第25話 罠

『私が好いている方なんて、そんなの、いらっしゃると、したら!』

『コメントの御方しか、いらっしゃいませんのに――!!』


 はっ、と目が覚めた。朝の光が窓から室内へ降り注いでいる。

 夢を見ていた。

 ふふふ、冷や汗をかいてしまったわね。だって、勢い余ってコメントの御方に告白、してしまう夢なんて。


 ……。……夢よね。

 いや……あれ……? もしかして、夢ではない?


 数日前。階層ボスホンザ様を打ち倒すため、迷宮探索に向かった日。

 ホンザ様に金的を食らわせてしまったショックで抜け落ちた直前の記憶。

 今の夢は……その時に、実際にあった出来事なのでは……。


 もしも告白、なんてしてしまっていたら。コメントの御方だって困惑の返答をするはずよね。

 そう考え、ホンザ様を打ち負かした後コメントの御方とどのような会話をしたか思い出そうとする。


 もしかしてコメントの御方、ホンザ様が倒れて以降はコメントされていない?

 ……私の告白に困惑して、或いは呆れ倒して。口を閉ざされたのでは。


 ふるふる、と首を横に振る。

 考えたって仕方ないわ。時は戻らない。もうどうしようもないもの。


 でも、しばらく迷宮探索はやめておこうかしら……。


 弱気が頭をもたげた瞬間、ドアをノックする音が耳に届く。

 ドアを開け姿を現したマディは、酷く慌てた表情をしていた。


「リリアナお姉様、大変なのです! お兄様が――ティエリ王子に、呼び出されてしまって……!」


 *


「やーほー、リリアナにマディちゃん。シノちゃんも。お揃いで」


 血相を変えて執務室に走り込めば、気の抜けた声にて出迎えの挨拶を受けた。


 状況に似つかわしくない雰囲気に拍子抜けしつつ、執務室内を見渡す。

 ユリアン辺境伯は執務席に腰かけ、机の前にエミール様が立たれていた。

 窓辺にはユリアン辺境伯の飼い猫がのんびりと寝転がっている。


「ユリアン辺境伯がティエリ王子から召致の命令を受けたとお聞きしたのですが……」

「事実だよ~。ホンザの配信を見たんじゃない? ホンザ、あとリリアナ。愚弟ティエリは二人の居場所について話を聞かせろと言っている。ま、暗に『引き渡せ』って言ってるよねえ」

「お姉様を引き渡すだなんて……!」


 マディが手の平を口元に当てながら驚愕の声を上げる。

 一瞬で蒼白に染まった顔色は、マディの小さな手では隠せそうもなかった。


「あんのクソ王子……辺境伯殿、まさか屈しはしないっすよね!?」

「シノ、抑えて。旦那様、私は覚悟できていますから」


 私の存在が緊急的危機をもたらす以上、エミール様が国王となられるまで呑気に待ってはいられない。


 ユリアン辺境伯の代わりに私が王都へ行く。

 決意を抱き旦那様を見つめるも、視線の先にはどうにも煮え切らない表情。


「……、……そのつもりは、ない」


 ユリアン辺境伯が喋られた文字数は、たったの八文字。

 簡易な返事であるが、しかしその内容は私の希望を聞く気がないとハッキリ示していた。


「旦那様。ティエリ王子と国王、王妃のホンザ様が王位継承の珠に願った映像はご覧になったのですよね? そうであれば分かっているはずです、ご自身の置かれている立場を」


 ユリアン辺境伯は思い悩むように口を閉ざした。

 そして数秒後、首を横に振る形で、考えを変えるつもりはないと私に告げる。


「……ここにいろ」

「旦那様!」

「お前は俺がま、も……」


 まも……摩耗?

 ユリアン辺境伯の真意は分からない。口ごもり、そのままうつむいてしまったから。


「お前は俺が守る! だってさ」

「エミール様……」

「そうでしょ? な、ユリアン」


 ユリアン辺境伯は呼びかけに何も応じなかった。

 少し前であれば、そんなわけない――そう、エミール様の言葉を否定していたかもしれない。


 でも、今は少しだけ分かり始めている。

 ユリアン辺境伯のこと。


 旦那様は、思っていた以上に……優しいのだ。


 そして案外、私のことを心配し、守ろうとしてくださっている……らしい。

 視察先の農地で庇われた時のことを思い出す。あの時触れた旦那様の、冷たい肌の感触も。


 私のことを心配してくださっているのなんて、コメントの御方くらいかと思っていたけれど。

 どうやら違ったらしい。


 ――数日前の夕食時、エミール様から告げられた言葉を。

 コメントの御方の正体は、ユリアン辺境伯。

 まさか。そんなこと……。


「まあまあ、落ち着いてよリリアナ。オレもユリアンについていくからさ。なんとか誤魔化してくるよ」


 軽薄な笑顔でエミール様が笑った。不思議とその適当さに嫌悪感を抱くこともない。

 逆に頼もしくすら見えるのは、エミール様の目指す先を知ったゆえだろうか。


「悲観的にならなくても大丈夫だって。愚弟はまだ、リリアナがユリアンのお嫁さんになったとは知らないんだからさ〜。だから『居場所を教えろ』なんて、迂遠なことを言っているんだろう」


 シノがエミール様を睨み付け低い声を出す。


「本当に大丈夫なんすよね?」

「任せてよ。オレにフルベット全賭けしてくれた恩には報いなきゃあね」


 朝食後すぐにユリアン辺境伯は飼い猫を連れて、エミール様と共に城を出発し王都へ向かわれた。

 二人が馬車へ乗り込む直前、エミール様には改めて「いざとなればこの身は惜しみません」とお伝えしたけれど……どうなるかしら。


 待つしかない。二人の帰りを。


 ……待つことには慣れていたつもりだった。十年もの間、能力の開花を待ち続けていたのだもの。

 けれど今はこんなにも、じれったい。もどかしい。

 急いてしまう気持ちを止める術は存在しなかった。


 *


 ユリアン辺境伯、エミール様が出立されて何時間か経った頃だろうか。

 昼食を終え、ホンザ様の様子を確認し(未だ目覚めず城の客室で寝かされている)手持ち無沙汰のまま私、シノそしてマディの三人で、城内の温室にて待機していたところ。

 突然、とんでもない知らせが我々の元へ届いた。


「リリアナ様、マディ様! ら、来客がお見えになりまして……」


 慌てた様子で初老の執事が温室へ飛び込んできた。

 激しく息切れしている。走ってきたのだろうか。

 しかし……来客? 予定にはなかったはずだけれど。


「執事、どなたがいらっしゃったのですか?」

「それが……っ、ティエリ王子、なのです……!」

「――えっ?」


 あり得ない来訪者に、温室内の時間が止まったかのように静まり返る。

 ユリアン辺境伯を呼び出した張本人が、どうしてハイデッガー城に?


「ハイデッガー家の者を呼んでこい、と。ユリアン様は不在だとお伝えしましたら、それは承知の上と……」


 他の誰でもない、ティエリ王子ご自身がユリアン辺境伯を王都へ呼び寄せたのだもの。

 既に城を離れているなど重々承知でしょう。

 その上で、ティエリ王子自らハイデッガー城へ訪れたということは。


「――罠、だったのかしら。召致命令は……」

「お兄様はハイデッガー領から遠ざけられるため、王都に呼び出された……?」


 マディが不安げな眼差しで呟く。

 どうやら私と同じ推測に至ったようだ。

 

 恐らくティエリ王子は、ユリアン辺境伯不在の隙を狙い目的を達成しようとしている。


 ティエリ王子がハイデッガーまで赴く目的。

 私とホンザ様の捕縛――それしかあり得ない。


「執事。私が出るわ。私もハイデッガー家の者だもの」


 一歩前へ踏み出そうとして、行く手を遮られる。

 マディが広げた黒い翼は温室の狭い通路を閉ざすには充分な大きさだった。


「リリアナお姉様。わたくしが行きますわ」

「……いえ、マディ。無関係のあなたをティエリ王子の悪意に晒すわけにはいかない」

「わたくしだって関係者です! 山火事が全ての引き金なのですから。それに」


 マディが決意を固めたように、胸の前で手の平をギュッと握り締めた。


「お兄様が決めたのです、リリアナお姉様をお守りするのだと。それを妹のわたくしが裏切ってよいはずがありません。執事!」


 マディが初老の執事を連れ温室を出ていくその背中を、黙って見ていることしかできなかった。


 たくさんの方に心配され庇われている。

 その事実が――急激に、身体へ重くのしかかる。


 初めてコメントの御方から心配された時こそ、こそばゆく、くすぐったかった。

 けれどあの時は、そもそも取るに足らない魔物雑魚討伐に対する心配だったから。

 だからこそ、はにかむような面持ちでいられたのだと今更気付く。


 今となっては。

 私自身ではどうにもならない事情――ティエリ王子からの悪意を前に、皆が心労を重ねる姿を見ていることしかできない状況が、あまりにも辛い。


「私はここに……ハイデッガー家に、いていいのかしら」

「リリアナお嬢様……」

「お役にも立てず、皆の迷惑になるばかりの私が。ここにいていい、理由なんて……」


 シノがぎゅ、っと胸元に頭をうずめ抱き着いてきた。シノなりに慰めてくれているのかしら。

 従者を不安がらせてしまっては雇い主失格、ね。


 *


 シノを連れ四階の自室へ戻ると、外から音の合唱が聞こえてきた。

 窓の外を見る。街中の至る場所にて映像が壁面へ投影されている光景が目に入ってきた。


 野良の映像配信ネコ達が起動したのか。

 ティエリ王子が強制配信用王家が飼育するコウモリ(陽の光にも強い特別性)を飛ばしたのだろう。


 目を凝らし配信映像を見る。

 見覚えのある場所――ハイデッガー城前を背景に、ティエリ王子と配下達、そして暗い顔をした聖女アネットが映し出されていた。


『お待たせして申し訳ございません。わたくしがハイデッガー家ユリアン辺境伯が妹、マディ・ツー・ハイデッガーにございます』


 映像内に先ほど別れたマディが映り込む。リアルタイム配信映像であることに疑いはなかった。


『前代の辺境伯が失政で雇い人を減らしたと聞いていたが……その噂は本当だったらしいな。とことん不愉快な家筋だ』


 ティエリ王子が見下すようにマディへ視線を送る。

 しかしマディは挫けることもなく、強い眼差しをティエリ王子へ返した。


『用件は分かっているな? リリアナ・ベッロット及びホンザ・ヘンズルの引き渡しだ』

『……お二人が、何をなさったのですか?』

しらを切ろうなどと汚らわしい真似を。このボクに仇する汚物がどうなるのか、分からん輩が多いようだ』


 ティエリ王子が上空へ向け指を差す。

 その先にあるものは位置関係からして……ハイデッガー城。


『リリアナ、ホンザを火炙りとするか、それとも――城に火をべるか。選べ』


 瞬間的に。

 頭に血が昇る。怒りにより血流が勢いよく流れ、全身が煮えたぎる。


 甘かった。

 ティエリ王子の目的。それは私とホンザ様の捕縛、そんなものではなかった。

 民衆からの支持低下を受け、ティエリ王子がどう動くのか予想できていなかった。


 ティエリ王子は今後の統治について、支持を必要としない形に舵を切ることにされたのだろう。

 ――暴の力により積極的に弾圧を行う、圧倒的な

 私とホンザ様を見せしめに、国民へ今後の方針を知らしめる。それこそがティエリ王子の真の目的。 


「待ってくださいっすリリアナお嬢様!」


 自室を飛び出そうとした瞬間、シノに羽交い締めされ静止させられる。


「でも、シノ。私が行かなければ、この城は……」

「シノも、指くわえて城が燃やされるの待ってろって言う気はないっす! でも、リリアナお嬢様がこのまま無策で出て行くのを、止めないわけにもいかないっす……!」


 叫んだことにより酸素が体内から失われたのだろうか、シノがゼーゼーと息を整えた。


「せめて、たった今この場だけでも、クソ王子を騙して時間を稼げれば……。辺境伯殿たち、映像投影の飼い猫を連れてってるんすから、クソ王子の強制配信を見て引き返す筈っす」


 エミール様であれば、ティエリ王子の蛮行を穏当に静められる可能性もある。

 だからエミール様の到着を待つべきだと――シノの主張に半分同意しつつ、しかし。


「けれどシノ、騙すって言ったって……。催眠能力の持ち主でもいれば、私とホンザ様を火刑に処したと勘違いさせることも、できるかもしれないけど」


 無能力の私では、そんな策略も不可能だ。

 何もできない役立たずの極みじゃない、私。焦る気持ちが全身にのしかかる。


「……なにか、なにかないっすかね……シノが変化の術で、リリアナお嬢様に化けて出ていくとか……」

「シノが身代わりに死んでしまうだけじゃない! そんなの駄目に決まって、」


 ――身代わり。

 口にした言葉に、ひとつ奇策を思いつく。


「……シノ。使用人を遣わせ、マディに一旦、城へ戻ってきてもらいましょう」

「リリアナお嬢様、なんか思いついたんすか?」

「そうね……上手くいくと、いいけれど……」


 自信があるわけではない。けれど他に代案も思いつかない。

 ……やるしかないわ。

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