第18話 新たなる勘違い

 書斎で見つけた私の写真について、何も分からないまま数日が過ぎた。

 今日は朝から曇り空。雨が降り出すのか否か、どっちつかずの天気だ。


 迷宮探索準備を進めながらシノがポツリと呟いた。


「……地下一階の雑魚魔物にも飽きたっすねえ」


 ふむ。モチベーションの低下は懸念材料だわ。


「シノ、今日は地下二階を見て回りましょうか。この前出現したスライム上位種、地下二階から這い出た可能性もあるものね」


 うっしゃー、と叫びながらシノが飛び跳ねた。


 城外に出るべく廊下を歩く。執務室の前を通り過ぎる。

 無意識の内に――木刀を、執務室扉から見えないよう自身の身体で隠していた。


 外をほっつき歩いて、迷宮探索にまで向かっていること。

 ユリアン辺境伯には伝えられていないままだ。すっかり機を逸してしまった。


 けれど――今更ユリアン辺境伯も私の迷宮探索を咎めたりはしないはず。

 私が旦那様に嫁いだ理由。仔細は不明ながら、ひとつだけ分かっていることがある。

 

 ユリアン辺境伯にとって、私との婚姻には何か利益があるのだ。

 私は旦那様のお役に立つため彼の妻となった。


 迷宮探索による魔物討伐はハイデッガー領の利益となるのだから。

 私に益を求めているユリアン辺境伯が、迷宮探索を止める道理はないはずだわ。


 *


『浮かない顔だな、リリアナ』


 映像記録コウモリに冒険者マーカーを挿し、ふう、と一息ついたところ。

 いきなりコメントの御方が発言されたので驚いて肩を浮かせてしまった。


「ごきげんよう、コメントの御方。お見苦しい姿をすみません」

『……悩み事か?』


 悩み事というか――考え事が多すぎて参っているのよね。

 王位継承の珠についてはエミール様にお任せで解決扱いとしても。

 ホンザ様やらティエリ王子やら、ユリアン辺境伯の謀反疑惑やら何やら。懸念事項が多過ぎるわ。


 地下二階への抜け道階段を降りながら、コメントの御方へ返信する。


「お心遣い痛み入りますわ。けれど優先すべきは魔物駆除ですから」

『俺が言えた立場でもないのだが、……嫌悪感から来るストレスに悩まされているんだろう。つらければ少し休め』


 嫌悪感?

 ホンザ様は独特な方だけれど、嫌悪というほどでは(シノは嫌っているけれど)。


『不快だろう。夫が……大昔からの、……ストーカー紛い、だったなんて』

「ストーカー? 何の話ですか?」

『ん?』


 ……??


「辺境伯殿、ストーカーなんすか?」

『い、いや違うぞ!? リリアナからはそう見えたのでは、と』


 旦那様がストーカー……?

 私の写真が書斎に在ったのは、旦那様がストーカーだからじゃないか、ってこと?


 そうだとして、何故コメントの御方が写真の話を知っているのだろう。

 ……旦那様から直接お聞きした?

 あの、必要なことすら何も言わない旦那様が……?


 じわり、違和感を無視してコメントの御方へ問いかける。


「コメントの御方、何かお聞きしているのですか? 例の写真について」

「写真? ってなんすか」

「旦那様の書斎から、私の写真を見つけたのよ。私が幼い頃のものだったの」

「えーっ! 言い逃れ不可避でストーカーじゃないっすか!」

『違っ……』


 ゴホン、とコメントの御方が気まずそうに咳払いをされた。


『……悩み事とは、写真の件ではなかったのか?』

「不思議には思いましたが、思い悩むようなことでもありませんし」

『そうか……』


 コメントの御方の安堵の息が、映像記録コウモリを通じ聞こえてくる。


「や、なんで『良かった~』って雰囲気になってんすか? 辺境伯殿のストーカー疑惑は晴れてないっすよ」

『そっ……それはだな! えー、……』


 シノがジトっとした目で映像記録コウモリを凝視する。


『あー、その、なんだ。写真の件は……あれだが、その……』


 コメントの御方が歯切れ悪く言い淀む。

 しかし数秒後、息を吸い込む音を合図としたように、コメントの御方が勢いよく喋り始めた。


『――お前の夫も、あれだ! あいつなりにリリアナと親睦を深めたいと思っているようだから!』


 努めて明るく振舞おうとされたのだろう、コメントの御方の声が上ずっている。

 ……そ、そんなにも深刻に思われているのだろうか。私の結婚生活について。


『写真の件も……親睦を深める一環なのだろう……?』


 しどろもどろ、発言されたコメントの御方を睨むようにシノが不服そうな声を出した。

 

「そーいうことやっちゃうんすか? シノ知らないっすよ、どーなっても」

『いやっ、だがこれが一番……あ、おい!』


 非難の意を言い残したシノが、制止も聞かず走り出した。

 階段を駆け下りた先にはスライムが数体。

 地下二階と言えど、入口付近は雑魚ばかりね。シノに任せましょう。


「ふふ、ありがとうございます、コメントの御方。色々と気にしてくださって」

『あ、ああ……。……お前の夫も気にしていたぞ。リリアナのことを』

「旦那様が私を?」

『リリアナはどうにも、自己犠牲的だから心配、だと……』


 自己犠牲的?

 全く自覚のない言葉を掛けられ戸惑う。


『視察先の農民を、身を挺し守ろうとしていただろう。子どもを守るため囮になったこともあるし』

「か弱きものを守るのは、身体を鍛えている私の役目ですわ」

『ではリリアナのことは誰が守るんだ』

「必要ありませんわ。鍛えておりますもの」

『それで誰かを庇いリリアナが傷つくのでは、……俺が嫌なんだ』


 ――胸がきゅうっと締め付けられるように痛んだ。

 分かっている。コメントの御方はお優しいから、私を気遣ってくださるだけなのだと。


 分かっているのに、……優しくされると、嬉しくなる。だから心が痛む。


『あっ、いや、俺というか、お前の夫がだな』

「ふふ、ありがとうございます。今後はご心配をおかけしないよう努めますわ」

『……頼りにならないか? 俺……じゃない、お前の夫では』


 胸の痛みをやり過ごして応えれば、その様子が痛々しく見えたのだろうか。

 コメントの御方が心配そうな声色になる。

 ――そんなに、憂慮しなくても大丈夫なのに。とことんお優しい方ね。


「まさか、旦那様はお強い能力者ですし。実際に助けて頂いておりますしね」


 そういえば――視察先で旦那様に庇われた件について、ちゃんとしたお礼をしていないわ。

 立て込んでいてすっかり忘れていた。礼を欠いては良くない。


「ご相談させてください、コメントの御方。旦那様が好いていらっしゃるもの、ご存じですか?」

『すっ……好きな者!?』


 コメントの御方の声がひっくり返った。大丈夫かしら。


「はい。旦那様にお礼をと。視察先で助けて頂いたので」

『……そ、そういうことか。そうか……』


 コメントの御方がふう、と人心地でもついたかのように息を吐かれた。


『敢えて言えば冷菓か。猫舌だからな』


 城で出るスープがいつも冷製なのは、旦那様に配慮しての献立だったのか。


『……しかしリリアナ。お前の夫は、リリアナから貰えるものであればなんでも喜ぶと思う』

「そうですか? 何を渡しても喜んでいただける図が思い浮かびませんわ」

『いや、喜ぶ。表情に出ないだけで……』

 

 そうなのかしら? 意外とそうなのかも。

 喜ぶ――まではいかなくとも、旦那様は私を迷惑には思っていないのかもしれない。


 そうでなければ、スライム上位種に攻撃された私を助けたりしないわよね。

 ……旦那様には私が大岩を持ち上げる姿も見られてしまっているし。

 身体を鍛えた怪力嫁なんて、庇う必要もないと思うわよね……私を迷惑に思っているなら……。


「ありがとうございます、コメントの御方。心強いお言葉です」

『ああ。その、……お前の夫と、仲良く……とまではいかなくとも、悪くは思わないでやってくれ』

「分かりましたわ。打ち解けられるよう頑張ってみます」

『助かる。恋文の件も誤解だったようだし』


 ――うん? 濃い部位?


『恋い慕う相手がいないならば、お……辺境伯の夫という立場も、許容してくれれば』


 えっ、恋い慕う!? 部位の話ではなかった!?


「えっ……と、何故急に私の、こ、恋い慕う方の話に……」

『ある伝手から話を聞いてな』

「……?」


 困惑で何を発言すべきか迷っていると、コメントの御方も私の混乱を察したのか『あ、いや……』と発されたきり、黙ってしまわれた。

 沈黙が場を流れる。……変な空気になってしまった。


 適当に相槌を打っておけばよかったわ。

 人妻でありながら別の男に恋い焦がれて辛い状態なのではと、コメントの御方は案じてくれていたのだから。

 私に恋慕する相手などいないと勘違いしてくれたのなら、肯定すべきだった。


 しくじったわ、そう思いつつ階段を降り続け、地下二階フロアへ足を踏み入れた瞬間。


『――もしや』

『リリアナが恋い慕っているのは』

『エミールではなかったのか……?』


 ――何故、エミール様の話題に?


「リリアナお嬢様! この大量の足跡、多分オークっす!」

「足跡? 群れの痕跡かしら」

 

 オーク。冒険初心者なら苦戦必須、中級者でも警戒が必要な魔物。

 基本的に魔物は地下を目指すものだけれど、ハイデッガー領・第一迷宮の魔物は異例の行動を起こす魔物も多い。地上への抜け道階段近くにオークの群れがいるならば、討伐し地上への脅威を減らしておくべきね。


 シノと共に足跡の先を追いかける。

 ――そうしていたらすっかり忘れてしまっていた。コメントの御方が、エミール様の話題を出されたことを。



「うらっしゃー! 観念するっすよ、絶滅寸前オーク!」


 シノの手裏剣により足止めされたオークの後頭部めがけ飛び跳ね、木刀で思いっきり叩く。

 後ろからの打撃に耐え兼ねたようにオークが前のめりに倒れ息絶えた。


 オークを追って、地下二階の最奥まで来てしまったらしい。最後のオークが倒れた床の近くには地下三階への下り階段があった。

 下を覗く。……階段の先は、またもや埋まっていた。

 次の探索時までに地面を掘る道具を探しましょうか。


 いつの間にやら、映像記録コウモリはすっかり無口になっていた。

 視聴人数は変わらず一人。コメントの御方が配信画面を付けたまま離席されたのだろう。


「そろそろお昼時ね。シノ、一旦帰りましょう」

「うっす! よく暴れたっす! スッキリしたっすよ~」


 先程は何故エミール様の話題になったのか、聞きそびれてしまった。今更気付いても遅いわね。

 後ろ髪を引かれつつも地上へ戻る。天には曇り空が広がっていた。

 雨はまだ、降り出していないようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る