第19話 ホンザの配信

 明るい廊下をシノと二人歩く。

 朝日が目に眩しい。久々の晴れ晴れとした天気に気持ちよさを覚え、うーんと伸びをする。

 ハイデッガー領は空模様が悪い日が多い。約二十年前から続いている寒冷も、天候の影響が大きいのだろう。


「最高の天気ね。外出する領民も多そうだわ。パトロールも兼ねて、街へ買い出しに出ようかしら」

「シノ、鍛冶屋行きたいっす〜。頼んだ手裏剣、クオリティ確認したいっす」

「了解よ。実戦に堪え得る出来を期待したいわね」


 街へ出たらまずは鍛冶屋へ寄って、次はどこへ行こうかしら。

 ユリアン辺境伯への視察先で庇って頂いたお礼の品も買いに行きたいわ。お勧めは冷菓と聞いたから、買うなら一番最後ね。


 脳内で予定を立てながら廊下を歩く最中、目の前を黒猫が横切った。

 ――ユリアン辺境伯の飼い猫。私の視線に返答したのか、ナァーン、と黒猫が鳴いた。


「挨拶してくれたの? ふふっ、おはよう」


 シノが黒猫をジッと見つめ、何を疑問に思ったのか首を傾げる。


「目がチカチカするっす……猫って発光するもんなんすか?」

「え? 普通の可愛い猫ちゃんにしか見えないけれど……」


 ――シノの認識は間違っていなかった。

 ニャ! と黒猫が叫び声を上げた直後。窓から入り込む朝日よりも強い光が、廊下の壁に照射される。


 黒猫の目が光っている。

 この猫――『映像投影ネコ』だったの!?


 黒猫により映し出された配信画面は見慣れたダンジョンを背景にしていた。

 映っているのは――ホンザ様。


「あ、あれ! この前シノが投げた手裏剣!」

「壁に刺さりっぱなしだわ。ホンザ様の居場所、疑いようがないわね……」


 我々の困惑をよそに、黒猫はマイペースに鳴きながら配信画面を廊下の壁へ映し続ける。

 猫の出すゴロゴロゴロ、という音が、徐々に迷宮内の音へと変化していった。


『……映っているだろうか! 皆のもの! 久しいな!!』


 配信越しでもホンザ様の大声はうるさい。

 ホンザ様の挨拶に呼応するように、視聴者によるコメントが連続で聞こえてくる。


『配信乙』

『おはようございます! ホンザ様いつも大好きです! 最近配信少なくてさみしい! 今日の配信も楽しみです!』

『ホンザ様の配信久し振りかも』

『陰謀だ! いい加減に目を覚ませ! 迷宮は生物兵器研究所なのだ!』

『乙。ホンザ様ソロ?』

『はよー。陰謀論おっさん、そろそろ病院行きな』


 ホンザ様の配信アカウントは、ティエリ王子による迷宮攻略実演支持率稼ぎにも使用されている。

 そのため民間人のチャンネル登録者が多い。

 私の配信と違って多くの視聴者が集まる分、コメント数も膨大だ。


『ははは! 皆が僕の勇姿を心待ちにしていたようだな! しかしいい加減、僕に対しては敬語を使いたまえ!』


 ホンザ様が慣れた様子でコメントをあしらう。


『それでだな、本日は不穏な動きを見せる迷宮を攻略する事とした! ま、僕の手にかかればこんな三流迷宮、踏破など朝飯前だがね!』


 ――不穏な動きを見せる迷宮の攻略。

 先日の農地視察でスライム上位種が出現したことを訝しんでいるのか。


 ユリアン辺境伯が第一迷宮を謀反に利用すべく画策した結果、異変が起きたのでは。

 とでも考えたのかしらね、ホンザ様は。

 ……あり得ないわね。何度も迷宮に潜った私なら断言できる。


 ホンザ様の発言一つ一つに、コメントは沸きあがる。


『朝飯前って、時間的にもう朝飯終わってるだろ』

『さすがホンザ様! 民を守るため率先して行動されるなんて! 全ての貴族に見習ってほしい姿勢です!』

『ホンザの能力て補助系なのにソロ配信大丈夫なん?』

『剣の腕は確かだから、自分の能力で補助すればソロも行けるよ』


 しかし――コメントの中に、不穏なものがひとつ。


『ホンザ、お前ティエリ王子に捨てられたみたいだぞ』


 意気揚々、迷宮の奥へ足を踏み出そうとしていたホンザ様の顔色が瞬時に変わる。――真っ青に。


『……は?』


 ホンザ様の狼狽に関わらず、配信コメントは止まらない。


『いえ〜い! ホンザ様今日のパンツ何色?』

『ホンザ、聖女狙ってる噂あったしな。ティエリ王子に捨てられるのも残当』

『陰謀だ! この国はロスアダルトに支配されている!』

『むしろ聖女の方がホンザ狙ってる説、あると思います』

『陰謀論おっさん今日も元気だな』


 ホンザ様がふるふるとかぶりを左右に振る。


『……僕がティエリ王子に捨てられるなんて、あり得ないだろう! ソロ配信は僕の独断で行なっているに過ぎないからな! 捨てられたからソロなのではないぞ!?』


 ホンザ様の大声は変わらない。けれど声は震えている。


「無理してるっすね、ホンザ殿」

「当然と言えば当然ね……。ホンザ様は婚約破棄の現場を見ていたもの。今度は自分の番なのか、そう考えてしまうのは必然だわ」


 それに潔癖症の王子より汚物とみなされ追放された者など、私の他にも大勢いるのだ。

 ホンザ様は幼少期よりティエリ王子に仕えてきた部下。私よりも多くの追放者を見ているだろう。


「クソ王子、部下でも容赦ないっすからね〜。しかし何で今更? ウザさが原因なら十年遅いっすよ」


 シノの疑問も迷宮へは届かない。

 私たちの声をコメントとして送るには、映像投影ネコを撫でながら発言する必要があるためだ。


 私たち以外の視聴者によるコメントは続く。


『私たちはずっとホンザ様の味方です! ホンザ様がたくさん努力されてきたこと、よく分かってますから!』

『ホンザ、マジでなんも聞いてないの?』

『陰謀! すべて陰謀だ!』

『ホンザが地方に飛ばされたのと入れ替わりで、ティエリ王子の部下が一人増えたんだよ。だからホンザはお役御免だろって言われてる。可哀想だから教えとく』


 コメントが読み上げられるたびホンザ様の顔色が悪くなっていく。

 ティエリ王子の新しい部下――その情報はもう決定的なまでに、ホンザ様へのダメージとなったように見えた。


『陰謀おじ空気読めって』

『ホンザ様なにかやっちゃったの?』

『だから聖女がホンザを狙ってるんだって! ティエリ王子はそれが気に食わないの!』

『ホンザの能力って聖女の下位互換だしな〜、要らんっちゃ要らん』


 ……ホンザ様の能力は補助・回復。

 ザックリ言えば『ホンザ様が生命力を分け与えることにより、周囲の人間へ外傷軽減&痛覚減退&微小回復を付与する』能力だ。

 ティエリ王子のためならば敵襲も恐れず突き進む! 我らは駒! と言わんばかり。ホンザ様らしい。


 けれど――ホンザ様の能力では、聖女アネットのように劇的な状況の改善を狙うことはできない。

 全ての攻撃を弾く無敵の盾を作り出すことも、瀕死の重傷を一瞬で元通りに治すこともできないのだから。


 最も、これはただ単に聖女アネットの能力が強過ぎるだけだ。

 大概の能力者は、聖女相手では下位互換と罵られることから逃れられないだろう。


『おはホンザ〜。いま始まったとこ?』

『聖女がホンザに恋してる説を妙に推してるやついるな』

『他人の不幸で飯がうまいw』

『迷宮配信時の聖女、しっかり見てみろって! ホンザ好き好きオーラ出してるから!』

『王子の部下辞任なったらホンザどうすんの? 親の手伝いでもすんのか?』


 聞くも苦痛なのか、ホンザ様が頭を抱え顔を伏せた。

 そして一言ポツリと呟く。


『……嘘だ』


 ひとつ言葉が出たら、もうせきを切ったようになってしまった。


『嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘……』


 様子のおかしさにコメントもざわつき始める。


『配信事故?』

『ホンザ様負けないで! ホンザ様は誰よりも素敵で無敵なんですから大丈夫です!』

『混乱状態で迷宮いたら危ないし通報した方がよくない?』

『情弱共め! 国王は人間ではない! ゴムの仮面を被り人間のフリをしているのだ!』

『どこに通報すんだよ。ホンザがどこにいるのかも分かんないのに』


 心配するコメントもホンザ様には届かないようだ。

 手の平で顔を覆いながらひたすら『嘘だ』と呟き続けている。


「ホンザ様が迷宮から引き返されないなら……私たちが助けに行くべきね。錯乱して奥に進んでしまったら危険だわ」

「ういっす! 助けて恩売りつけて、うっさい口塞いで静寂を買うっすよ〜」


 シノが迷宮探索の準備を始めるべく自室へと駆けていった。

 私も着替えたいけれど、ホンザ様を見ておく必要もある。この場を離れるわけには……。


 ……いえ、ひとつ方法があるわね。


「猫さん、ごめんなさいね!」


 映像を投影し続けている猫に一声かけ、ひょいと抱きかかえる。

 これで配信を見ながら自室まで辿り着けるわ。

 私に抱き上げられながらも、猫はマイペースを崩さずナァンと鳴いた。


 配信画面の中でホンザ様の狼狽は変わらず続いている。コメントの混乱も同様だ。


『嘘だ、噓だろう、誰よりも王子に尽くし奉仕してきた僕が王子から捨てられるなんて』


 ……同情しなくもないわ。ホンザ様の忠誠心は本物だもの。


『噓だ噓噓噓噓噓噓噓噓噓……。嘘、う、嘘でなかったとしたら?』

 

 ヒュッ、とホンザ様が息を吸い込む音が聞こえた直後。

 ホンザ様の顔を覆っていた手指の隙間から覗いた瞳は――絶望の色に染まっていた。


『ティエリ王子にとって……僕は、役立たずなのか?』


 その一言が契機となったように。

 配信画面の両脇より、うねうねとした細長い何かが一斉に現れ――ホンザ様を囲い、包み隠した。


『えっ、なにこれ』

『ホンザ! 聞こえてる? ヤバイって! 逃げろ!』

『どこ通報すればいいんだよこれ、地方レベルの能力者じゃどうにも出来なくない?』


 コメントの阿鼻叫喚を呼び寄せたこの存在を、私は知っている。

 階層ボスとなったマディを迷宮へ連れ去り、私達の迷宮攻略を妨げようとした存在。


 ハイデッガー領・第一迷宮に潜み、迷宮の意思を反映したかのように動く物体。

 ――触手。


 ホンザ様の身に、マディの時と同じことが起きている?


「迷宮に、喰われた……」


 コメントの御方が仰っていた言葉を、ポツリと呟いた瞬間。

 配信画面の中より聞こえてくる喧騒が一瞬、止んだ。


 そして音の洪水が溢れ出す。


『は? 喰われた!? なにそれ』

『ホンザの状況分かってる視聴者いんの!?』

『喰われたってどゆこと』

『ホンザ死ぬん? ヤバくね? その辺の冒険者ならともかく大貴族の息子だろホンザ』


 ――しまったわ。

 独り言のつもりが、コメントとして配信に乗ってしまった……!


 映像投影ネコを撫でずとも、触れて喋るだけでコメント扱いになってしまうのね。気を付けないと……。


 反省と共に自室へ辿り着く。中に入ればシノが迷宮攻略の準備を進めていた。

 先刻と同じ轍を踏まないよう黒猫を室内へ放す。

 ニャニャ〜と鳴きながら床に着地した黒猫は、ベッドの上に陣取り部屋の壁へ映像を投影し始めた。


『――迷宮に喰われただなんて。聞き捨てならないな……』


 ホンザ様の言葉が配信画面から響き渡る。

 ほぼ同じタイミングで、触手がホンザ様の周囲から一瞬で退いた。

 ゆらり揺れた身体を支えるように、ホンザ様が俯きながら地面を踏み締める。


『ホンザ! 無事か?』

『やはり貴族……貴族は全てを解決する……』

『よかった~能力者は伊達じゃないな』

『本当に大丈夫? 様子おかしくない?』


 数多のコメントに応えたのかホンザ様が顔を上げた。

 ホンザ様の瞳は――全ての光を拒絶したかのように、深く昏い漆黒であった。


『喰われたんじゃない、逆だよ。僕がこの迷宮を支配したんだ』


 ホンザ様の奇怪な発言を聞いて確信する。

 ……やはり、迷宮に喰われたのね。そして成ってしまったんだわ。

 ハイデッガー領・第一迷宮の、階層ボスに。


『は?』

『メンタル崩壊してんじゃん!?』

『元々おかしい貴族だとは思ってたけど遂に虚言まで』


 コメントに何も応えないまま、ホンザ様が腰に携えた長剣ロングソードを鞘から引き抜いた。


 ほぼ同時に――身体にズシンとした重みを感じる。

 大地が揺れたのかと思ったが、どうにも違うようだ。

 その証拠にベッド上の黒猫は微動だにせず、のほほんと前足を舐め毛繕いをしている。


「……? 猫、シノの背中に乗って……ないっすよね?」


 シノが迷宮探索準備の手を止め、眉根を寄せる。

 私だけが違和感を覚えているわけではないらしい。


『なんか……頭痛い……』

『吐きそう。何が起こってんの』

『電磁波攻撃により脳の中身が覗かれている!! うっ、げげえーっ!!』

『陰謀おじ……それは逆に元気だろ……』


『ははは! ……溢れんばかりの力を感じるよ!』


 不調コメントに反比例するように、ホンザ様が快活な大声で叫んだ。

 ホンザ様が能力を使い気力を周囲へ分け与える時と……逆の現象が起きている?


『聖女アネットと言えど本人が倒れれば無力、しかし僕の新たな力であれば! 永久に戦い続けることができる……無限に王子のお役に立てる!』


 ……新たな力。迷宮に喰われたことにより開花したのか。

 我々やコメント欄の方々が感じている身体の異常は、ホンザ様の新能力に関係があるのだろう。


 コメントの阿鼻叫喚を身に浴びながら。

 自室の壁に立て掛けていた木刀を握る。領民の方から譲り受けたものだ。

 一刻も早く助けなければ。苦痛に喘ぐ配信視聴者たちを。無辜の民を。


 それが私の役目。

 人々の役に立たねば、ハイデッガー領へ来た意味が――ユリアン辺境伯に嫁いだ意味がない。


「目的が変わっても行く先は同じよ、シノ。ホンザ様を討伐するわ……!」

「救出でも討伐でもどっちでもいいっす! ホンザ殿に恩、売りつけるっすよ〜!」

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