第13話 令嬢が恋い慕う相手

 朝日が眩しい。今日も今日とて冒険服を着込みシノを連れ城下町へ繰り出す。


 ユリアン辺境伯は未だ山火事の後始末で忙しそうではあるけれど。

 配下の一部を森林整備専属班として任命したと聞いているから、少しは肩の荷が下りただろうか。


 マディが山火事を起こした件は、迷宮に喰われた状態のマディと直接対峙した人間――つまり私、シノ、ユリアン辺境伯(それとコメントの御方)以外には伏せられることとなった。

 公的には原因不明の山火事扱いになる、とのことだ。


 山火事を起こした時のマディは、迷宮に操られ心神喪失状態にあった。

 それが領内で裁判権を持つユリアン辺境伯の判断、と言うことだろう。私も異論はない。


「山、随分と禿げちまったなあ」

「まあ、俺らが火ダルマの禿げ頭にならず済んでよかったよ」


 街中は山火事の件で持ち切りだ。けれども人々の間に悲壮感はほとんどない。

 ユリアン辺境伯が領民を守ってくださった――安堵の雰囲気が、山火事の脅威を上回ったようだ。


 つい先日も訪れた肉屋へ、再び足を踏み入れる。


「ごきげんよう。良い食材の仕入れはありますか?」

「おう、いらっしゃい。今日は新鮮な馬肉が入ったよ」


 ――馬肉! それは最高だわ。

 高タンパク質、かつ低カロリーで栄養豊富。

 栄養摂取の効率という点から見れば鶏肉に勝るとも劣らない。


「やった~! 馬刺しがあればシノ、お水何杯でもイケるっす!」

「銀貨を多めに持ってきた甲斐があったわね……!」


 ……っと、興奮ばかりしている場合ではない。

 馬肉は当然購入するけれど、しかし本日の訪問理由はそれだけではないのよ。

 我を失いすぎると、もう一つの目的を忘れてしまうわ。いけない、いけない。

 先に用事を済ませてしまいましょう。


「店主、馬肉はたんまり購入させて頂きますわ。それともうひとつ、お願いが」

「なんだい、仕入れ希望の商品でも?」

「いえ、本日は……肉屋郵便を利用させて頂きたくて」


 肉屋郵便。

 新鮮さが必須となる肉類を取引する肉屋は、必然的に機能性の高い移動手段を確保している。

 その機動性を利用し、信書の運搬を副業としている肉屋や肉類仲介業者も多い。


「おう、うちは腕のいい仲介業者と取引しててね。国内どこでも運べるよ」

「ありがとうございます、助かりますわ。こちらを頼みたいのですけれど」


 宛先を見た肉屋店主の顔色が変わる。

 ――無理もない。宛名は国内の人間、誰もが知る人物。

 エミール・ドゥ・ラ・トゥール・アランブール。王位継承権、第二位を持つ御方なのだもの。


「……お姉さん、あんた、エミール様と知り合いなんかい……?」


 肉屋店主が封筒をひっくり返す。

 封蝋に使われた印がハイデッガー家のものであることを確認し、肉屋店主が何度もまばたきをした。


 そうだわ。ハイデッガー印を利用させてもらおうかしら。

 少しだけ嘘を吐く形になってしまうけれど。


「ええと、この手紙はですね。ユリアン辺境伯から極秘のお使いなのです」

「っははあ、なるほど。辺境伯、こっそりあんたみたいな腕利きの冒険者を雇ってた、ってわけかい」


 肉屋店主が納得したと言わんばかりに頷いた。

 ……旦那様、ごめんなさい。勝手にお名前、使わせていただきましたわ。


「ややあ、ユリアン様の仕事ぶりには頭が下がるなあ。昨日も街を守ってくださったし」

「ふふ、ありがとうございます」


 思わずお礼を言ってしまった。ただの雇われ冒険者(建前)が主人の仕事を褒められ謝意を示すのもおかしな話だったかしら。

 けれども肉屋店主はそう気にしていないようで、手紙を軽く掲げ笑った。


「これはユリアン様への敬意をもって、急ぎで届けさせるよ」

「ありがとうございます。この件はくれぐれもご内密に」

「勿論、心配しないでくれ。信頼の置ける業者だ」


 大量の馬肉を買い込み肉屋を後にする。

 後はエミール様からの返事を待つばかりだ。


「シノ、一旦帰ってトレーニングしましょうか」

「ういっす~。体動かすと益々馬刺しが美味いっすよ~」


 トレーニング後にたっぷりタンパク質を摂取。

 最高の過ごし方だわ。


 *


 昼下がりに再び城を出て、今度は迷宮の入口へ。

 地下一階への階段を降りる途中で捕まえた映像記録コウモリに、冒険者マーカーを挿す。


『……やはり、また迷宮へ潜るのか。リリアナ』


 早くもコメントの御方が声を掛けてくださる。

 

 もしかしてコメントの御方、私の配信アカウント(冒険者マーカーと連動)をチャンネル登録してくださっている?

 チャンネル登録した冒険者が配信を始めると、映像投影ネコがニャンと鳴いて通知するのだ。コメントの素早さを考えると可能性は高い。


「ご視聴ありがとうございます、コメントの御方」

「暇なんすか?」


 シノが冷ややかな視線を映像記録コウモリへ向けた。


「シノ、駄目よそんな言い草。……ええとですね、コメントの御方。まだ街へ魔物が溢れ出る可能性がある以上、迷宮内の探索・魔物の討伐は必要であると。そう考えますわ」


 マディ――地下一階の階層ボスを討伐したことにより開放された地下二階も気になるけれど。

 脅威の除去を優先。街へ一番近い階層、地下一階が今日の目的地。


『そうか。俺が何を言っても、お前を引き留めることはできない。そういうことだな……』


 コメントの御方の声色が沈んでいる、ように聞こえる。

 映像記録コウモリ越しの音声だから確かなことは言えないのだけれど。


『――心の内だけでなく、表出する行動まで。何一つとして、お前を縛ることができないなんてな』

「? 私、なにか縛られるようなこと、しておりますかしら」


 一瞬だけ、コメントの御方がためらわれたかのような間が存在した、その後。


『……リリアナ。お前、……恋い慕っている相手がいるんじゃないか?』


 ……。

 こいしたう。――恋い慕う!?


 それって、私には惚れている相手がいるんじゃないかと――そういうこと!?


 予想外の質問に戸惑う。

 恋い慕う、なんて、そんな。そんな相手。

 だって旦那様との結婚は形だけなのよ。恋い慕うとか、そんな関係じゃない。


 恋い慕う相手。そんなの、いるとしたって。

 ……コメントの御方、くらいしか……。


「えっ、マジっすか? 自惚れ過ぎじゃないっすか?」

「ちょ、シノ!」


 顔に血が集まる。あ、熱い!


「あの、コメントの御方。違いますからね!」

『分かっている。シノ、そういう意味ではない』


 冷静なコメントの御方の発言に、一瞬で冷えたような心地になる。


 ……当然の反応だわ。

 配信越しでしか面識のない方に懸想だなんて。しかも人妻が、夫以外の人間に恋慕なんて!

 コメントの御方がそんなことを考えているわけがないもの。


「……ええ、そうなのです。そうなのですよ、コメントの御方。分かっていただいていて、何よりです」

『いや……』


 ギクシャクとした雰囲気。私のせい、よね。

 過剰反応し過ぎちゃったかも。


 空気を変えたくて歩き出す。

 迷宮内部は変わらず魔物の気配に満ちている。

 けれど少しだけ足跡が減ったような気がするのは、一部の魔物が地下二階へ降りたからだろうか。


『……やはり、辛いか。他に恋慕する相手がいるにも関わらず、特に好きでもない人間の妻になるなど……』


 コメントの御方の声色が気落ちしたように曇っている。

 変に気を遣わせたくなくて、明るく振舞うべく励む。


「相手への気持ちが無いなんてお互い様――むしろ旦那様の方が、私の存在を嫌がっているはずですわ。不要な人間を妻にしているんですもの」

『! い、いやきっとリリアナの旦那はリリアナを好、いや悪く思っていない、と……そのはずだ!』


 相変わらず、コメントの御方は旦那様から良く思われていない私を気遣ってくださる。

 それはコメントの御方が優しいから。それ以上でもそれ以下でもない。

 役立たずの人妻から好かれたって面倒で迷惑なだけだもの。


「……? 意味不明な状況っすね。なーんか変な勘違い、してそうっすけど……」


 シノが首をひねりつつ手裏剣を背後へ投げる。

 手裏剣により、足を床に縫い付けられたゴブリンを叩き潰して退治する。


「うーん、見たことある雑魚ばっか。デジャヴ強くてテンション上がんないっす」

「強い魔物たちが地下一階を去った証拠かしらね。悪くない傾向だわ」


 未踏だったフロアを含め地下一階をしらみ潰しに探索し、遭遇する雑魚魔物たちを一掃。

 これを繰り返せばいずれ魔物の数も減り、街へ溢れ出すことも無くなるはずだ。


 午前中、城下町ですれ違った人々の面様を思い出す。

 魔物の被害に怯える毎日だっただろう。しかし今日だけは。

 山火事を抑えたユリアン辺境伯の活躍により、明るさを取り戻していた。


 迷宮を探索し魔物の数を減らせば、人々の快活とした表情を守ることができる。

 皆の役に立つことができるのだ。


 ――だから、迷宮に潜る。


『相変わらずの強さだな、リリアナ……』

「お褒めに預かり光栄ですわ」

『……それでも、無理だけはしないでくれ。俺なんかに言われたくも、ないかもしれないが』

「そんなことありませんわ! 私、……」


 ……いけない、いけない。

 歓喜を抱きかけた心をそっと封じ込める。


 コメントの御方に会うためでなく、皆の役に立つために迷宮に潜るのだ。

 私は人妻なのだから。コメントの御方だって、私のような人間から好かれたくなどないのだから。


 勘違いしてはいけない。

 自分に言い聞かせながら、スライムの群れを一匹ずつプチプチと潰していった。


 *


 肉屋郵便に手紙を渡してから何日か経った頃。

 エミール様によるハイデッガー訪問日程が決まったと通達された。


 予想よりも早い。私の手紙が届く前から準備をしていたようなスピード感。

 ――今の状況を見越していた? まさかね……。


 しかしエミール様来訪という吉報は、同時にとんでもない凶報を運んできた。


 もう一人、王都からハイデッガー領へ調査官が派遣されてくるらしい。

 調査内容は山火事の原因究明。というだけでも憂鬱だが(犯人を深堀されても困る)。

 それ以上に悲観すべき理由は――調査員の人選、だ。


 山火事調査員として派遣される人物。

 名はホンザ・ヘンズル。


 有力な宮中伯を父親に持ち、将来はその跡を継ぐだろうと目されており。

 将来性を買われ、幼い頃から王子直属の部下として仕えている人物なのだ。


 つまり……ティエリ王子、腹心中の腹心。


 参ったな。私の居場所をティエリ王子に悟られたくない、というのもあるし。

 今はそれに加え、紅い玉――王位継承の珠(かもしれないもの)の存在もある。


 この難所、どうにかやり過ごさないと。そう思うほど憂鬱な感情は膨れ上がっていく。

 

「……気晴らしに、重いものでも持ちあげてスッキリしようかしら……」


 近くの山からあらかじめ運んでおいた巨大な岩を、城の裏庭でこっそり持ち上げる。

 ……ふう。トレーニングで身体を酷使すると、雑念が消えて気持ちが晴れるわ。


「……ッ!?」

「あ、旦那様……」


 偶然にも裏庭に足を運ばれたユリアン辺境伯が、岩を持ち上げる私の姿を見るや否や驚愕の表情と共に絶句。(いや、何も話されないのはいつもの事ね)

 数秒間の硬直後、転回され帰っていった。


 ……怯えさせてしまったかしら。

 ご自身の嫁に怯える旦那様というのも、なんだか不憫だわ……。

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