第20話 戦闘開始
自室の扉を開ければ、配信を映し出してくれていた黒猫が廊下へ出て行った。
――ありがとね、あなたのおかげで、いち早くホンザ様の異変に気付くことができた。
木刀片手に城内を飛び出し、街中を駆け抜け迷宮へ向かう。同時に周囲を見渡し、人々を襲う異変の状況を把握する。
やはり皆、例外なく不調を訴えている。
幼子や老人など、体力のない者ほど苦痛の程度が激しいようだ。
「ホンザ殿のせいっすかね? 小童たち、つらそうっす」
「そうね。ホンザ様は迷宮に喰われたみたいだから」
階層ボスと成ったホンザ様の発言を思い出す。
――新たに開花した能力であれば、永久に戦い続けることができる。そう仰っていた。
「人々から気力を奪って、ホンザ様自身の力とされているのかも」
げーっ、と言いながらシノが顔を歪ませた。
「妙に
シノが気だるげに肩を回す。決して本調子ではなさそうだ。それは私もだけれど。
しかし――それでも私とシノは、鍛えているから耐えられるのだ。
「幼子や老人ではそう長くは耐えられないわね。のんびりしている暇はなさそうだわ。手早く行きましょう」
「ういっす! シノもホンザ殿と一緒の時間は短い方がいいっす〜!」
ハイデッガー領・第一迷宮の入り口へ到着した。地下二階への抜け道階段を前に、気付く。
今の状況は
つまり前回マディを攻略した際に起きたことが、再び起こりうるかもしれない。
――ボスドロップ。
そう告げたマディの手には『王位継承の珠』があった。
今回も、ホンザ様を討伐した暁にはドロップするのだろうか。『王位継承の珠』。
「もしかしたら……ホンザ様の討伐は本来、ティエリ王子の御役目なのかもしれない」
だって『王位継承の珠』の取得はティエリ王子の役務だもの。
それをマディの時同様、私が奪い取ってしまう形になる。
迷宮・地下二階への抜け道階段を降りるとは、そういうことだ。
私の独り言を聞いたシノが不思議そうに首をひねった。
「? クソ王子直々にホンザ殿へ引導を渡させるってことっすか?」
「……そうね。それではホンザ様も可哀想ね」
最初から迷っている暇なんてない。
ホンザ様の新能力により人々が苦しんでいるのだ。即刻討伐。それしかないわ。
例えこの行いが、ティエリ王子の役割を強奪する暴挙だとしても。
*
『……リリアナ、か……?』
映像記録コウモリに冒険者マーカーを挿して程なく、コメントの御方の発言が聞こえてきた。
コメントの御方、息も絶え絶えだわ。
ホンザ様の新能力により気力を奪われている――にしても、街の人々と比べ不調の度合いが高い気がする。
「リリアナの配信にございます、コメントの御方。ご様子が優れないようですが……」
『……俺のことは、いい。それよりも、なぜ迷宮に』
コメントの御方が苦しそうに話す声が痛々しい。
「ハイデッカー領に、ご報告は上がっておりますでしょうか? ホンザ様の配信について」
『……ヘンズル伯爵家の、ホンザ子息? 彼が、配信? 一体、何の話だ……』
「ホンザ様がハイデッカー領・第一迷宮の攻略配信中に、迷宮に喰われたのです。私はその配信を偶然、目にしていました」
『……!』
コメントの御方が息を呑む音が聞こえた。
ホンザ様の件、ハイデッカー領地内ではまだ認知されていなかったのね。
コメントの御方に伝えられて良かったわ。
「階層ボスとなられたホンザ様は、どうやら他者の気力を奪う能力を開花されたようです」
『……そんなことが、起きていたのか。それで領内が、こんな状況に……』
「街中も見てきたっすけど、みんな辛そうにしてたっす。特に小童とお年寄りは酷かったっすよ」
シノが地下二階への抜け道階段を先導しつつ、振り返って映像記録コウモリへ話しかけた。
街中の様子に思うところがあったのだろう、声から必死さが滲み出ている。
「コメントの御方、ユリアン辺境伯にご報告願えますか? 体力の少ない者を集め、能力者により気力回復を行った方が良いかもしれません」
『……それは、難しいかもしれない』
コメントの御方が苦々しく呟く。
『部下……ああ、辺境伯の部下たちに領地内の状況確認をさせているのだが、どうにも能力者ほど衰弱の度合いが激しいようだ』
それでコメントの御方、酷く苦しそうにされていたのか。
しかし複雑な気分だわ。
私が無能力者であったために、ホンザ様の討伐に向かうことができているなんてね。
『回復能力者を出動させるのは難しかろうが……体力の少ない者への支援を強化させよう』
「ありがとうございます、コメントの御方」
『礼など。この程度のことしか、できないのだから……』
コメントの御方の無力感が、配信越しでもハッキリと伝わってきた。
……複雑な気分だなんて、言っている場合じゃ無かったわね。
改めて片手に持つ木刀を強く握りなおす。
「ご安心を、コメントの御方。私がホンザ様をめっためたに打ち倒しますわ。どうかそれまでご辛抱を」
『……すまない、すまないリリアナ』
抜け道階段を降り切った先。
ホンザ様の配信で、背後に映っていた地点に辿り着いた。
――ホンザ様が、迷宮に喰われた場所だ。
『無理も無茶も、してほしくないと思っているのに、お前を危険な目になど合わせたくないのに。結局、今回もリリアナ、お前に頼るしかない……』
「杞憂ですわ、コメントの御方。私、鍛えておりますもの。無理でも無茶でも危険でもありませんわ」
苦悶の声をなさるコメントの御方を安心させたくて、にっこり余裕の笑顔を映像記録コウモリへ見せる。
けれどもコメントの御方には通用しなかったようで、続く声色は変わらず覇気がない。
『お前の強さを疑っているわけではない。ただ、俺が嫌なんだ。――嫌だと言って何もできない口だけだと、罵られるべきだな』
「卑下なさらないでください、私、いつもコメントの御方に助けられ、励まされていますわ」
『……そんなことしかできないんだ。歯痒いことに』
なんと言えばコメントの御方へ、私の謝意が伝わるのか――その逡巡を、打ち消すように。
音が聞こえてきた。
足音。迷宮の奥から、二足歩行特有のリズムを伴って。
シノが一気に警戒心を高めた。無言のまま手裏剣を二つ、迷宮の奥へ放つ。
カキン、と金属音が二回。――剣で手裏剣が弾かれた音だろう。
「はは、楽しそうな話をしているな! ……ここが誰の迷宮か分かっているのか?」
手裏剣を振り払った
他者から徴収した気力を、オーラとして目に見えるほど凝縮しているのだろう。
『ヘンズル伯爵家、ホンザ子息……』
「そう、ここは僕の迷宮だ! ――で、なんだって!? 誰が誰を打ち倒すのかね!」
ホンザ様の笑顔は悪意そして自信に満ちていた。
私の企みなど意に介す必要もない、そう言いたげに口元は歪んでいた。
ホンザ様の背後に佇む映像記録コウモリが、羽ばたきながら視聴者のコメントを音声化する。
しかし音の数は、ホンザ様の配信直後と比べ明確に数を減らしていた。
『……人? 誰か来たの……?』
『なあ……今、ホンザを倒すって言ってたよな? もしかして、ホンザ討伐隊が来たんじゃないか』
『ううっ、母さん、俺死にたくないよ……』
『気をしっかり持て! 助けが来たみたいだぞ』
『でもさあ、討伐隊って言うには人数、少なくないか……?』
私が配信を見ていた時には、女性や老人のコメントもあったように見受けられたが、今は口調からして若い男性がほとんどのようだ。
体力のある若い男性以外はもう、コメントを発する気力も残っていないのかもしれない。
ホンザ様の配信はハイデッガー領民に限らず、アランブール王国全土から視聴者が集っているはず。
つまり――ホンザ様の新能力による影響は、かなり広範囲に及んでいるのだろう。
「ホンザ様! 聞こえないのですか、人々の苦しむ声が!」
「……人々? ああ、彼らもティエリ王子の役に立つことができ誇らしかろう!」
「どの口が言ってんすか、それ。能力者だと余計キツイらしいじゃないっすか。あのクソ王子も能力者っすよ」
呆れたように呟くシノの発言を聞いて、ホンザ様がより笑みを深くした。
「であれば――あの聖女すらも、僕の前では無力! 僕だけがティエリ王子の役に立つことができる! はは、何と光栄なことか!」
……お話にならないわね。
これ以上の問答は無意味。手に持つ木刀の切っ先をホンザ様へ向ける。
『待って、木刀? ホンザ相手に?』
『よく見たら二人しかいないじゃん!』
『もしかして、ただの冒険者……?』
『なあ、木刀の人! もし民間冒険者ならさ、一旦引いて討伐隊を要請してくれって!』
『いや、俺、あの顔どっかで見たことあんだけど……』
「視聴者連中もキミのことを心配しているぞ!? 逃げ帰った方がいいんじゃないかね!」
「つまらないご冗談を仰いますね。ホンザ様も気付いているのでしょう? 能力者を平伏さすホンザ様にとっての天敵。それが、私であると……」
ホンザ様が眉間に皺を寄せた――口元の笑みは崩さぬまま。
先ほどからコメントの御方の発言がない。よほど状態が酷いのかしら。
最早、一刻の猶予もなさそうだわ。
「さあ――お相手いたしますわ、ホンザ様」
「ははは、いいだろう! どちらがティエリ王子の役に立つのか、勝負と洒落込もうじゃないか! リリアナ・ベッロット!」
私の名前を聞いたホンザ様の配信視聴者たちが、俄かに騒めき立つ。
『リリアナ・ベッロットって……ティエリ王子の元婚約者!?』
『聖女殴って婚約破棄されたっていう、あの?』
『やばくね? 聖女への恨みでホンザ側についたりしたら……』
「嫌ですわ、ホンザ様。ベッロットは旧姓です」
「そうだったか? ま、どうでもいいだろう! どうせすぐ離婚だ!」
『……!』
コメントの御方の驚いた息遣いが聞こえてくる。
私とユリアン辺境伯の仲を気遣っているコメントの御方に、要らぬ心配を与えてしまったかしら。
ホンザ様がロングソードを構えた。私も応えて木刀を握り直す。
「シノ、まずは私がホンザ様の相手をするわ。シノは機会を探っていてちょうだい」
「了解っす! 隙あらばやっつけちゃうっすよ!」
『……共闘するって雰囲気でもなさそうだぞ』
『マジで木刀でホンザと戦うつもりなのかよ……』
『さっきも俺らのこと気遣うような発言してたよな。やっぱこの人、味方なんじゃ』
『思ってた感じと違うな。王子の元婚約者。もっと悪役令嬢みたいなの、想像してたけど……』
ホンザ様が振りかぶったロングソードを受け流す。
……まともに食らったら、木刀が叩き折られてしまいそうだわ。
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