第10話 地下一階、攻略完了

「さあマディ、帰りましょう。大丈夫。マディは私と違って旦那様から、ちゃんと大切にされているわ」

「……? あの、どういうことです……?」


 困惑気味にマディが映像記録コウモリへ話し掛けた。


 マディも理解したのね。コメントの御方がハイデッガー領の統治関係者――ユリアン辺境伯と近しい人物であると。

 だから確認を取っているんだわ。ユリアン辺境伯の真意について。


「コメントの御方からも伝えてあげてください。ユリアン辺境伯は、ちゃあんと妹であるマディを大切にしておられますよ、と」

「……悪い冗談、ではないのですよね……?」


 マディ、酷く動揺しているわ。深刻な猜疑心にさいなまれてしまっている。

 仕方ないかしら。ユリアン辺境伯がマディの腕を振り払う様子は私も見ていた。

 あれだけ強く拒絶されたら、愛されていると言われても信用しにくいわよね。


 でも、ユリアン辺境伯は妹マディのことを本当に心配している。

 そのことはしっかりマディに伝えないと。


「マディ、安心して。自分で言うのもなんだけれど私、ユーモアには欠けるタイプよ。ずーっと本気で喋っているわ!」

『……そういうことだ、マディ』

「まさか――リリアナ様を騙していらっしゃるのですか!?」


 マディが映像記録コウモリへ向けて叫ぶように問いかけた。

 心底、疑心暗鬼になってしまっているのね……。


『違う……リリアナには何を言おうと、どれだけ状況証拠があろうと、本当に気付かないんだ……!』

「……マディ殿……、疑う気持ちは分かるっす……」


 シノが重力に逆らいゆったりと、上半身だけを起こした。


「シノ! もう大丈夫なの?」

「少し前から意識は戻ってたっすよ。ようやく起き上がれたっす」

「よかった……心配したわ……!」


 シノの元へ駆け寄る。出血は止まったようだ。一安心ね。

 撫で撫でを要求するポーズに応えて顎の下をさすると、シノが嬉しそうにゴロニャンした。


「つーか、コメントの人が言わないのが悪いんすよ。シノとかマディ殿が言ったら個人特定になっちゃうっす」

『……疎まれている発言を前に、言い出せるわけがないだろう……!』


 シノとコメントの御方の会話、ひとつも意味が分からないわ。

 コメントの御方が何を言うのかしら?


 ――そうだ、まだコメントの御方からお聞きできていないではないか。

 ユリアン辺境伯は妹マディを大切にしている、と。


「コメントの御方、あなたもご存知ですよね? ユリアン辺境伯が、マディを大切にされていること」

『……まあ、そうだな……』

「また誤魔化してるっす」


 シノがジト目で映像記録コウモリを見つめる。

 誤魔化す? よく分からないけれど、まあいいか。


「ね、マディ。私……見ていたのよ。旦那様はあなたを振り払ったあと、とっても後悔していた」

「……お兄様が……」

「城に帰りましょう、そして旦那様とお話ししましょう。あなたたち兄妹には会話が必要だわ」


 ユリアン辺境伯がマディの腕を振り払った理由。

 それは――幼い頃、妹マディを傷付けたトラウマによるもの。


 教えてくれた初老の執事は「マディには内密に」と仰っていた。

 約束を違えるわけにはいかない。私からは話せないわ。


 けれどユリアン辺境伯ご本人からマディへ話す分には、問題ないはずよ。


「大丈夫、私も同席して――旦那様に圧を掛けるわ!」

『っ……!』


 コメントの御方が取り乱した声を出された。

 ……きょ、脅迫という手段を用いるタイプの人間なのだと勘違いされたかしら。

 普段はそんな事しない……のだけれど……!


「あの……リリアナ様。おひとつ、お聞きしてもよろしいですか?」


 おずおず、とマディが話を切り出す。


「いいわよ、何でも聞いてちょうだい」

「リリアナ様は、何故お兄様から疎まれていると……?」


 ――何でもとは言ったけれど、やはりその話題は少し気恥ずかしいわね。

 居心地の悪さを覚えつつ、口元に照れ笑いを浮かべながらマディの質問に答える。


「私ね、旦那様から『必要ない』と言われているのよ」

『だからそれは堅苦しい挨拶の話で』

「それに先ほど、城を出る前にもね。主寝室のドアを壊したり、凄んでみたりしちゃったの。絶対に不興を買っているわ」

『……それは……』


 映像記録コウモリは何も発音していないが、コメントの御方が絶句していることだけは分かる。

 ……本当に恥ずかしい話だったわ。言わなくていいことまで言ってしまったかも。


「リリアナ様でも、そんな風にお思いになっているのですね……」


 納得したのだろうか、マディが胸の前で強く握り締めていた手のひらを、ふっと緩め開いた。


 ふと、マディの腕に残る凍傷の痕が目に入る。

 ユリアン辺境伯はこの痕をとても気にされているようだけれど。


 きっとマディ本人は、何とも思っていないんだわ。

 だから理想の姿――アンリエッタになったにも関わらず、凍傷の痕を消すことも隠すこともしていないのだろう。


「ね、マディ。……あなた、腕の痕のこと。気にしている?」

「? ……あ、そういえばありましたね、火傷の痕なんて。言われないと思い出さないものですね」

『……!』


 やっぱりね。確認するまでもなかったかも。


「それなら――大丈夫よ。簡単に仲直りできるわ。城へ帰りましょうか……いや、その前に地下二階へ行くんだったわね」


 まだ階層ボス、マディ攻略は終わっていない。階下へ足を踏み入れてようやくクリアだ。


「ひとまず下り階段フロアまで行きましょう。さあ、マディ」


 マディへ差し出した手は、今回こそマディに受け入れてもらえた。


 ためらいがちに私の手を握ったマディの指先は細かく震えている。

 ギュッと握り返す。マディの手が少しだけ驚き跳ねたが、すぐに力が抜けて私の掌を受け止めた。


「リリアナ、お姉様……」


 マディがぽつりと、か細い声をひねり出した。

 

「なあに? マディ」

「もしも……もしもお兄様がわたくしを嫌いだったら、その時は……わたくしの味方になってくれますか?」


 ……なんて可愛らしいお願いだろうか。思わず頬が緩む。


「私はマディの味方よ。もし旦那様がマディを嫌いなんて言おうものなら、思いっきり殴り飛ばすわ!」

『リ、リリアナ!?』

「ちゃんと、本気で・・・お兄様のことを殴ってくださいますか?」

「勿論! ふふっ、私が気合いを入れて殴れば旦那様、きっと頭が跡形もなく吹き飛ぶわね」

『……! ……!』


 マディが控えめに、しかし確かに微笑んだ。

 ユーモアのない私の面白くない冗談事実でも、マディを笑顔にできたのならば――それはとても嬉しいことだわ。


 *


 下り階段フロアへ、マディを伴って進む。ひたすら直線に。

 

 マディが迷宮の壁へ手をかざす。壁の一部が音を立てて崩れた。

 遮る壁を全て無視し、直線的にまっすぐ進む。


「マディ、これも能力……『ミントと幽霊』作中の出来事を具現化した力なの?」

「違いますわ、リリアナお姉様。わたくしの命じるままに迷宮が動いてくださるの」

『階層ボスとしての力、か……』


 コメントの御方の発言に、マディが頷いた。


「わたくし、分かるようなのです。階層ボスとしての力が、どのようなものなのか」


 言い終わるや否やマディが俯く。

 繋いだ手の先から、マディの呼吸が浅くなっていることが伝わってきた。


「……先ほどは、とんでもないことをしてしまいました」

「マディ……」

「冷静になって、ようやく気付いたのです。山火事を起こすなど、到底許されない所業だと……」


 マディが後悔の色を浮かべた瞳を伏せ、弱々しく呟いた。

 打ち震えるマディの背中をさする。


「リリアナお姉様、わたくし……」

「大丈夫よ、マディ。旦那様が氷の壁を築いて、山火事による街への被害を防いでくれているの」

「お兄様が……」


 マディが少しだけ顔を上げてくれた。


『王都へ、能力者の出動も要請済だ。人的被害はなく終わるだろう。それに山は領有地だから、領主以外が物的に損害を被ることもないはずだ』


 少しだけ間を置いてから、コメントの御方がもう一言、ポツリと呟いた。


『そう、気を落とすな』

「……よかった……。そうであるなら」


 両の手をギュッと握り締め、マディがまっすぐに前を向いた。

 視線の先は――下り階段フロアと隣接する、迷宮の壁。

 行く手を阻むこの壁を崩してしまえば、あっという間に下り階段フロアへ到着だ。


「わたくしにも、まだ、できることはありそうです!」


 掲げたマディの掌に呼応するように、目の前の壁が崩れる。

 下り階段フロアは――床一面を、触手が覆いつくしていた。


「ま~たこいつらっすか」

「迷宮はとことん、階層ボスマディを攻略されたくないみたいね」

「リリアナお姉様、ここはわたくしが!」


 マディが杖を振りかざす。フロア内に光が満ち、轟音とともにすべてが爆発する。

 煙が引き、触手の一掃された床が視界に入る。これで先へ進めそうね。


「――嘘っ!?」


 マディが驚愕の声を上げる。

 ほぼ同時に床の隙間から――再び触手が這い出てくる。


「今回の輩はしつこいっすね~」

『壁や床へ触手を広げていないのは、再生に余力を残しているためか』

「下の階へ足を踏み入れさせなければ階層ボスが攻略されたことにはならない。そう言いたいのね」


 ……浅はかだわ。

 それって、床さえ守れれば問題ない――そう公言しているようなものじゃない。


 マディと再会する前に触手に襲われた時の方が、よっぽど厄介だったわ。

 そう嘲笑いながら、マディと繋いだ手を離して。

 軽やかに床を蹴りつけ飛ぶ。


「リリアナお姉様!? 危険ですわ!」

『戻れ、リリアナ! 無策に跳んでは捕まるだけ――』


 下り階段フロア、中央に着地する。触手が足元から身体へ這い寄る。

 確かにこの状況では歩みを進めることは難しいだろう。

 けれど――足枷としては不十分。


「――はっ!」


 地面を踏みしめ、床へ思い切り拳を叩きつける。

 バラバラに割れた床は重力へ従い、下へ――地下二階へ落ちていく。

 勿論、私も一緒に。

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