第17話 令嬢の写真
「魔物が!? 出たというのは!? 本当か!!」
遠くからホンザ様が駆けて来られた。
随分と離れた場所まで視察に行かれていたようだ。
「もう退治したっすよ、ホンザ殿」
「む! それは喜ばしい限りだ、が……!」
ホンザ様がキョロキョロと辺りを見回す。
スライムの残骸を集め積んだヘドロの小山を見つけると、顎に手を添えながらジッと凝視。
「……スライムの上位種が出現したのか!?」
ヘドロ山に眼球や内臓器官の残骸を見つけたのだろう、ホンザ様が驚いたように叫ばれた。
「ええ、旦那様のおかげで苦なく倒せました」
「一体どこから……まさか迷宮から這い出てきたのか!? ハイデッガー領の迷宮は非活性であったはずだが!」
「ここ最近、魔物の動きが活発化しているようなのです」
ホンザ様の顔付きが険しくなっていく。
「異常事態ではないか!」
「仰る通りですわ、ホンザ様。私とシノで迷宮へ赴き、地下二階への階段が塞がれていたことを確認済です」
「……? キミたちは無能力者だろう!? ユリアン辺境伯も同行したのではないか!?」
目を見開いたホンザ様が私とシノを交互に見る。
私たちが無能力だなんて、何を今更。
「身体を鍛えておりますから。それでですね、地下二階への経路は床を破壊し確保いたしまして」
「ちょっと待て! 身体を鍛えた程度で魔物相手にどうにかなるわけでもないだろう!」
「はあ、雑魚魔物ならどうにでもなりますよね。一般の冒険者にだって無能力者もいらっしゃいます」
「無能力で迷宮配信しているような輩は大概バズ狙いの無謀な連中だ!!」
ええ……? ホンザ様の偏見では?
無能力シェフによる迷宮グルメ配信とかあるわよね?
「それに何だ、床を破壊……!? ユリアン辺境伯の能力は氷結だろう! 床を壊すなどできそうにないぞ!」
「旦那様は迷宮に来ておりませんわ。私が床を殴って破壊しました」
「は!?」
より一層の大声を出したホンザ様が、唖然とした様子で口を大きく広げたまま硬直した。
喋ると非常にうるさい御方だから、沈黙状態でちょうどいい塩梅ね。
「ハイデッガー領・第一迷宮については先述の通り、地下二階への経路を確保済みでして。加えて、定期的に迷宮内での魔物討伐を行っております。異常事態は沈静化しつつありますわ」
ホンザ様からは返事がなかった。
硬直は解けたものの、腕を組み何か熟考されているようであった。
領地視察が終わり帰城する道中も、ホンザ様は難しい顔で口を噤まれている。
うるさいことにかけては横に並ぶ者のいないホンザ様が、だ。異様な光景である。
ホンザ様、余計なことを考えていなければよいのだけれど。
*
ホンザ様、エミール様がハイデッガーに来訪されてから数日が経過していた。
城内に入り込む光に目を細めながら一人、廊下を歩く。
上位種スライムが視察先に現れて以降、魔物が街へ出現する頻度が高くなっている。
そのため最近は積極的に領内パトロールを行っているのだが。
城外の巡回ばかりしていたため、懸念事項が未だ宙ぶらりん状態のままとなっていた。
ユリアン辺境伯が、次期国王の座を狙い謀反を画策している――という、謎の噂。
昼食後シノが陽気な日差しに誘われ昼寝を始めた瞬間、ハッと思い立ったのだ。
今日はホンザ様が街中へ視察に行くと宣言されていた日。
迷宮の外に魔物が出たとしても、ホンザ様にお任せすることができる。
ユリアン辺境伯による謀反の証拠(が、存在しないこと)を捜査するならば、今しかない。
「とはいえ、『存在しない』ことを証明するって事実上、不可能なのよねえ……」
独り言が誰もいない廊下の空気に溶ける。
――泣き言を呟いていても始まらない。
ホンザ様、そしてティエリ王子を納得させるだけの(謀反などあり得ない)根拠を、どうにか提示しなければ。
手始めに調べるべき場所。……書斎かしらね。
机上に積まれた書類は入れ替わり立ち替わり激しく、書斎の使用頻度を物語っている。
人目を避け書き物をするにも都合が良い部屋だ。
謀反計画の痕跡があるとしたら、まず間違いなく第一候補。
コンコン、と書斎の扉を叩く。
返事はない。誰もいないとは限らない。ユリアン辺境伯はノックに返事をなさらないもの。
「失礼、いたしますわ……」
そっと書斎に入る。ユリアン辺境伯がいた場合の言い訳を考えておくべきだったと後悔しつつ、中に誰もいないことを確認し一安心。
書斎の中をぐるりと見渡す。特に不自然な箇所はなく、いつも通り雑然とした部屋だ。
机上へ視線を向け、乱雑に置かれている本の題名や書類の内容に目を通す。
北方国への留学に関する書類や、寒冷地農業に関する知見のまとまった書籍。――数日前、農民の方にお聞きした話ね。
領を統治するために必要な、税金や裁判などの手続き関連資料。
ハイデッガー領・第一迷宮に関する過去の記録。
まるでユリアン辺境伯の直近の興味関心事を集約したかのようなラインナップ。
本人の発言よりも、よっぽど雄弁だ。
「……あら、これ、マディが好きな小説……」
ふと視界に入った書棚の一角には、『ミントと幽霊』シリーズが第一巻から最新刊までズラリと並んでいた。
一冊手に取る。背表紙はすっかり日に焼け、表紙をめくれば帯が折られ挟まっていた。
以前マディから聞いた話と、様相が異なっているわね……?
帯まで素敵な作品ですから、大切に保管していますの――確かにそう言っていた。
そもそもマディは自室に、少女小説が並ぶ立派な本棚を構えている。
これらの事実から導き出される答えは一つしかなかった。
書斎の『ミントと幽霊』一式は、ユリアン辺境伯の私物なのだろう。
「ふふっ、旦那様――可愛いところ、あるじゃない!」
妹の好きなものを知りたくて、こっそり同じものを読んでいたなんて。
……こっそり、ではなく最初から、本の面白さを妹と共有できていればね。
マディも『兄に嫌われている』なんて勘違いしなかったのでしょうけれど。
そうはできない――他者へ、愛情の気持ちを上手く伝えられずにいる。それがユリアン辺境伯なのだろう。
難儀な方だわ。
旦那様の健気な一面に微笑みを溢しつつ手に持っていた本を元の場所へ戻す。
そのまま特に意味もなく、隣に並ぶ本に手を掛けた。
本棚から書籍を引き抜いた瞬間、紙切れがこぼれ落ちヒラリ宙を舞った。栞でも挟んでいたのかしら?
拾い上げてみればその紙切れは栞というよりも、写真と同程度の大きさに思えた。
「……え?」
思考が停止する。
紙切れ――写真上にて笑顔を見せる人物には、あまりにも見覚えがあり過ぎた。
「これ……私? それも随分と幼い……」
十歳前後だろうか、写真に納まる幼い私は胸元に小さい仔猫を抱えていた。
どうして私の写真がユリアン辺境伯の書斎に?
意味が分からない。混乱と困惑が胸を襲う。
手掛りを得るべく幼い私の背後に映る風景を確認する。――小等部の裏庭だわ。
昔の記憶が揺り起こされる。虐められていた仔猫を助けた記憶。
上級生に虐められていた仔猫。助けたくて、シノと共に上級生を殴り飛ばし救出、逃走した時。
一撃離脱の銀髪令嬢、なんて妙なあだ名で呼ばれる原因となった始まりの日。
――猫を助けた場面を、誰かに見られていたのか。
狼狽しつつも改めて写真を凝視する。助けた仔猫、特徴的な柄をしていたのね。
体のほとんどが黒毛なのに、手足の先、背中の柄だけが白い。
背中の柄の形、星に似ている……。
――ユリアン辺境伯の飼い猫も、背中に星型の柄があったような。
「偶然……?」
ギィ、っと唐突に鳴り響いた音に、身体がビクリと痙攣する。
慌てて振り向けば――書斎扉から姿を見せたユリアン辺境伯が、驚愕の表情を浮かべていた。
「あ、旦那様……」
「……、……何を、している?」
旦那様の怪訝な声、そして七文字の問いを受けて気付く。
――しまった。
ユリアン辺境伯が書斎に現れた場合の言い訳を考えておくべきだった……。
頭が真っ白になり弁明が思い浮かばない。
ええい……ままよ! 勢いで話題を逸らして乗り切るわ!
「旦那様、ちょうどいいところに! この写真、旦那様はご存知ですか!?」
勢いに任せすぎて、ホンザ様並みの大声になってしまった。
ユリアン辺境伯が尻込みしている。恥ずかしいわ……。
戸惑いながらもユリアン辺境伯が私の手元を覗く。
幼い私が笑顔を見せる写真を認識したユリアン辺境伯は目を見開いて――瞬時に、顔を真っ赤に染めて。
そして徐々に、顔色が真っ青に変わっていく。
「……ッ、……!」
何も仰らないまま、ユリアン辺境伯は私の手から写真を引ったくった。
そして性急に廊下へ出て、どこかへ行ってしまった。
……結局、私の写真は何故、ユリアン辺境伯の書斎にあったのかしら。
何も分からないまま、昼下がりの書斎にひとり置いていかれ。
ユリアン辺境伯が去った扉を呆然と見つめ続けてしまった。
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