第16話 触れ合う肌と肌

 農地上空をマディがフラフラと飛びながら、小脇に抱えたカメレオンの腹をポヨンと押す。舌がニュッと出てきた。

 カメレオンの舌先が、段々と四角形に変化していく。


 厚みのない、手のひらサイズの長方形となったカメレオンの舌先がプツンと切れる。

 空よりヒラリヒラリと落ちた元・舌先を、シノが飛び上がり拾った。


「マディ殿、綺麗に撮れてるっすよ〜」


 シノが上空へ手を振る。

 マディの『撮影機器カメラカメレオン』による空撮は順調そのものだった。


 農地全体の空撮写真を覗き込みながら、視察先の農民が感嘆の声を上げる。


「こりゃ助かりますなあ。ほらここ、他の場所とちょっと違う。病気の兆候かもしれない」


 農民が指差した場所を見るべく写真に顔を近づけるも、他との違いが全く分からない。

 ――これを判別できるのは、まさにプロの技だわ。


「経験豊富な方に領地をお任せできていること、心強いですわ。私では何も分かりませんもの」

「いえいえ、我らもようやく――と言ったところですよ。ここ二十年の寒冷化に対応できるようになったのは、ごく最近のことでしてね」


 農民が目を細めながら、少し離れた場所で農地視察を行っているユリアン辺境伯へ視線を向けた。


「全て、ユリアン辺境伯のおかげなのです」

「――旦那様、ですか?」

「ええ。北方の他国に、私財で人を遣わしてね。寒冷地農業について得た知識を、農民に広げてくださった。おかげで我ら農民みな助かっておるのです」


 我が国、アランブール王国は温厚な気候の土地がほとんど。寒冷地などハイデッガー領にしか存在しない。

 当然、国内に寒冷農業の知見など無い。


 寒冷化した領地の人々を救うため、他国へ人を留学させたわけか。

 かかった費用も決して少なくはなかっただろうに。


「本当にありがたい限りです。ユリアン辺境伯、お若いのに。こんなにも我ら領民を思ってくださる」


 ……やっぱり考えられないのよね。

 こんなにも領民思いのユリアン辺境伯が――謀反だなんて。


 農民が顔を上げ、空撮を続けているマディへ向けて叫んだ。


「マディ様も、ありがとうございます! 写真、とても助かります」

「いえ、そんな! わたくし、もっと皆様のお役に立ちたいのです!」


 マディが元気はつらつに大声を返した。


 山火事事件以降、マディは少し塞ぎ込んでいるように見えた。マディなりに後悔があったのだろう。

 だからこそ視察先にて領民のために働くことで、気分が上向いているのかもしれない。


 どんな理由であれ――マディに明るい調子が戻るのならば、喜ばしいわ。

 それにきっと、領民を思う気持ちは今後のマディのためにもなる。


 そんなことを考えながら、私もシノも、農民の方もみな上空を見ていたからだろうか。

 背後に忍び寄る存在を察知できなかったのは。


「……リリアナお姉様! 後ろに、何か!」


 驚きの声を上げたマディの発言に無意識で従い、後ろを振り向く。

 不覚。こんな近くに来るまで、魔物――スライムの群れに気付かないなんて。


「ようやくシノの出番っすね~!」


 シノもまた空から視線を外し、魔物を駆除していく。

 しかし相手はスライム。手裏剣をメインの武器とするシノでは一体を倒すのにも時間がかかる。


 私も参戦したいところだけれど……農民の方を守らなければいけない。おいそれと動けないわ。


 ユリアン辺境伯は――背後の位置。様子が確認できない。こちらの状況に気付いてくれればいいけれど。

 ホンザ様はユリアン辺境伯よりも更に遠い位置にいた。悠長に待ってはいられない。


 近寄ってきたスライムをその場で踏み潰す。

 隙を突こうとしたのだろうか、複数のスライムに取り囲まれたけれど――願ったり叶ったりだわ。

 左足を軸に、右足を一回転させる。軌道上のスライムが破裂し消えた。


 シノが離れた場所のスライムを駆除しに向かった。

 近辺のスライムは全て駆除できたようだ。これなら何とかなりそうね。


 ……そう思ったのも束の間。

 私たちの目の前に――異形の生命体が姿を現した。


 スライムと同様、ぶよぶよとしたヘドロ状、不定形の身体。

 ――しかし不思議と、人型に似ている。サイズ感まで人間に近似。


 そして異形の生命体は、通常のスライムとは決定的に違う特徴を有していた。

 人間の器官を模した物体が、身体の至る所に付着している。

 最も特徴的な付着物は……剥き出しの、眼球。


「な、なんっすかアレ! グロ画像が動いてるっす!」

「じょ、上位種スライム……わたくし、『ミントと幽霊』の挿絵で見たことがあります!」

 

 マディの叫ぶ声が震えている。

 それでも自分の知識を伝えようと懸命に声を出してくれていた。


「脳を得てスライムよりも知能が進化していて……でも、スライムと同じように核――脳を壊せば、倒せるはずです……!」


 シノが上位種スライムに手裏剣を投げつける。

 しかし手裏剣は身体の中へ、埋まるように飲みこまれてしまった。


 見た目からでは脳の位置が分からない以上、全体を一度に破壊するしかない。

 けれどそれは一点突破型の武器を扱うシノには荷が重い。


 私なら何とかできるはず。走り出そうとする、ものの。

 いつの間にか、足元に雑魚スライムの群れが忍び寄っていた。

 ……こんなに近付かれるまで気付かないなんて、どういうこと?


「リリアナお姉様! 上位種スライムの中にはで仲間を隠蔽する個体もいると、『ミントと幽霊』に書いてありましたわ!」


 雑魚スライムを一匹ずつ潰していたところ、上空からマディの声が届く。

 隠蔽能力。厄介ね。視認不可のスライムが近くにまだいる可能性もある。


 農民の方を守るためにも、まだこの場を離れられない。

 シノを呼び戻して防衛を任せ、私が上位種スライムを倒す。これしかないわね。


「シノ! こちらへ――」


 呼びかけとほぼ同時に。

 上位種スライムの手? に類した器官から、私と農民へ向け何かが放出された。

 身体の一部を飛ばし攻撃してきたのかしら。


 避けるだけなら簡単だけれど、私が避けたら農民の方に被害が出てしまう。

 咄嗟に防御姿勢を取ろうとした、その瞬間。


「――リリアナ!」


 身体に衝撃が襲い、倒れ込む。

 地面と衝突したはずなのに想定された痛みが身体を蝕んでいない。むしろ柔らかな感触に包まれていた。


 私を覆っている温柔な体温が、みるみるうちに冷え切っていく。


 ……ええと、この状況は。

 ユリアン辺境伯に――抱きつかれ、押し倒されている。


 もしかして。旦那様、私を庇い守ってくれたのかしら……。


 周囲に視線を向ければ、氷の壁が我々、そして農民の盾となるようにそり立っていた。

 ユリアン辺境伯が能力を使って農民の方も守ってくださったのね。……よかった。


「ありがとうございます、旦那様」

「――ッ、……を……、気遣ってくれ……!」


 ……? 気遣う? 何を……?

 たった八文字の言葉からすら、ユリアン辺境伯の真意を読み取ることができず戸惑う。


「旦那様、それはどういう意味で……」


 困惑のまま旦那様を見上げれば――鼻と鼻が今にもぶつかりそうな、超・至近距離。


 目が合ったユリアン辺境伯がハッとしたように一瞬、身体をこわばらせた。

 ――視界いっぱいにうつる顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。

 そして凄まじい勢いで仰け反るように飛び起き、私の上から退いた。


「……、……」


 ぱくぱく、と旦那様が何度か口を開き閉じる。

 しかし結局言葉にすることを諦めたのか、私が身体を起こす頃には無言で地面を凝視されていた。


「うっしゃーっ! 辺境伯殿もたまにゃ〜やるっすねえ!」


 威勢よく叫ぶシノの声が聞こえ振り返る。見れば、上位種スライムの全身が氷結していた。


 ――なるほど、全て凍らせてしまえば。

 氷漬けとなった上位種スライムを砕いてバラバラにすれば、お終いだ。


 農地に現れた魔物を全て駆除できたこと、空からマディが大声で伝えてくれた。

 応えるようにユリアン辺境伯の生み出した氷が全て水へ還っていく。


 地上へ降り立ったマディが、キラキラとした瞳で駆け寄ってきた。鼻息荒く私の手を取り握る。


「……リリアナお姉様! わたくし! なんだかドキドキしてしまって……お姉様はどうでしたか!?」

「身の危険を感じさせてしまったのね……ごめんなさい、マディ。魔物の情報、助かったわ」

「そうではなく……そうではなくて!」


 マディがブンブンと首を横に振る。


「だってあんな……乙女の憧れではないですか! 殿方に押し倒されて、守っていただくなんて……!」


 きゃあ、と歓喜の悲鳴を上げたマディが私の手を離してピョンピョン飛び跳ねた。


 殿方に押し倒され――ああ、ユリアン辺境伯に庇っていただいた話ね。


 シチュエーションだけ見れば、少女小説趣味のマディが好むような状況だったかもしれない。

 けれど、演じたのが私とユリアン辺境伯では、ね……。


「えーと……マディ、以前も言ったけれど、私たちそういう関係じゃないのよ」

「でも……! リリアナお姉様、押し伏せられてお兄様のことを意識したりとかされませんでしたか!? 妹のわたくしが言うのも何ですがお兄様、とてもヒーローらしい行動をしていたではありませんか! 守られたことを機にお兄様に対する好意が生まれたりとか、今まで何とも思っていなかったはずなのに妙に気になるとか……きゃあ! 素敵な展開だわ!」


 マディ、早口になっているわ……。

 以前も思ったけれど、夢中になると早口になってしまうタイプなのかもしれない。


 妹から妄想の対象とされているユリアン辺境伯をチラッと見れば、こちらに背を向けて気まずそうに佇んでいた。居心地が悪くなるのも無理ないわ。


 マディに言われたからではないけれど――旦那様に、抱きとめられ庇われた時のことを思い出す。

 旦那様、見た目よりもがっしりとした体格をしていた。意外と肩幅が広いことに驚いたわ。


 普段から鍛えているし、華奢な身体をしているつもりなど一切ないのに。

 ……旦那様の身体に、少しの隙間もはみ出すことなく、全身をすっぽり覆い包まれてしまった。


 少しだけ触れたユリアン辺境伯の肌はしっとりとしていて。

 手と手の肌と肌を撫で合わせた瞬間はどうにも――。


「あれ? これ、拾い損ねてたっすかね?」


 唐突に声を上げたシノにハッとし、思考が一時停止する。

 俯いたシノの視線を辿ると、その先には紙のようなものが落ちていた。


「……シノ様! それ、わたくしが撮った写真ですわ! 慌てて撮ったものだから、どこへいってしまったのかと……!」


 シノが拾い上げた写真をマディが受け取り、感極まったように胸元に押し当てた。


「見てください、リリアナお姉様……。自カプ、推せますわ……」


 マディに見せられた写真には――ユリアン辺境伯に庇われ、押し倒された瞬間が写っていた。


 ……こうして見ると、流石に気恥ずかしい。

 私の身体すべてをユリアン辺境伯がぴったりと覆い尽くしてしまっている。

 肉体が感じていた情景の正しさを客観的に突き付けられ、むずむずと落ち着かない気持ちが抑えられない。


「ユリリリ? いえ、ユリリア……?」

「マディ、それは何の呪文?」


 瞳を輝かせ空想に耽るマディからは、明確な応答は返ってこなかった。

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