第28話 vs聖女

「聖女アネット――アネット・アヴリーヌ! 私の声が聞こえる!?」


 無明の瞳に呼びかける。

 聖女アネットもまた迷宮に喰われている、エミール様はそう推測していたけれど。

 階層ボス化していない――私たちと敵対する立場となっていない可能性だってある。無闇矢鱈に攻撃すべきでないわ。


 私の呼びかけに応えたのか聖女アネットが笑った。……瞳は虚無を映したまま。


「あなたは、リリアナさん……で、あってましたっけ。ティエリ王子の元婚約者……」

「その通りよ。アネット、私はあなたを助けに来た。……あなたは? 私と共に来るつもりはあるかしら」


 アネットが呆気に取られたように口を開けて、それから首を横に振った。肩ほどの長さに切られたコーラルピンクの髪が頭の動きに合わせ揺れる。

 やはり階層ボスとなっ迷宮に喰われてしまったのか。


「わたし、約束したんです。迷宮で侵入者を排除する、って」


 約束。

 ティエリ王子と?


「……聖女アネット、あなたはティエリ王子に同調し彼の手伝いをしている。そういうこと?」


 アネットが無邪気な顔で――瞳の色は真っ暗闇のまま、不思議そうに首をひねった。


「ティエリ王子? それ、誰ですかー……?」


 ――何を言っているの。


「アネット、寝ぼけているの? 私のことを、ティエリ王子の元婚約者だと言ったばかりじゃない」

「そうでしたっけー……」


 一瞬だけ不安そうな表情を浮かべたアネットが、すぐに気を取り直したのか口角を薄らと上げた。

 口元だけ見れば綺麗な微笑みに見えるだろう。しかし何かが欠落した表情は虚無の瞳も相まって不気味さを強調している。


「ううん、大丈夫。いやなこととか、もう全部ないんだから」


 アネットが軽くかぶりを振った。

 ほぼ同時、アネットの正面に球体――水の塊が、浮かぶように形成されてゆく。


『……リリアナ!』


 コメントの御方が叫んだ瞬間、身体が反射的に横に避けていた。

 直後。アネットが作り出した水の球体が、私の顔面めがけ飛んで来た。――危なかった。


「あれ、外れちゃった。足が速いんですねー……」

『水の塊でリリアナの頭部を覆って、溺水させようとしたわけ? 見かけによらず殺意高いねえ、アネットちゃん……』

「リリアナさんが迷宮から退却してくれれば、解除するつもりでしたよ」


 遠隔攻撃で攻められるときついわ。

 シノの忍び道具以外に投擲とうてき武器がないこちらとしては、距離を詰めて戦いたい場面。


 もう一度、と言わんばかりにアネットが再び水の球を形成し始めた、それも今度は複数個。

 物量を以って飽和攻撃を打つつもりね。少人数2人相手であれば悪くない手だわ。

 ――実戦で、物量を作り終える時間を私が待つ義理はないけれど。


「……っ、わっ……」


 シノがアネットの顔面へ手裏剣を投げた。慌て避けようとしたアネットが体勢を崩す。

 機に乗じアネットとの距離を一気に詰める。


「わっ、きゃっ!」


 掌底をアネットの顎へ打つべく腕を伸ばす。

 身体の動かし方を見るに、アネットは体術に優れたタイプではないようだ。この一撃は入るはず。


「――ひゃっ!」


 しかし急激に、そして大きく、アネットの身体が後方へ飛んだ。

 ……並の人間が一歩で移動できる距離ではない。けれど空を飛んだような動きでもなかった。


 まるで果てしなく強い力で、大地を素早く――光速で蹴り、飛び上がり仰け反ったような。

 おかしいわ。アネットの身体能力で出来る芸当には思えない。


「あいたたた……、思ったより痛いなあ。身体が痺れるっていうか……」


 呑気な口調でアネットが嘆く。

 私の攻撃はアネットに当たっていない。すなわちアネットは回避のため能力を使い、代償として身体の不調を訴えている。


『……体内の電流を操り、身体能力以上の力をもって、自身の体を動かしたのか』


 コメントの御方の発言に、アネットが目を丸くした。


「え、分かるんですか? 凄いですねえ」


 感心したようにアネットが返答した。

 ……やりにくい相手だわ。毒気がないというか……。


「リリアナさん達の前だと、小細工も通用しなさそうですねえ。それなら」

 

 アネットとの距離を再び詰める暇もなく、空間が揺らめいた。

 途端に床一面が燃え盛り始める。足元が燃える直前かろうじて飛び上がれば、シノが天井へ引っかけた鉤縄かぎなわに吊り下がり私の腕を掴んだ。


 シノに捕まりブラブラと揺れる。床を覆う火の勢いは増していくばかりだ。


「酸欠になる前に、帰った方がいいと思いますよー……」


 呼びかけるアネットの周囲は薄っすらとした光で覆われている。

 聖女の能力であれば、自身の周囲にだけ酸素を作り出すことすら出来るのかもしれない。


『リリアナ、退却しろ! 幸い聖女はお前たちの命まで取る気はないらしい、迷宮より帰還し態勢を立て直せ!』


 コメントの御方が叫ばれている。けれど引くわけにはいかない。

 今――お役に立てずして、どうしようというの、私は。


 コメントを無視し、自身の安全だけを確保しているアネットへ向け問いかける。


「私よりも……迷宮の最奥にいるティエリ王子の心配をした方がいいんじゃない?」

「――?」


 ティエリ王子の名前を出しても、意味が分からないと言うようにアネットは首をかしげる。

 とぼけている? 一体なんのために。


 不可解な点はそれだけではない。

 そもそもアネットが、炎の能力をこんなにも無邪気に使用する点にも違和感がある。


 アネットの自認では先程、ホンザ様を自身の手で焼き殺したばかりのはず。

 強い抵抗があったであろう殺人に利用した炎の能力を、こんなにも忌避なく使用するなんて。

 ティエリ王子との会話で垣間見せたアネットの性格を鑑みると、どうにも不自然だわ。


「アネット……! あなた、本当に何も覚えていないの?」

「覚えて……? あれ? そう言えばわたし、どうしてこんなところにいるんだっけ……」


 アネットが不安げに呟いた。疑問は確信に変わる。


 エミール様が仰っていた。迷宮に喰われた人間は全て、心の隙間を埋めようとする『欲望』があったと。

 なぜ迷宮は常に似たような人物を選び喰うのか。


 ……階層ボスとなる代わりに、与えているのだ。

 望みを叶える力を。

 マディ、そしてホンザ様が手に入れた能力を見ても、推測は間違ってはいないように思える。


 聖女アネットは、迷宮に喰われ何を手に入れたというのか。

 どんな能力も使いこなせる聖女。マディやホンザ様のように、新たな能力を望むことはあり得ない。


「アネット、あなたは……ネガティブな記憶を『忘れる』よう願ったのね……?」

「忘れ……? わ、わたし……」


 アネットは誤魔化すことにしたんだわ。自分の心を。


「――私も、人のことは言えないわね」

「? リリアナお嬢様……?」

「なんでもないわ、シノ。今はこの場を切り抜ける方法を考えましょう」


 燃え盛る一面の床に目を凝らす。

 迷宮の床面は土で出来ている。鉱物などを主とする土は本来、可燃性ではない。

 アネットが能力を絶えず使い続け、火の勢いを保っているのだろう。


 鎮火のためにはアネットを気絶させる必要がある。

 けれどアネットを倒すには、アネットに近付かなければいけない。

 火が床一面を覆っている限り容易にアネットに近付くこともできない。八方塞がりだわ。


『リリアナ。退避してくれ……』


 痛切な声を出すコメントの御方に呼応するように、シノが不安げに呟く。


「癪っすけど、ここはあの人に従うべきっす。辺境伯殿が来れば、氷で炎を抑えられるっすよ」

「シノ……」


 ……このままぶら下がっているばかりでは良くないわ。

 迷宮の入口方面へ向き直り、シノに指示を出す。


「床に着地しましょう。あの辺りなら火の手が上がっていないから」

「あ……、ようやく帰ってくれるんですねー……」


 身体を大きくひねり、縄の揺れを大きくする。

 目一杯の角度まで揺れが大きくなったことを確認し、縄から手を離し床へ着地。

 シノが人心地ついた表情で鉤縄をたぐり寄せ始めた。


 ごめんなさいね、シノ。


「……わっ!?」


 鉤縄を奪う。シノの両腕を背中の後ろへ回し、全身を縄でぐるぐる巻きにする。

 縄抜けの術は関節外しが肝。つまり親指を縛り押さえつけておけば、術を使おうと脱出は困難。


「リリアナお嬢様、なにするんすか!?」

「思い出すわね、シノ。小さい頃、近所に住む高位貴族の飼い犬と喧嘩して……あの時も犬のリード紐がシノの身体にこんがらがって、大変なことになったわ」

「そんな話がしたいんじゃ、ないっす……!」


 手足を縄に封じられたシノをその場に残し、手にしていた木刀もシノの隣に置いて。

 振り返り、走り始める。


『待て、引き返せリリアナ! その先は炎が!』

「リリアナお嬢様……ッ! シノも、シノも行くっす! うう、こんな縄なんて!」


 いいえ、シノ。あなたを連れて火の床を進むわけにはいかなかった。

 けれど一人なら。


 膝上近くまで火の手が立ち上がる炎の中へ足を踏み入れる。


「……うそ、なんで……」


 炎に包まれた私を見るなり聖女アネットが取り乱し始めた。

 表情はぐちゃぐちゃに歪み、眉根は極限まで寄せられている。

 私の猛進を前に退避する動きも見せようとしない。好都合だわ。


 足が熱い。いや、全身が痛い。

 靴や服も燃え始めてしまっただろうか。けれど突き進むだけ。


 コメントを読み上げる音が遠くに聞こえる。

 今、映像記録コウモリに挿さっているのはシノの冒険者マーカー。だから私を追いかけはしない。


 少しだけ寂しく感じるのは。

 ――コメントの御方と遠く離れてしまったような気がするから、かしらね。


「燃え……なんで……」

「ふふ、ティエリ王子も私を火炙りにしたがっていたわね」

「火炙り……ティエリ、王子……」


 両手の平で顔を覆いうつむいてしまったアネットは、確かにある人物の名前を発した。


「……、ホンザ、様……」


 ――思い出したのね。


 けれど、もう遅いわ。アネット向けて振りかぶった掌底打ちは止められそうもない。

 大人しく気絶してもらいましょう。


「……!?」


 しかし予想に反し、掌底はアネットの顎を打たず宙を切った。

 下を見ればアネットが崩れ落ち倒れ込んでいた。私の攻撃を受ける直前に気を失ったようだ。


 火の勢いが落ち始めた。

 靴を脱ぎ、地面に叩きつけて火を消す。炎が立っていた服の端は千切って投げ捨てた。

 全身が痛い。迷宮内に湧き水でもあればいいけれど。地下三階は未踏フロアだから、どこに何があるのか分からない。困ったわね。


 ……迷宮の奥にいるであろうティエリ王子を倒さなければならないのに。

 軽い火傷で、止まってなんかいられない。


 とはいえ気を失ってしまったアネットはどうしようかしら。迷宮に寝せておくわけにはいかないわ。

 シノにアネットを迷宮の外まで連れ出してもらいましょうか、そう考えアネットを抱え起こそうと膝をつき身体を屈める。


 瞬間。頭に――痛みが走る。

 後頭部をやられた。屈んで頭上が死角となったせいで、攻撃を避け損ねた。

 視界がグラングランと揺れる。それでも二撃目を防ごうと頭を抱える。


 もう一発、今度は腹を蹴り上げられた。

 頭を守っていたせいでガラ空きとなった身体が強い痛みを主張する。


「リリアナお嬢様!」


 とても近くからシノの声が聞こえる。縄を抜けてきたのかしら。


 シノに首根っこを掴まれ、上体が後方へ引っ張られた。

 うつむいた姿勢から身体が起きたことで視界が開ける。

 

 アネットの隣、先程まで私がいた場所には――ティエリ王子が私達を睨みつけるように佇んでいた。

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