろと辺りを見渡す。城内の客室だ。
迷宮から戻ってきてしまったようだった。シノが運んでくれたのだろう。
窓の外は既に太陽の光を失っていた。長い時間、寝ていたらしい。
「ぅ……よかったっす~!! シノ、リリアナお嬢様が死んじゃったらどうしようかと……」
シノが私の胸元に飛び込んで抱き着いてきた。
頭をさわさわと撫でると、ひっく、としゃくりあげるような音が聞こえてくる。
「地獄だって、リリアナお嬢様が一緒なら喜んで行くっすけど……置いてかれたら、いやっす……」
「ごめんなさい、シノ」
シノが益々大きな声を上げて泣きじゃくる。
その様子を覗き込む人物が二人。聖女アネット、そしてエミール様。
エミール様、私が気を失っている間にハイデッガー領まで戻られたのか。
アネットが私に向け手を伸ばした。
柔らかな
「回復能力だけは、ティエリ王子に奪われなかったんです」
「……だから全身が軽いのね。火傷も治っているし。ありがとう、アネット……」
「
感心とも呆れともつかない表情でエミール様が呟いた。
土に
――失敗したんだわ。私。
じわじわとその事実が全身に染み渡っていく。
予想よりも絶望から遠い場所にいるのは、最初から分かっていたからだろうか。
私は所詮、無能力の役立たず者であるということを。
「申し訳ございません、エミール様。契約を最後まで履行できなくて」
「ん?」
「階層ボスを倒し、王位継承の珠を手に入れる。それが私に課された契約でしたのに」
呆気にとられた顔をした後、エミール様が笑い始めた。困惑に襲われ言葉を失う。
私の様子を見たエミール様は更に笑い声を上げ、終いには腹を抱えて笑う始末。
そんな場面ではないはずなのに。
「いや~、はは、真面目だねえリリアナは。ようやく腑に落ちたよ。どうしてリリアナが無理を押してまで迷宮へ突入したのか」
「……人々の危機でしたもの。一刻も早く迷宮へ向かうのは私の義務……」
「そう、それだ。義務を果たさなければ! それが役目! そう思ってたんだねえ」
エミール様が納得したように何度か頷いた。
「リリアナ、オレはね。
「反面教師……?」
「愚弟が一番最初に国外追放したのは
エミール様のお兄様。ティエリ王子が生まれるまで、次期国王と目されていた人物。
私がティエリ王子に目を付けられる原因となった――ティエリ王子殴打事件の加害者。
「そん時にさ、兄貴に泣き縋られてねえ。兄弟だし、と思って裏で手を回して助けたんだよ」
道理で。エミール様のお兄様が追放された後、どうなったのか噂にも聞こえてこなかったのか。
「そしたら――他にもね、オレを頼る人が現れたんだ。皆が皆、愚弟から反感を買っていた」
「……ティエリ王子は意に沿わない人間を手あたり次第に追放していましたからね」
「そ。そいつら全員まとめて面倒見ることにしたんだよ。それがエミール・ハーレムだ」
ニッコリとエミール様が笑う。
まるで自慢話でもされているような表情。
「ハーレムの皆はよく働いてくれている。兄貴も含めてね。その姿を見て分かったよ。人を動かすのは恐怖心ではないんだって」
エミール様に合いの手を入れるように、アネットがぽつり呟いた。
「……わたし、ずっと怖かった。ティエリ王子のそばにいると、いつも手足が不自由だったんです」
「それが愚弟のやり方だ。役立たずに存在価値はないと騙り恐怖で人を縛る」
アネットが両手を胸の前でぎゅっと握り締めた。
全身が小刻みに揺れている。アネットが受けた恐怖がありありと伝わってきた。
「はじめは、嬉しかったんです。お役に立てることが。けれど――ティエリ王子の命令をやり遂げるたび、人間扱いをされなくなっていくみたいで……」
ティエリ王子から過去、何度も掛けられた言葉を思い出す。
――ボクの役に立て。役に立てば愛してやろう。
いつも繰り返し仰っていたのに。
私と違い役に立ったアネットすらも結局は辛い仕打ちを受け、捨てられた。
ティエリ王子の言う『愛』とは、なんだったんだろう。
「愚弟はね、自分しか愛していない。自分しか信じていないんだ。だから今はアネットちゃんすら捨てて、思い通りに動く魔物たちと戯れている」
窓の外へエミール様が視線を向けた。
目線の先、城下町ではティエリ王子が操る魔物が今も暴れまわっているのだろう。戦闘音がひっきりなしに聞こえてくる。
「他者を思うままに動かすことにしか興味がない愚弟らしい能力だよ、魔物コントロールなんて」
エミール様が遠い目をしながら呆れ呟いた。
その眼差しが、不意に私へ向けられる。エミール様と目が合う。
「悪いことをしたね、リリアナ。きみは愚弟と十年も一緒にいたんだ。愚弟から悪影響を受けていること、ちゃんと認識しておくべきだった」
エミール様が私の手を取る。握手するような形となった。
「改めてオレと契約を結んでくれ、リリアナ。オレ達は互いを信頼し、双方のため動く」
「今までと、何が違うのですか……?」
「リリアナにとってはさ、今まで一方的な契約関係だったろ。オレが与えた利益に報いるべく、役に立とうとばかり考えていた。でもオレの求めるものはそうじゃない」
エミール様が握手している私の手をぎゅっと強く握り締めた。
「オレはリリアナ、
まっすぐなエミール様の瞳に、まるで心臓を貫かれたような気持ちになる。くすぐったい。
……居心地が悪い。
「私は、その……そんなことを、言われるような身では……」
「……ま、そうすぐには人間変わらないか。でもねぇリリアナ、これだけは覚えといて損はないよ。リリアナの失敗を責める人間は、ここにはいない。――その筆頭格はここにいないけどね」
エミール様がドアの向こうを見やる。
「ユリアンの奴、とんでもない心配っぷりだったよ。万が一に備えてオレにリリアナの見守りを頼むくらいだし」
そう言って苦笑するエミール様はどこか、目の前の状況を面白がっているようにも見えた。
「愚弟がリリアナを狙い襲撃してきたら、オレくらいの能力持ちじゃないと対抗できない〜とか言ってさ。ああいや言ってはいないか。そーいう不安げな目でオレを見てたってだけで」
言われて気付く。エミール様はお強い能力者。
私なんかに構っているより、街中の魔物を狩り領民を守ってもらうべきなのでは、と。
「……申し訳ありません、エミール様。私のことはこれ以上お構いなく」
「ん〜? だ〜いじょぶだって。街の魔物討伐にゃユリアンも出てるし」
「旦那様がお強いことは分かっていますが……」
「それだけじゃないよ〜。ホンザもいるしさ」
……ホンザ様?
客室を見渡して気付く。ホンザ様がいない。
意識を失い城に運び込まれて以降、ずっとこの部屋で寝かされていたのに。
「ホンザ様、いつお目覚めに?」
「オレ達が帰城した時にはもう起きてたよ。今は
――ティエリ王子に反旗を翻された、ということではないか。
どういった心境の変化だろう。魔物に襲われる人々を前に良心でも痛んだか。
「そういうことだからさ、あんま思い詰めなくて大丈夫だからさ〜。ひとまずは休んでなよ」
エミール様たちに背中を押され、自室へ戻ることとなった。シノを引き連れ廊下を歩く。
ティエリ王子の再討伐は明日朝、決行とのこと。
夜間はユリアン辺境伯、マディを含めた能力者や兵士たちにより持ち回りで領内の警備に当たるらしい。
エミール・ハーレムの方々や、ティエリ王子に見限られ置いていかれた配下たちも、魔物討伐に参加してくれていると聞いた。
能力者が少ないハイデッガー領としては、彼らの協力を得られたのは不幸中の幸いと言うべきだろう。
「あ、でっかい氷っす」
夜目が効くシノが外を見て呟いた。
つられて窓の外を見れば、巨大な氷柱が月明かりに照らされている。
「……あんなに大きなものを形成されては、体力の消耗も激しいはず」
「辺境伯殿、明日のクソ王子討伐に参加するんすよね? 大丈夫なんすかね」
「そうね……。迷宮に向かう前に、少しでも休めればいい、のだけ、れど……」
語尾が弱まっていく。卑屈な感情が胸に去来し浸食していく。
――私の失敗を責める人間はここにはいない。
エミール様は、そう仰っていたけど。
他の誰でもない私自身が、そうは思えなかった。
私がティエリ王子を打ち倒せていれば。旦那様も今のような苦労をせず済んだのではないか。
私のせいで旦那様は身を粉にされている。
そうであるにも関わらず、少しでもお休みいただきたいだなんて、いけしゃあしゃあと。
厚かましい。私がそんなことを考えていいわけが、ない……。
足取り重く自室へ向かう。と、扉の前に人影があった。
意外すぎる人物を目の前にして一瞬、言葉を失う。
「起きたか、リリアナ」
「……ホンザ様」
シノもまたホンザ様の姿を見て目を丸くし、開いた口に手を添えて驚きの表情を浮かべていた。
「ホンザ殿、語尾にビックリマークなくても喋れるんすね……」
「ビックリマーク……? 何の話をしている?」
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