第26話 国民掃討 ※DV表現注意

 城へ戻ってきたマディが、再び城外へ出る。その姿を三階の客室窓から映像越しに確認する。

 マディのすぐ後ろを歩く初老の紳士は一人の人間を背中に抱えていた。


 短い赤髪を逆立て、目を閉じ初老の執事にもたれ掛かる男性。彼を見てティエリ王子が目を細める。

 まるでこの世に存在してはならない、穢らわしいものを見るような視線。映像越しでも身震いがする。


『……ホンザか。リリアナは?』

『城内に運び込まれましたのは、迷宮探索に向かい敗北されて以降、意識を取り戻されていないホンザ様だけでございます』

『フン……まあいい。リリアナの火炙りは後回しだ。さっさとホンザを地面へ捨て置け。アネット!』


 名を呼ばれた聖女アネットの肩がビクリと浮いた。

 顔一面が恐怖の色に染まっている。……可哀想に。


『お前の能力でホンザを火刑に処せ』

『……ッ……』


 瞳孔を極限まで開いた聖女アネットが、胸の前で腕を交差させた。

 自らの震える身体を抱き締めているかのよう。


 聖女アネットの能力は実質、何でもありのようなもの(蘇生はできないらしいが)。火を操ることもできるのだろう。

 しかしそれは、万能な『能力』が使えるというだけの話。


 王立学園入学前は一庶民として平凡に暮らしていたのだ。迷宮探索の実績も数少ない。

 そんな少女が、人を殺すなんて――簡単にはできないだろう。


「このまま、聖女アネットが殺人を拒み……ティエリ王子が見せしめを諦めれば、それが一番穏当なのだけれど」

「どーっすかね? 聖女殿が無理なら自分でホンザ殿に点火しに行きそうっすよ、あのクソ王子」

「そのパターンが一番イヤなのよね……」


 時間稼ぎのティエリ王子を騙す奇策が露呈しないよう祈念しつつ外の動向を見守る。


『聖女アネット。お前の幸福はボクの役に立つことだけ。そうだろう』

『……わ、わたし……こんなこと、できなっ……』

『誰がお前に十文字以上の発言許可を与えたんだ?』


 パンッ、とティエリ王子によるノーモーションの平手打ちが聖女アネットの頬に叩き付けられた。


「クソ王子さすがに卑怯が過ぎるっすよ! 大岩を持ち上げるリリアナお嬢様にはビビって手も出せなかったくせに!」

「そうは言っても、能力を使えばティエリ王子なんて赤子の手をひねるより簡単に殺せるのが聖女アネットよ。それをあの仕打ち……」


 聖女アネットに対し支配と洗脳を強固に行えている自信がおありなのだろう、ティエリ王子は。


 頬を赤く染めた聖女アネットは、両手を下ろし脱力した格好となった。

 瞳の色は虚無に染まっている。

 そして顔を俯かせたまま、片手を胸の高さまで上げた。


 次の瞬間には、地面に寝転んだ赤髪の青年は炎上を始めていた。


『……全く、手間のかかる。まあいい、これで分かっただろう! ボクに逆らう者の運命が』


 ティエリ王子が配信映像越しに人々を睨み付ける。


『次はリリアナ、お前だ。行くぞ配下共、ハイデッガー領内をしらみ潰しに探せ!』


 マントを翻し、ティエリ王子がハイデッガー城前から立ち去ろうと歩き始めた。

 配下たちがティエリ王子の後に続く。


「……やった! 成功っすね! クソ王子ざまーみろ!」


 シノが喜び飛び跳ねる。……よかった。ひとまず時間稼ぎは成功したようだ。

 背後から、変わらず眠り続けるホンザ様の寝息が聞こえてきた。


「ええ。……マディの能力で、赤髪の青年トリスタン『ミントと幽霊』作中人物の人形を作り出し、髪型をホンザ様に似せティエリ王子へ差し出す。相当の奇策だったけれど、騙し通せてよかった」


 階層ボスを辞し弱体化したマディの能力。

 それは彼女の愛読者『ミントと幽霊』主人公・アンリエッタの格好を自身の身体に再現すること、作中人物を模した動かぬ人形を作り出すこと――その二点。


 レイピアで戦う騎士マディが作り出した・トリスタンが、ホンザ様と似た赤髪であることを思い出したのだ。

 おかげで、マディの能力を用いてホンザ様の身代わり人形を引き渡す、という策を打つことができた。


 ホンザ様とトリスタン人形は決して顔立ちが似ているわけではない。近付かれたらどうしようかと思っていたけれど。

 今となってはもう、炎上したトリスタン人形の容貌を改めて確かめる術はない。火炙り刑で助かったわ。


 これで――私もまだ、役に立つことができた。

 ティエリ王子の目を誤魔化すことができている間だけでも、ハイデッガーに置いてもらえる、はず。


「……ん? なんでまだクソ王子たち城の前にいるんすかね。さっさと出ていきゃいーのに」


 シノが首をひねる。

 外に目を向ければ、両手で顔を覆い立ちすくむ聖女アネットの姿があった。


『アネット。何を呆けている?』

『……わたし……もう、無理です……』

『聞こえないな。そんな小声で誰に何を伝えられると思った?』

『これ以上! こんなこと、続けられない……!』

『こんなこと? まさかホンザの話か? たかが火刑の執行で、何をヒステリックになっているんだ』


 振り返ったティエリ王子が、聖女アネットへ向け歩き始める。

 また聖女アネットの頬を打つつもりなのか。

 胸の痛みを抑えるように拳を握り締める。――何もできない状況が歯痒い。


 どうして。ティエリ王子。

 役に立てば愛してくださるのではなかったのか。

 それとも、聖女アネットに対する仕打ちがティエリ王子なりの愛だとでも……。


 もうあと一歩でティエリ王子の手のひらが聖女アネットへ届く。

 その瞬間。既視感のある光景が、目の前にまたも現れた。


「……触手っす! いい加減しつこ過ぎるっす!」


 数多の触手が地面より空へ向け伸び、ティエリ王子と聖女アネットの周囲を取り囲む。

 王子か聖女か、どちらかを捕え階層ボスにするつもりなのだろう。


「どちらであろうと構わないわ……二人とも助けだせばいいのだから!」


 地上へ飛び降りるべく窓へ手を掛ける。

 しかし同刻、地上より長く伸びた触手が窓を覆い尽くした。


「……! 開かないっ」


 何も見えない。外の音だけが聞こえてくる。

 人々の喧騒、そしてティエリ王子の取り乱した声。


『迷宮の主だと!? どういうことだ!』

『……わたしは……なんでも、もういい……もう、疲れた……』

『はは、はははは……ははは! 確かに一番効率的で美しい……!』


 窓を破り、触手を殴り破裂させて外を見る。

 地上には――ティエリ王子も聖女アネットも、二人とも見当たらない。


「リリアナお嬢様、上っす!」


 導かれるように上空を見れば、虚な目をして翼を広げる聖女アネット、そして彼女の手を握りぶら下がるティエリ王子の姿が見えた。


『さあ意思なき魔族ども、ボクの命に従いリリアナを探せ! ああ、そうだ。ついでに地上を掃除しておけ』


 誰へ宛てたのかも分からない命令を下したティエリ王子を連れて、聖女アネットが空を駆け行く。


 聖女アネットの飛翔する姿はとても美しく、驚くべき速さを伴っていた。

 先ほどまでティエリ王子を追っていた強制配信用コウモリも一瞬で二人を見失ってしまったようだ。

 街中に投影されている映像が何もない空をただただ映していた。


 しかし――最早、行き先は分かりきっている。

 迷宮以外あり得ない。触手は階層ボスを求めているようだから。


 迷宮へ急ぐべく、自室へ戻り冒険着を身に纏う。

 と、街中からより大きな喧騒――悲鳴が聞こえてきた。

 何事かと再び窓の外を見る。マディが様子を見るために翼を広げ空を飛んでいた。


「マディ、何があったの!」


 私の叫び声にマディが振り向き、城の方向へ飛び戻る。


「リリアナお姉様! 街中の至る場所に、何体もの魔物が……!」

「!」


 動揺が走り抜け身体が硬直する。


「クソ王子が言ってた意思なき魔族、って……」


 シノが不安げに呟く。

 ティエリ王子の能力は下等種獣類の身体コントロール奪取。

 迷宮に喰われ能力を強化させ……魔物を操るに至ったのかもしれない。


「……魔物に私を探させるつもりなのね」

「クソ王子、地上を掃除しろとかも言ってたっす。潔癖症のクソ王子が、マトモな意味で『掃除』なんて言うわけないっす」

「ティエリ王子を支持しない民の掃討そうとう、かもしれないわ……」


 躊躇の猶予はなかった。自室から飛び降りるべく窓の外へ身を乗り出す。

 ふと、ティエリ王子に置いていかれた強制配信用コウモリが目線上、四階相当の高さを飛んでいることに気付いた。


「シノ、飛び降りる前に強制配信用コウモリを捕まえられる?」

「朝飯前よりお安い御用、っす!」


 シノが鉤縄かぎなわを投げコウモリを捕縛したことを確認し、窓から飛び降りる。

 コウモリを受け取って手で握り締め、視線を私へ向けさせた。


「国民の皆様! 聞こえますか」


『……えっ、リリアナ・ベッロット!?』

『ティエリ王子が探してた元婚約者じゃん!』

『待って頭ついていかない』

『コメントオンになってる?』


 どうやらコウモリを捕まえた時だろう、コメント読み上げ機能をオンにしてしまったようだ(ティエリ王子は配信がコメントで汚れる、と常にオフにしている)。

 今はコメントを消す時間も惜しい。方法もよく知らないし。


「今、ハイデッガー領は魔物の集団に襲われております。魔物らはティエリ王子の命令を受け、市民の掃討に乗り出していると思われます。領民の皆様は一刻も早く屋内へ避難を。領内、及び近隣の能力者様には街中での魔物討伐を願います!」


『ティエリ王子の命令って』

『王国による人民選別だ! 陰謀!!』

『ホンザが殺されたのだって、まだ飲みこめてないのに……』

『さっきの触手って何だったの? 説明求』


 ザワザワとしたコメントがやがて、様子を変え始めた。


『……えっ、魔物、ルドヴィング領にもいるんだけど!?』

『うそ俺んとこにもいる。ハイデッガーじゃないのに』

『待って王都にもいるんだけど』

『魔物目撃情報まとめ:ハイデッガー領、王都、ルドヴィング領、オルランド領、ゴメス領……』

『まとめる意味ないっぽい、アランブール王国全土に魔物出てる!』

『おまいら! はよ避難汁! ここは漏れが食い止めるお!』

『ジジイ無理すんな、家で寝とけ』


 ハイデッガー領だけでなく、国民全員が危機にさらされているなんて。

 気持ちが焦る。ティエリ王子、なんてことを……。

 冷や汗が頬を伝い終えたと同時、とあるコメントが聞こえてきた。


『なあ元婚約者リリアナ! なんとかしてくれよ! 俺、ホンザの配信見たんだよ』


 その一言をきっかけとするように。

 混乱と恐怖に染まっていたコメント群が――人々の感情が、気力を取り戻したように感じられた。


『私もホンザ様の配信見ました』

『ホンザの時みたいにさ、ティエリ王子を倒せばどうにかなるんじゃないか?』

『元婚約者って無能力者じゃないの? 王都から能力者派遣待った方がいいんじゃ』

『ばっか配信見てないのかよ。下手な能力者より強えって』

『王都から能力者をハイデッガーに派遣したら、私たち王都民はどうなるのよ!』

『頼む! リリアナ様、ティエリ王子を打ち負かしてくれ!』


「……リリアナお嬢様」


 シノが気遣うような、悩まし気な表情で私に視線を送る。

 予想外にも国民の期待を一身に背負う形となってしまったこと、心配してくれているのかもしれない。


 けれど大丈夫。――期待には応えてみせる。役に立ってみせるわ。


「皆々様! ご安心ください、元よりそのつもりです……ティエリ王子は、私が打ち破ります!」


 コメントからいくつもの歓喜の声が上がる。

 心臓が呼応するようにバクバクとうるさい。


『待てリリアナ、行くな! 俺たちが帰還するまで待機していろ!』


 数多のコメントの中に、妙に聞きなれたイントネーションの発音があったような、気がした。

 けれど私はそれを意図的に無視した。そうしなければ――人々のお役に立てない。

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